第52話:三人のファミリア
鉱山を出た頃には、傾き始めた陽が岩山の向こうを赤く染めていた。
坑道の中に長くいたせいか、外へ出た瞬間に吹き抜けた風が妙に暖かく感じる。
冷たい空気と薄暗いランプの明かりに慣れていた目には夕方の光さえ眩しく、セレナは片手を額にかざしながら大きく息を吸い込んだ。
「はぁー……外!」
「そんなに嬉しいか」
「嬉しいよ。ずっと暗いし、狭いし、魔物までいっぱい出てくるし」
「依頼だからな」
「分かってるけど、私はやっぱり外で戦う方が好き」
そう言って肩を回したセレナが、すぐに顔をしかめる。
「いった……」
「ほら見ろ」
「ちょっと動かしただけじゃない」
「怪我してる腕をわざわざ動かすなよ」
「分かってるってば」
左腕には、鉱山で巻いた布がまだ残っている。
出血はすでに止まっているし、傷も深くない。
それでも服越しに爪を受けたことに変わりはなく、街へ戻ったらもう一度きちんと傷を洗い、薬を塗っておいた方がいいだろう。
「レナさん、本当に大丈夫ですか?」
後ろを歩いていたリリアが心配そうに覗き込む。
「大丈夫、大丈夫。これくらいなら明日にはもっとマシになってるよ」
「ですが……」
「リリアまでレイみたいな顔しないでよ」
「俺みたいな顔って何だよ」
「心配しすぎってこと」
「怪我した奴が言うな」
セレナは不満そうに頬を膨らませたが、さすがに今度は腕を動かそうとはしなかった。
その隣で、リリアは何も言わずに俯いた。
坑道の中でも、セレナが傷を負ったのは自分が後ろにいたからではないかと気にしていた。
あの時、リリアはちゃんと動けていた。
以前のように足が止まったままではなく、セレナから教わった通りに魔物の攻撃を避け、自分で体勢を立て直した。
その後には付与魔法でセレナを援護し、最後まで杖を手放さなかった。
少なくとも俺は、十分に成長していると思う。
けれど、それをどう受け取るかはリリア自身の問題でもある。
「リリア」
「……はい?」
「今日はよくやったよ」
突然声をかけられたせいか、リリアが目を丸くした。
「でも、私は――」
「反省するなとは言わない。でも、できなかったことばっかり見るなよ。避けられたし、付与も最後まで使えた。そこはちゃんと覚えとけ」
「……はい」
少し間を置いて返事をしたものの、その表情はまだ晴れきってはいなかった。
俺には、それ以上何を言えばいいのか分からない。
だから今は、それでいいことにした。
◇
「お疲れ様でした。鉱山側から依頼完了の確認が届いています」
街へ戻り、そのままギルドへ向かうと、受付の女性は俺たちを見るなり労うように微笑んだ。
「護衛中に予定より多く魔物が出たそうですね」
「はい。採掘班に怪我人はいません」
「それは何よりです。こちらでも報告を確認しています」
受付の女性の視線が、セレナの左腕に巻かれた布へ向かう。
「そちらのお怪我は?」
「かすり傷です!」
なぜかセレナが胸を張る。
「威張ることじゃないだろ」
「だって本当に大したことないし」
「念のため、帰ったらもう一度手当てしろよ」
「はいはい」
受付の女性が小さく笑い、それから今回の依頼報酬が入った袋をカウンターへ置いた。
受け取った瞬間、硬貨同士が触れ合う重い音が掌へ伝わる。
「……レイ」
「ああ」
セレナも同じことを考えたらしい。
今回の報酬だけではない。
これまで工房で短剣を納め、農具を直して得た金。
三人で依頼を受けて稼いだ分。
リリアが初めて自分の取り分を受け取ったあの日から、少しずつ積み上げてきた金がある。
全部合わせれば――。
「帰って数えよう」
「うん!」
セレナの返事が一気に明るくなる。
リリアも意味を理解したのか、胸元で杖を抱えながら小さく頷いた。
ずっと目標にしていた金貨一枚が、ようやく手の届くところまで来ていた。
◇
「……もう一度数えるぞ」
「えー、さっきも数えたじゃない」
「大事な金なんだからいいだろ」
その日の夜。
工房の奥にあるテーブルへ、俺たちはこれまで貯めてきた硬貨を並べていた。
今日の依頼報酬。
工房仕事で残しておいた分。
これまでの依頼で、生活費や必要な買い物に使わず取っておいた分。
細かな硬貨まで一つずつ確かめ、必要な分をまとめていく。
セレナは途中から待ちきれない様子で身を乗り出し、リリアは俺の手元をじっと見つめていた。
最後の一枚を置く。
数え間違いはない。
「……ある」
「ほんと!?」
「ああ」
ファミリアを登録するために必要な金貨一枚分。
ようやく届いた。
「やったぁ!」
セレナが立ち上がった勢いで左腕を動かしかけ、途中で思い出したように止まった。
「あぶな……」
「学習したな」
「うるさい」
「ふふっ……」
小さな笑い声が聞こえた。
リリアだった。
セレナと俺がそちらを見ると、笑っていた本人が恥ずかしそうに口元を押さえる。
「す、すみません」
「なんで謝るのよ」
「いえ、その……お二人らしいなと思って」
「だってさ、レイ」
「俺を巻き込むな」
いつものやり取りを続けながら、俺はテーブルの上の金を見つめた。
たった金貨一枚。
そう言ってしまえば、それだけだ。
ばぁちゃんの治療費を稼ぐために金貨三十枚を動かしたこともあるし、リリアを自由にするためには金貨六十枚もの金を使った。
それと比べれば、一枚なんて小さな額に見える。
でも、この一枚は違う。
誰かを救うために一度で用意した金じゃない。
三人で働いて、一つずつ積み上げてきた金だ。
セレナの剣を作りながら工房の仕事をこなし、リリアも自分の報酬から出したいと言ってくれた。そして今日、三人で鉱山へ入り、危険な目に遭いながらも依頼をやり遂げた。
俺一人の金じゃない。
「明日だな」
そう言うと、セレナが満面の笑みを浮かべる。
「朝一番で行こう!」
「ギルドは逃げないぞ」
「でも早く作りたいじゃん!」
「私も……」
控えめな声が重なる。
リリアはテーブルの上の硬貨を見つめていた。
「私も、早く行きたいです」
「そっか」
「はい」
その顔を見て、少しだけ胸が熱くなった。
最初にリリアへファミリアの話をした時とは違う。
あの頃の彼女なら、俺が入れと言えば迷わず頷いただろう。それが自分の意思なのか、命令されたからなのかさえ区別しないまま。
だから待った。
セレナには随分遠回りだと言われたが、それでも待って良かったと思う。
今のリリアは、自分から入りたいと言った。
自分の金も出したいと言った。
そして今、自分から早く行きたいと言っている。
「じゃあ明日、三人で行こう」
「うん!」
「はい」
テーブルの下では、話についていけているのかいないのか、コハクが一度だけ尻尾を床へ打ちつけた。
◇
翌朝。
ギルドの扉を開けたのは、俺ではなくセレナだった。
「ファミリアの登録お願いします!」
「お前、声でかいって」
「いいじゃん!」
朝から元気すぎるセレナの後ろを歩きながら、受付へ向かう。
そのさらに隣にはリリアがいて、今日はいつもより少し緊張しているように見えた。
受付の女性は俺たち三人の顔を見ると、一瞬驚いたあと、すぐに意味を理解したらしい。
「登録費用が貯まったんですね」
「はい」
俺は用意してきた金をカウンターへ置いた。
「確認しますね」
金貨一枚分。
昨日の夜に何度も数えたはずなのに、受付の女性が確認している間は妙に落ち着かなかった。
セレナも同じなのか、俺の隣でじっと手元を見ている。
リリアに至っては、杖を抱えたままほとんど動かない。
「……はい。確かに」
その一言で、セレナが小さく息を吐いた。
受付の女性が俺たち三人を見渡す。
「それでは確認します。構成員は、レインさん、セレナさん、リリアさんの三名でよろしいですね?」
「はい」
「うん」
「はい」
三人の返事が重なった。
受付の女性は手元の書類へ何かを書き込み、それから顔を上げる。
「では、ファミリア名をお願いします」
「…………」
「…………」
「…………」
三人揃って固まった。
最初に俺を見たのはセレナだった。
「レイ」
「なんだよ」
「考えてる?」
「考えてない」
「なんで!?」
「お前だって今初めて聞いたみたいな顔してただろ!」
「私はレイが考えてると思ってたの!」
「何で俺任せなんだよ!」
受付の女性が困ったような、それでいて少し楽しそうな顔をしている。
横を見ると、リリアまで珍しく目を瞬かせていた。
「リリアは?」
「わ、私ですか?」
「何かない?」
「急に振るなよ」
「でもリリア、本いっぱい読んでるし、こういうの得意そうじゃん」
「名前を付けることと本を読むことは別だろ」
「でも私より絶対得意」
「そこは否定しない」
「ちょっと!」
俺とセレナが言い合っている間、リリアはしばらく考え込んでいた。
杖を胸の前で抱えたまま視線を落とし、何度か小さく唇を動かす。
やがて、少し遠慮がちに顔を上げた。
「あの……一つだけ、思いついたものがあります」
「ほんと?」
セレナがすぐに食いつく。
「はい。ただ、お気に召すかは……」
「聞かせて」
リリアは少しだけ迷ってから、その名前を口にした。
「……アステル、というのはいかがでしょうか」
「アステル?」
聞き慣れない響きを、俺も口の中で繰り返す。
「どういう意味?」
セレナが尋ねると、リリアは少し考えながら答えた。
「古い言葉に由来する名前で、星や光を思わせる響きがあるそうです。これから先へ進んでいく私たちには……合うのではないかと思って」
「いいじゃん!」
返事が早かった。
「お前、もうちょっと考えろよ」
「なんで? 格好いいし、意味もいいし、リリアが考えてくれたんだよ?」
「いや、悪いとは言ってないけど」
「じゃあ決まり!」
「だから早いって」
そう言いながら、俺ももう一度その名を頭の中で転がす。
アステル。
不思議と耳に残る響きだった。
誰か一人を表す名前じゃない。
鍛冶師の俺だけでも、剣を振るうセレナだけでも、付与魔法を使うリリアだけでもない。
今から三人で始めるものの名前として考えると、悪くない。
「リリアは、それでいいのか?」
「はい」
リリアは小さく、けれどはっきりと頷いた。
「私は……好きです」
「じゃあ俺も賛成」
「ほら! やっぱり決まりじゃん!」
「お前は最初から決める気だっただろ」
「いい名前なんだからいいの!」
セレナが笑う。
リリアも、その隣で少し照れくさそうに笑った。
俺は受付の女性へ向き直る。
「お願いします。アステルで」
「承知しました」
受付の女性が書類へ名前を書き込んでいく。
その筆先を見ていると、ただの言葉だったものが少しずつ俺たちの名前になっていくような、不思議な感覚がした。
思えば、ここまで随分かかった。
セレナと二人で、新しいファミリアを作ろうと話した。
けれど結成には三人必要だと知り、誰でもいいわけじゃないと考えた。
そんな時にリリアと出会った。
助けたから仲間にしたわけじゃない。
金貨六十枚を払ったから入れたわけでもない。
俺たちと一緒に過ごし、戦い、自分で考えた末に、リリア自身がここにいることを選んだ。
そして、そのリリアが俺たち三人の名前を考えてくれた。
それが何より嬉しかった。
「以上で手続きは完了です」
受付の女性が最後に書類を確認し、顔を上げる。
「本日より、レインさん、セレナさん、リリアさんの三名を構成員とするファミリア《アステル》として正式に登記されました」
ファミリア《アステル》。
受付の女性から改めてそう呼ばれた瞬間、胸の奥に小さな熱が灯った。
セレナが俺を見る。
リリアも俺を見た。
「……できた?」
セレナが確認するように聞く。
「できたな」
「やったぁ!」
言った直後、セレナの顔が一気に明るくなる。
「レイ、やっとだよ!」
「ああ」
「リリア!」
「は、はい」
「私たち、今日からアステルだよ!」
「……はい」
リリアはそう答えると、ほんの少しだけ俯いた。
銀色の髪が頬へ落ちる。
「リリア?」
「すみません。その……嬉しくて」
顔を上げたリリアは、泣いてはいなかった。
それでも瞳の奥には、普段よりはっきりと感情が浮かんでいた。
「私はずっと、誰かに決められた場所にいるものだと思っていました」
静かな声だった。
「何をするかも、どこにいるかも、自分で決めるものではないと……そう思っていました」
俺もセレナも黙って聞く。
「でも、ここへ入ることは……私が決めました」
「ああ」
「それに、名前まで一緒に決めさせていただいて……」
「一緒っていうか、ほとんどリリアが決めたけどね」
「お前が丸投げしたからだろ」
「いいの! アステル、気に入ってるし!」
「ふふっ……」
リリアがまた笑った。
さっきまで緊張していた顔が、少しだけ柔らかくなる。
「私も……とても気に入っています」
「じゃあ、これからよろしくね。アステルの仲間として!」
「はい。レナさん」
「レイも!」
「俺も?」
「三人なんだから当たり前でしょ!」
空いている方の手を差し出される。
何となく気恥ずかしかったが、断る理由もない。
俺がその手を取ると、今度はリリアも少し迷ったあと、自分から手を重ねてきた。
三人。
本当に三人になった。
上位ファミリアに追い出され、自分には何もないと思っていた頃には考えもしなかった。
俺はずっと、力を持つ奴らに好き勝手されないために、自分のファミリアを作ろうと思っていた。
だけど今は、それだけじゃない。
セレナがいる。
リリアがいる。
この二人と一緒に、どこまで行けるのか見てみたい。
王立学校。
その先のランク。
まだ入ることのできない鉱山の奥。
そして、俺たちがまだ知らない場所。
やりたいことはいくらでもある。
もちろん、ファミリアになったからといって、急に強くなるわけじゃない。
昨日の戦いではセレナが傷を負ったし、リリアも危ない場面があった。俺自身だって、戦闘になれば二人ほど前で戦えるわけではない。
今の俺たちは、まだ始まったばかりだ。
「さて」
セレナが俺の手を離し、満足そうに腰へ手を当てる。
「これで次に進めるね」
「ああ」
俺も頷いた。
少し前まで、ファミリアを作るために必要なのは三人目だと思っていた。
その三人目と出会い、金貨一枚を三人で稼ぎ、ようやくここまで来た。
でも、たぶん違う。
ここが目的地だったわけじゃない。
ここから始まる。
俺とセレナとリリア。
ファミリア《アステル》が、今日ようやく生まれた。




