第60話:入学試験
工房を出た俺たちは、まだ薄暗い街を乗合馬車の発着場へ向かって歩いた。
王立学校の入学試験が近いこともあり、発着場には俺たちと同年代の若者が何人も集まっている。剣や杖を持った者だけでなく、大きな鞄を抱えた家族連れの姿もあった。
しばらく待つと、王都行きの乗合馬車が到着した。
荷物を載せ、御者へ運賃を払って乗り込む。俺とセレナにとっては、以前にも使ったことのある馬車だった。
あのときは王都の大通りで高ランク冒険者に絡まれ、楔を使う羽目になった。楽しい思い出だけではない。
俺の足元へ乗り込んだコハクも、同じ王都へ向かうと分かっているのか、座席の下で静かに身体を丸めた。
「リリア、そっちに詰められる?」
「はい。どうぞ」
リリアが窓際へ寄り、セレナがその隣へ座る。俺は二人の向かい側に腰を下ろした。
馬車が動き始めると、乾いた車輪の音とともに街並みが遠ざかっていった。
王都までは、乗合馬車に揺られて数時間かかる。
最初のうちこそ窓の外を眺めていたリリアだったが、王都へ近づくにつれて口数が減っていった。
「緊張してる?」
セレナが尋ねると、リリアは少し迷ってからうなずいた。
「……はい。申し訳ありません」
「謝ることじゃないでしょ。私だって緊張してるわよ」
「レナはさっきまで寝てただろ」
「寝てないわ。目を閉じて集中してたの」
「口が開いてたぞ」
「開いてないわよ」
「少しだけ、開いておられました」
リリアが控えめに告げると、セレナが勢いよく振り向いた。
「リリアまで!?」
「も、申し訳ありません」
「そこで謝らなくていいから」
慌てるリリアを見て、セレナが吹き出す。
つられるようにリリアも笑った。先ほどまで強張っていた表情が、わずかに和らいでいる。
俺は二人のやり取りを眺めながら、背もたれへ身体を預けた。
対策はしてきた。
実技も座学も、できる限りのことは積み重ねた。
今さら新しくできることは何もない。あとは、三人でここまでやってきたものを出すだけだ。
そんなやり取りをしていると遠くに王都の城壁が見えてきた。
白い石を積み上げた城壁は、街のものとは比べものにならないほど高い。その向こうには王城の尖塔がそびえ、冬の淡い日差しを受けて輝いている。
「すごい……」
窓から外を見ていたリリアが、小さく声を漏らした。
「王都へ来るのは初めてだったな」
「はい。これほど大きな街だとは思いませんでした」
「私も初めて見たときは驚いたわ」
セレナが得意げに言う。
「口を開けて見上げてたよな」
「昔の話でしょ」
「今も似たようなものだろ」
「誰がよ」
セレナが俺の足を蹴り、リリアが口元を押さえて笑う。
やがて乗合馬車は城門をくぐり、王都の発着場へ到着した。
馬車を降りると、街の喧騒が一気に押し寄せてくる。
大通りには何台もの馬車が行き交い、その両側には石造りの建物が隙間なく並んでいた。試験を受けに来たらしい若者も多く、武器や杖を携えた者たちが家族とともに通りを歩いている。
俺たちは人混みを抜け、事前に目星をつけていた宿へ向かった。
その途中、リリアの指が何度も胸元へ伸びていることに気づく。
外套の下にあるのは、《アステル》の名が刻まれたファミリアプレートだ。
握っているというより、そこに本当に自分の名前があるのか確かめているように見えた。
明日には、王立学校の入学試験がある。
いくら準備を重ねても、緊張するなという方が無理な話だった。
宿へ着くと、俺たちは明日に備えて早めに休むことにした。試験会場へコハクを連れていくわけにはいかないため、留守の間は宿の主人に預かってもらうことになっている。
もっとも、当のコハクは俺たちの心配など知らない様子で、部屋へ入るなり寝台の一つを占領していた。
「そこ、俺の場所なんだけどな」
『わふ』
「退く気はないみたいね」
「レイン様。私が床で休みますので、どうぞ寝台をお使いください」
「いや、そういう話じゃない。リリアも寝台で休め。明日は試験なんだから」
借りたのは、寝台が三つ並んだ大部屋だ。宿代を抑えるために選んだ部屋だが、普段の家より広いくらいだった。
荷物を置いたセレナが、腰から剣を外す。
「今から少しだけ確認しておく?」
「やめておこう」
「でも、明日の筆記で忘れてたら――」
「今から詰め込んでも混乱するだけだ。今日は食べて、身体を温めて、寝る。やることはそれだけだ」
俺が言うと、セレナは不満そうに唇を尖らせた。
「先生がそう言うなら、従うけど」
「誰が先生だ」
「レイン塾の先生でしょ?」
その名前を王都まで持ってくるな。
反論しようとしたところで、リリアが俺たちを見ながら微笑んでいることに気づいた。先ほどまでの張り詰めた表情が、わずかに和らいでいる。
今夜はそれで十分だった。
翌朝、俺たちはまだ空が白み始めたばかりの時間に宿を出た。
王立学校は、王都の北側に広大な敷地を構えていた。
高い鉄柵の向こうには、いくつもの石造りの校舎が並んでいる。奥には実技に使われるらしい訓練場や、巨大な倉庫のような建物まで見えた。
正門へ続く道は、受験者と見送りの家族で埋め尽くされている。
「……多いわね」
「募集人数より、受験者の方がずっと多いですから」
リリアが答えた声は、少し硬い。
俺も対策本でおおよその人数は調べていた。試験を受けに来た者のすべてが、春からここへ通えるわけではない。
受付は、受験番号ごとに分けられていた。
順番を待っている間、周囲から視線を感じる。使い込んだ装備に身を包んだ俺たちは、王都の受験者の中では目立っていた。
前に並ぶ青年の鎧など、俺たち三人分の装備を売っても買えるか分からない。
やがて俺たちの番になり、受付の職員へ必要な書類とプレートを差し出す。
職員は三枚のプレートを確認し、手元の名簿へ目を落とした。
「Eランクファミリア《アステル》。レイン、セレナ、リリアの三名ですね」
「はい」
「筆記試験の教室は三名とも別です。午前の筆記終了後、中央広場へ集合してください。実技試験の説明を行います」
返却されたプレートを受け取り、その場を離れる。
背後から、次に並んでいた受験者たちの話し声が聞こえた。
「Eランクで三人とも受けるのか」
「地方からの記念受験だろ」
声を潜めているつもりなのだろうが、聞こえないほど小さくはない。
セレナが足を止めかけたため、その肩を押して先へ進ませる。
「放っておけ」
「分かってるわよ。ただ、ちょっと顔を覚えておこうかと思っただけ」
「それを放っておいてないって言うんだ」
隣を歩くリリアは何も言わなかった。
けれど、プレートを握る手には力が入っている。
「リリア」
「はい」
「俺たちは、受ける資格があるからここにいる。それ以外は考えなくていい」
リリアは一度だけ胸元のプレートを見下ろし、静かにうなずいた。
「承知しました。最後まで、できることをいたします」
案内された教室は三人とも別だった。
階段の前でセレナが俺を振り返る。
「終わったら、ここに集合でいい?」
「ああ。分からない問題があっても止まるなよ。解けるところから先にやれ」
「何回聞いたと思ってるのよ」
「何回言っても、レナは一問目から意地になりそうだからな」
「失礼ね。今日の私は一味違うんだから」
セレナは胸を張り、自分の教室へ歩いていった。
残ったリリアも、その背中を見送ってから俺へ頭を下げる。
「レイン様。行ってまいります」
「リリア」
呼び止めると、彼女の肩がわずかに揺れた。
「全部できなくてもいい。今まで覚えたものまで、急に消えたりはしないからな」
「……はい」
リリアは顔を上げた。
「教えていただいたことを、きちんと出してまいります」
俺たちはそれぞれの教室へ分かれた。
試験室には一人分ずつ机が並べられ、すでに大半の受験者が着席していた。窓際の指定席へ座り、筆記用具を机の上へ置く。
間もなく試験官が入室し、問題用紙が配られた。
開始の合図と同時に紙をめくる。
一問目に目を通した俺は、胸の中で長く息を吐いた。
対策本に載っていたものと同じ問題ではない。
だが、学んだ範囲から大きく外れてもいなかった。
魔物の性質、王国の歴史、冒険者として守るべき規則。魔法理論については俺自身が使えない分、理解するまでに何度も本を読み返したところだ。
最初に思いついた方法では、ここまで来られなかった。
問題を見てから楔を抜いたところで、戻れるのは十時間だけ。俺一人が答えを知っても、セレナとリリアへ一から教える時間などない。
だから金貨五枚を貯め、何度も同じ本を買い、読んでは戻った。
あの二人に隠れて同じ朝を繰り返した時間が、無駄ではなかったことだけは分かる。
俺は次の問題へ進んだ。
分からないところで止まらず、確実に解ける問題から埋めていく。セレナとリリアへ繰り返し教えたやり方を、自分でも守った。
終了を告げる鐘が鳴ったとき、空欄はほとんど残っていなかった。
答案が回収され、廊下へ出る。
待ち合わせ場所には、すでにセレナが立っていた。
俺を見つけると、足早に近づいてくる。
「レイ」
「どうだった?」
「出たわ」
「何が」
「レイが絶対に覚えろって言ってたところ。魔物の属性と、王国法のところ」
「だから言っただろ」
「本当に出るとは思わないじゃない」
「何のために覚えたんだよ」
セレナは答えず、目を逸らした。
手応えは悪くなかったらしい。
声こそ平静を装っているが、口元が緩んでいる。
少し遅れて、廊下の向こうからリリアが現れた。
足取りは重くない。けれど、俺たちの前まで来た彼女は、不安そうに両手を重ねた。
「お待たせして申し訳ありません」
「気にするな。試験はどうだった?」
「すべてに自信があるとは申し上げられません。ただ……」
リリアが一度、言葉を止める。
以前の彼女なら、ここで俺たちの足を引っ張らなかったかと尋ねていただろう。
「空欄は、ほとんど作らずに済みました。教えていただいたことも、きちんと思い出せました」
控えめな声だったが、そこには小さな自信があった。
「そうか。よくやったな」
「はい」
リリアはうれしそうに目を細めた。
セレナがその肩へ腕を回す。
「これなら三人とも筆記は大丈夫ね」
「まだ結果も出てないぞ」
「今くらいは自信を持ってもいいでしょ。それに、午後は私たちの得意分野なんだから」
「得意なのはレナだけだろ」
「レイン様。私も、以前よりはお役に立てると思います」
珍しくリリアが自分から言い、俺とセレナは顔を見合わせた。
「それもそうね」
「ああ。頼りにしてる」
「……はい」
返事とともに、リリアの背筋が伸びる。
昼を挟み、受験者たちは中央広場へ集められた。
壇上へ上がった試験官が、全員を見渡す。
「これより実技試験を開始する」
広場の空気が、一瞬で張り詰めた。
「王立学校が求めるものは、単純な腕力や魔力の強さだけではない。戦闘能力、技術の制御、状況判断、そして他者との連携。これらを試験官が総合的に評価する」
周囲の受験者たちが、小声で話し始める。
「試験は三人一組で行う。すでに三名で登録している者は、その組で受験して構わない。一名、または二名で登録した者には、こちらで組を指定する」
俺たちは《アステル》として、最初から三人で申請している。
どうやら、そのまま挑めるらしい。
「ただし、魔物を討伐すれば三人全員が合格するわけではない。試験官は一人ずつ、どのような判断を下し、どのような役割を果たしたかを確認する。仲間の後ろに隠れているだけの者に、点は与えられない」
その言葉に、隣のリリアが小さく息を呑んだ。
やはり、自分だけが何もできなかったときのことを考えたのだろう。
俺が声をかけるより早く、反対側にいたセレナがリリアの腕を軽く叩いた。
「大丈夫。私たち、何度も練習したでしょ」
「……はい」
「いつも通りやればいいのよ」
セレナが、先ほど俺が言おうとしたことをそのまま口にする。
俺は黙ってうなずいた。
実技試験が行われる訓練場へ移動すると、中央には布をかけられた巨大な檻が置かれていた。
獣の唸り声が、その内側から響いてくる。
布越しでも、中にいるものが暴れるたびに檻全体が揺れた。
試験官たちが周囲へ配置につき、一人が布へ手をかける。
勢いよく引き落とされた布の内側から現れたのは、俺たちの背丈を優に超える魔物だった。
灰色の硬い毛に覆われた四本脚の獣。額から突き出した太い角には、何度も岩へ打ちつけたような傷が刻まれている。
アイアンボア。
俺たちが普段相手にしている魔物より、明らかに格上だ。
受験者たちの間に動揺が広がった。
檻の中のアイアンボアが鉄格子へ体当たりし、耳を刺すような音が訓練場に響く。
「これより各組には、あの魔物と同等の力を持つ個体を討伐してもらう。危険と判断した場合は試験官が介入するが、その時点で試験は終了だ」
試験官は騒めきが収まるのを待たず、説明を続けた。
「作戦を相談できる時間は、開始前の三分間のみ。それ以降、試験場へ入るまでの相談は禁止する」
三分。
短いようにも思えるが、俺たちには十分だった。
セレナが剣の柄へ手を置き、リリアが緊張した面持ちで俺を見る。
「いつも通りでいい」
俺は二人にだけ聞こえる声で告げた。
「俺が道を作る。リリアが止めて、レナが仕留める」
「ええ」
「承知しました」
受験番号が順に読み上げられていく。
訓練場へ入った組の戦いを、ほかの受験者が見ることはできないらしい。呼ばれた者たちは別の入口へ案内され、残った者は待機場所で順番を待つ。
一組、また一組と名前が呼ばれていく。
やがて、試験官が手元の名簿へ目を落とした。
「次。Eランクファミリア――《アステル》」
周囲の視線が俺たちへ集まる。
セレナが一歩前へ出た。
リリアは胸元のプレートを一度だけ握り、すぐに手を離す。
俺たちは三人で、訓練場へ向かって歩き出した。




