第53話:同じ証と追いつけない背中
三人の手が離れたあとも、胸の奥に灯った熱はしばらく消えなかった。
ファミリア《アステル》。
昨日まで存在しなかった名前が、今はギルドの書類へ正式に記されている。
「それでは、続いてファミリアプレートを発行します」
受付の女性に声をかけられ、俺たちは揃ってカウンターへ向き直った。
「ファミリアプレート?」
セレナが首を傾げる。
「はい。ファミリアへ所属した冒険者には、個人で活動する際に使用していたものとは別のプレートが発行されます」
受付の女性はそう説明しながら、カウンターの奥にある棚から三枚の金属板を取り出した。
色は、俺とセレナが持っているEランクのプレートと同じ鈍い銀色だ。
ただし形は少し違う。
個人用のものより横幅があり、上部の両端が僅かに内側へ削られている。表にはランクを示す印があり、裏返すと、まだ何も刻まれていない空欄が二つ用意されていた。
「こちらへ構成員の名前と、所属するファミリア名を刻みます。同じファミリアに所属する者は、同じ形状のプレートを持つことになります」
「三人とも同じなんだ!」
セレナが嬉しそうに身を乗り出す。
「はい。ただし、紛失された場合は再発行に費用がかかりますのでご注意ください」
「大丈夫です! 絶対なくしません!」
「お前はそう言う奴ほど危ないんだよ」
「なくさないってば!」
いつものように言い返してくるセレナの隣で、リリアはカウンターに置かれた三枚のプレートをじっと見つめていた。
さっきまで浮かべていた柔らかな笑みが、少しだけ消えている。
「どうした?」
声をかけると、リリアは小さく首を振った。
「いえ……何でもありません」
何でもないようには見えなかった。
けれど受付の女性が説明を続けたため、その場では追及しないことにした。
「新規ファミリア《アステル》は、Eランクとして登録されます」
「やった!」
セレナが小さく拳を握る。
俺たちが王立学校を受験するには、Eランク以上のファミリアへ所属している必要がある。
これで、ようやく最初の条件を満たしたことになる。
「なお、ファミリアへ所属した冒険者のランクは、原則として所属ファミリアのランクへ統一されます。そのため――」
受付の女性の視線が、リリアへ向いた。
「これまでFランクだったリリアさんも、本日からEランクとして扱われます」
「……私も?」
リリアが目を見開く。
「はい。《アステル》に所属している限り、ギルドで受けられる依頼や施設の利用資格もEランクのものが適用されます」
「そういう仕組みだったな」
高ランクのファミリアに入ることができれば、それまでの個人ランクに関係なく、所属者も同じ待遇を受けられる。
だからこそ、上位ファミリアへ取り入ろうとする人間が後を絶たない。
金を積む者。
家柄や権力を利用する者。
ファミリアマスターへ娘を近づけようとする者までいる。
実力がなくても、所属先さえ手に入れればランクは上がる。
俺が嫌っている、この世界の仕組みの一つだった。
それでも今は、その制度によってリリアがEランクになる。
俺とセレナが昇格試験で手に入れたものを、リリアは《アステル》へ入っただけで与えられることになる。
受付の女性が三枚のプレートを一度奥へ運び、名前を刻む作業を始めた。
「リリアもEランクか。これで三人一緒だね!」
セレナが嬉しそうに笑いかける。
「……はい」
リリアも笑い返した。
けれど、その声は小さかった。
◇
新しいプレートを受け取ってギルドを出ると、朝の光が金属の表面で鈍く反射した。
俺のプレートの裏には、レインという名前と《アステル》の文字が刻まれている。
セレナも何度も自分のものを裏返しては、嬉しそうに眺めていた。
「ねえ、レイ。見て」
「さっきから見てるよ」
「三人とも同じだよ!」
「形が同じなのは受付で聞いただろ」
「そういうことじゃないの!」
何が違うのか分からないが、セレナが嬉しそうなので放っておく。
俺にとっても、悪い気分ではなかった。
親父のファミリアから外された時、自分の居場所を示すものは何も残らなかった。
胸元に下げていたのは、最底辺であることを示す個人用のFランクプレートだけだった。
今、手の中にあるものは違う。
誰かに入れてもらったファミリアの証ではない。
俺とセレナとリリアで作った、俺たち自身の居場所の証だ。
「リリアもつけようよ」
セレナが自分のプレートを首から下げながら声をかけた。
リリアはまだ、受け取ったプレートを両手で包んだまま立っている。
「リリア?」
「……はい」
呼ばれて、ようやく細い紐を首へ通す。
鈍い銀色のプレートが、リリアの胸元へ収まった。
三人とも同じ形。
三人とも同じ《アステル》。
そして、三人ともEランク。
「似合ってるよ」
セレナが笑う。
「ありがとうございます」
リリアも微笑んだものの、すぐに視線をプレートへ落とした。
「でも……」
「でも?」
「私は、本当にこれをつけてもよいのでしょうか」
セレナの笑顔が止まった。
俺も足を止め、リリアを見る。
「どういう意味だ?」
「レイン様とレナさんは、昇格試験を受けてEランクになられました。危険な敵と戦い、ご自分の力で認められたのだと聞いております」
「あれは認められたっていうより、死ぬような目に遭わされたんだけどな」
「そういう話じゃないでしょ」
セレナに脇腹を軽く小突かれる。
リリアは俺たちのやり取りに笑わず、プレートを握り締めた。
「私は試験を受けておりません」
静かな声だった。
「昨日までFランクだった私が、《アステル》へ入れていただいただけで、お二人と同じEランクになりました」
「入れていただいたんじゃないよ」
セレナがすぐに訂正する。
「リリアが自分で入ったんでしょ?」
「はい。ですが、それと私の実力は別です」
リリアは顔を上げた。
「昨日の鉱山でも、私は一人では何もできませんでした。魔物に襲われた時も、避けるだけで精いっぱいで……レナさんが助けてくださらなければ、きっと私は――」
「リリア」
セレナが呼びかける。
「それに、レナさんが傷を負ったのも、私が後ろにいたからです」
「それは違うって昨日も言ったじゃない」
「ですが、もし私がもっと上手く動けていれば、レナさんは私を庇う必要がなかったかもしれません」
リリアの胸元で、プレートが僅かに揺れる。
「今の私には、このEという文字が、とても重く感じます」
その言葉を、俺はすぐには否定できなかった。
今のリリアが一人でEランクの依頼へ向かうと言えば、俺は間違いなく止める。
付与魔法は役に立つ。
鉱山でも、リリアの付与がなければ戦いはもっと長引いていただろう。
それでも、自分に向かってくる敵を一人で倒せるわけではない。回避もまだ一度成功しただけで、次も必ずできるとは限らなかった。
「そうだな」
俺が答えると、セレナが驚いたようにこちらを見た。
リリアの表情も僅かに強張る。
「レイ、そこは――」
「今のリリアが、何でも一人でできるEランクかって言われたら違うと思う」
「……はい」
「でも、それは俺も同じだ」
「レイン様が?」
「ああ」
昇格試験で、俺は何度も失敗した。
何度も死にかけ、何度も同じ場所へ戻った。
そのことをリリアへ話すことはできない。
それでも、最初から試験を突破できるだけの力があったわけではないことは伝えられる。
「俺は剣を持って前に出ても、セレナみたいには戦えない。魔法だって使えない。昨日も二人が戦ってる間、鉱夫とコハクのそばにいただけだ」
「ですが、レイン様は私たちへ指示を――」
「それが俺にできることだったからな」
俺はリリアの胸元にあるプレートを指差した。
「そのプレートは、一人で何でもできる奴の証じゃない。《アステル》がEランクだっていう証だ」
リリアが自分のプレートを見る。
「足りないなら、これから追いつけばいい」
「これから……」
「ああ。俺たちは今日できたばっかりなんだぞ。最初から全部できる方がおかしいだろ」
「そうそう!」
セレナが勢いよく頷く。
「リリアは避ける練習を始めたばっかりなんだから、これからもっと練習すればいいの。私が教えるから!」
「レナさんが……」
「その代わり、私にも付与魔法のこと教えてよ。昨日だって、炎と氷で全然違ったでしょ?」
「はい。炎は傷を広げることに向いておりますが、氷は相手の動きを鈍らせることができます」
その説明を聞いて、昨日の戦いを思い出した。
リリアの氷を付与した剣が魔物を斬った時、傷口の周囲へ白い霜が広がり、相手の動きが目に見えて鈍くなった。
あの時は、セレナの剣へ付与した。
だが、付与できるものが武器だけとは限らない。
「なあ、リリア」
「はい?」
「付与魔法って、剣や杖以外にも使えるのか?」
「物であれば、ある程度は可能だと思います。ですが、私はこれまで武器に付与する方法しか教わっておりません」
「じゃあ、例えば地面は?」
「地面……ですか?」
セレナも首を傾げた。
「どういうこと?」
「昨日、氷を付与した剣で斬った魔物の動きが鈍っただろ。あれを地面にできないかと思って」
俺は街道の端にある土を靴先で軽く擦った。
「敵が通る場所だけ凍らせれば、足を滑らせたり、地面へ足を縫いつけるみたいに動きを止めたりできるかもしれない」
「そんなことできるの?」
セレナがリリアを見る。
「分かりません」
リリアは正直に答えた。
「地面は剣よりもずっと大きいため、そのすべてへ付与しようとすれば、私の魔力では足りないと思います」
「全部じゃなくていい」
「え?」
「敵が踏む場所だけだ。道幅全部を凍らせる必要はない。片足が乗る程度でも、踏み込む瞬間に滑れば動きは崩れる」
狭い坑道。
森の獣道。
扉の前。
敵が通る場所を限定できれば、必要な範囲はもっと小さくできる。
「壁はどうだ?」
「壁にも、ですか?」
「炎を付与して近づけなくするとか、氷で何かを貼りつけるとか。できるかどうかは分からないけど、武器に力を足すだけが付与魔法じゃないかもしれない」
話しながら、次々に使い方が浮かんでくる。
俺は罠を作ることができる。
けれど、戦いが始まってから罠を置き直すことは難しい。
もしリリアが地面や壁へ属性を付与できるなら、戦いの途中でも敵の進路を変えられる。
セレナが戦いやすい場所へ追い込むことも、逃げ道を作ることもできるかもしれない。
「すごいじゃん、リリア!」
セレナの声が弾む。
「敵を転ばせてくれたら、私が倒せるよ!」
「まだ、できると決まったわけでは……」
「じゃあ練習しよう!」
「お前は簡単に言うなよ」
「でも、できたら絶対強いでしょ?」
「それはそうだけどな」
俺が答えると、リリアは胸元のプレートから、自分の杖へ視線を移した。
「地面への付与……」
小さく呟く。
その瞳に、先ほどまでとは違う光が浮かび始めていた。
「私にも、できるでしょうか」
「今できるかは分からない」
俺はそう答えた。
「でも、知らないなら調べればいい。できないなら、できる範囲を探せばいい」
リリアの杖を作った時もそうだった。
知らないまま進んで失敗した。
だから調べた。
何度も試して、リリアが安全に使える形を探した。
今回も同じだ。
「魔法の本を探そう。付与について詳しく知ってる人がいるなら、話も聞きたい」
「私も避け方教える!」
「一度に全部やらせるなよ」
「だって早く強くなりたいでしょ?」
セレナに尋ねられ、リリアは少しだけ迷った。
それから胸元のプレートを握り、はっきりと頷く。
「はい。強くなりたいです」
誰かに命令されたからではない。
役に立たなければ捨てられるからでもない。
自分が選んだファミリアで、二人と一緒に進むために。
「私は、このプレートに相応しい魔法使いになりたいです」
「もう《アステル》の魔法使いだけどね」
セレナが笑う。
「相応しいかどうかなんて、これから三人で決めればいいよ」
「……はい」
今度の返事には、先ほどまでの迷いが少しだけ薄れていた。
足元では、話が終わるのを待っていたらしいコハクが大きな欠伸をしている。
「お前は気楽でいいな」
「ワン」
「褒めてないぞ」
頭を撫でると、コハクは新しく下げた俺のプレートへ鼻先を近づけた。
その赤い瞳が、表面に刻まれたEの文字ではなく、裏側にある《アステル》の名を見ているような気がした。
もちろん、犬に文字が読めるはずもない。
「さて、帰るか」
「えっ、今から練習しないの?」
「セレナ、お前は怪我してるだろ」
「これくらい平気だって!」
「昨日から何回聞いたと思ってるんだ。今日は傷の手当てと、魔法をどう勉強するか考えるところまでだ」
「ちぇー」
不満そうなセレナの隣で、リリアが小さく笑う。
その胸元には、俺たちと同じ形のプレートがある。
同じ形でも、それをどう受け止めるかは三人で違う。
俺にとっては、自分の居場所を作った証。
セレナにとっては、三人が仲間になった証。
そしてリリアにとっては、これから追いつかなければならない目標でもある。
それでいい。
俺たちのファミリアは、今日生まれたばかりだ。
足りないものがあるなら、一つずつ増やしていけばいい。
剣を打つ時と同じように、見て、考えて、失敗したところを直していく。
今度は一人ではない。
俺とセレナとリリア。
三人で始めたのなら、三人で強くなればいい。
胸元で揺れる新しいプレートの重みを感じながら、俺たちは工房へ続く道を歩き始めた。




