第50話:二人の武器
坑道へ足を踏み入れた途端、外とは空気が変わった。
ひんやりとした湿気が肌にまとわりつき、奥へ進むほど日の光が遠ざかっていく。
一定の間隔で壁に取り付けられたランプが岩肌を照らしているものの、その先には暗闇が続いていた。
前を歩く鉱夫たちは慣れた様子で進んでいる。
俺たちはその後ろにつき、採掘班の責任者から坑道について説明を受けていた。
「ここから先が第一採掘区だ。今日は三番坑道で作業する。魔物が確認されたのは、その周辺だな」
「避難路は?」
「三番坑道なら、途中の分岐を右へ戻れば別の出口に繋がってる。ただし勝手に入るなよ。使うのは緊急時だけだ」
「支柱の点検は?」
「今朝やってる」
「天井に亀裂が見つかった場所は?」
「……兄ちゃん、随分気にするな」
責任者が苦笑する。
「まあ、心配する気持ちは分かるが、危険な場所で採掘なんかさせねえよ。俺たちだって死にたくねえからな」
「そうですよね」
分かっている。
分かっているのだが、どうしても太い木材を組んだ支柱や天井を走る岩の筋、壁から落ちた小さな石へ目が向いてしまい、少し奥へ進むたびに無意識に帰り道まで確認していた。
「レイ」
「ん?」
「また上見てる」
前を歩いていたセレナが振り返る。
「見て悪いか」
「悪くないけど、さっきからずっとじゃない」
「鉱山なんだから、それくらいでいいんだよ」
「ふーん」
納得しているのかいないのか分からない返事をして、セレナは前へ向き直った。
その腰には、昨日渡したばかりの剣がある。さらにその少し後ろを歩くリリアも、自分専用に作った杖をしっかり握っていた。
二人とも、俺が作った武器を持っている。
工房では何度も試し、安全性も確認した。
セレナの剣については、実際の動きを見ながら何度も調整している。それでも魔物を相手に使うのは、今日が初めてだった。
「レイン様」
リリアの声に振り返る。
「どうした?」
「こちらの壁にあるものは、鉄鉱石でしょうか」
「え?」
指差された方を見ると、ランプの明かりに照らされた岩肌の一部に、周囲とは違う色をした筋が走っていた。
思わず足が止まる。
「たぶんそうだな」
「レイ、今度は横ばっかり見てる」
「うるさいな」
「さっきまで天井しか見てなかったのに」
「鉱山に来て鉱石見るなって方が無理だろ」
加工された鉄なら毎日のように触っているが、地中に埋まった状態の鉱石をこれほど近くで見る機会は多くない。もっと近くで見たいし、触ってみたい。どんな状態で掘り出され、そこからどう選別されるのかも知りたかった。
いつの間にか、さっきまで胸の奥にあった重苦しさに、別の感情が混ざり始めている。
怖い場所であることに変わりはない。それでも俺は鍛冶師だ。ここには、俺が普段叩いている鉄の始まりがある。
「兄ちゃん、本当に鍛冶師なんだな」
責任者が笑った。
「分かります?」
「その顔見りゃ分かるよ。俺らが掘った石見て、そんな嬉しそうな顔する奴は大体そうだ」
「そんな顔してました?」
「してたしてた」
「ほら、やっぱり」
セレナまで笑う。
「……仕事中だぞ」
「レイが言う?」
言い返そうとしたところで、先頭を歩いていた鉱夫が足を止めた。
「着いたぞ」
そこは、それまで通ってきた坑道より少し広い空間になっており、壁の一部には採掘途中らしい鉱脈が露出し、足元には掘り出した岩を載せるための荷車が置かれていた。
責任者が作業の配置を指示し、鉱夫たちがそれぞれ道具を手にする。
「魔物が出たのは、この先の横穴だ。俺たちはここで作業する。護衛を頼む」
「分かりました」
俺が答えるより早く、セレナが剣の柄へ手を置き、リリアも杖を握り直した。コハクはというと、俺の足元で大人しく座っている。
「お前はここにいろよ」
「ワン」
「今日は勝手にどっか行くなよ」
頭を撫でてから、俺も周囲を確認する。
前方にはセレナ、その少し後ろにリリア。俺は鉱夫とコハクの近くに残る。
狭い坑道で全員が前へ出る必要はない。
それに今回の依頼は討伐ではなく、あくまで採掘班の護衛なのだから、守るべき相手から離れてしまえば意味がなかった。
やがて、つるはしが岩を叩く硬い音が一定の間隔で鳴り始め、坑道の奥へ吸い込まれていく。
最初の異変に気づいたのはセレナだった。
「……レイ」
「ああ」
つるはしとは違う。
何かを引っ掻くような音が、暗い横穴の向こうから聞こえてくる。
俺が鉱夫たちへ目を向けると、責任者もすぐに察した。
「作業止め! 全員こっちへ寄れ!」
音が止み、途端に坑道が静まり返る。その静寂の中で、今度は爪が岩を擦る音がはっきりと聞こえた。
一つじゃない。
「セレナ」
「分かってる」
鞘から剣が抜かれる。
「リリア」
「はい」
杖の先端を両手で支え、リリアがセレナの少し後ろへ位置を取る。
次の瞬間、暗闇の中から小柄な魔物が飛び出してきた。
灰色の皮膚に細長い腕。岩壁を掴むためなのか、指先には大きく曲がった爪が伸びている。
一体、続いて二体目。
「来るよ!」
セレナが地面を蹴った。
最初の一体が腕を振り上げるより早く懐へ入り込み、剣を横薙ぎに振り抜く。
刃が胴を捉え、魔物が岩壁へ叩きつけられた。
セレナはそこで止まらず、振り抜いた剣の勢いを無理に殺さないまま身体を返し、飛びかかってきた二体目へ下から剣を跳ね上げる。
魔物の爪と刃がぶつかり、硬い音が坑道に響いた。
「っ!」
セレナの身体が僅かに沈んだものの、剣は負けていない。そのまま押し返し、相手の体勢が崩れたところへ一気に刃を走らせる。
二体目が倒れた。
「レナさん!」
「お願い!」
リリアが杖を向けると、先端から流れた魔力がセレナの剣へ届き、刃を赤い光が包んだ。
炎の付与。
工房では何度も試したが、実戦の最中に使うのは初めてになる。
「……よし!」
セレナが嬉しそうに剣を構え直したところで、横穴の奥から新たな影が現れた。
「まだ来る!」
三体。
いや、その後ろにもいる。
「多くない!?」
「依頼書には数まで書いてなかった!」
「そういうの先に言ってよ!」
「俺のせいじゃないだろ!」
言い合っている間にも魔物は迫ってくる。
セレナが前へ出ると、炎をまとった剣が暗い坑道に赤い軌跡を描き、一体目の爪を弾き飛ばした。
そのまま踏み込んで胴へ一撃を入れ、すぐに身体を返して二体目へ剣を振り下ろす。
だが、今度は避けられた。
「ちょこまかと!」
魔物が壁を蹴り、横からセレナへ飛びかかろうとする。
「レナさん、左です!」
リリアの声が飛ぶ。
セレナは振り返らず、言われた瞬間に身体を沈めた。頭上を爪が通り過ぎ、その隙へ剣を突き上げる。
「ギャアッ!」
三体目が落ちた。
いい。
二人とも動けている。
セレナの剣は強く打ち合わせても異常がなく、何より振り抜いた後の動きを邪魔していない。リリアの杖も、付与を使った直後に魔力が乱れた様子はなかった。
だが、別の音がした。
正面ではない。
右。
「リリア!」
横の小さな裂け目から、一体が飛び出した。
セレナは前の魔物を相手にしている。俺が動こうとした時には、すでに魔物の方がリリアに近かった。
長い爪が振り上げられる。
「――っ!」
一瞬、リリアの身体が強張った。
東の森で初めて自分へ向かってきたコボルトを前にした時、リリアはその場から動けなくなった。
だが、今回は違う。
杖を前へ出しかけたリリアは途中でその手を止め、無理に迎え撃とうとはせず、魔物から目を逸らさないまま一歩だけ斜め後ろへ足を引いた。
爪が振り下ろされる。
リリアは身体を横へ逃がした。
鋭い爪が服の端を掠め、避けた勢いで身体がふらつく。
それでも転ばず、足を踏ん張って杖を握ったまま魔物から視線を外さなかった。
セレナに教えてもらった動きだ。
「リリア、そのまま離れろ!」
「はい!」
リリアは距離を取りながら体勢を立て直し、追おうとした魔物へ、前の一体を倒したセレナが横から斬りかかる。
「リリア!」
呼ばれた瞬間、リリアは迷わず杖を向けた。
「はい!」
杖を通して流れた魔力がセレナの剣へ届き、刃の周囲に淡い冷気がまとわりつく。
炎の時とは違う、青白い光。
「レナさん!」
「うん!」
セレナが踏み込み、氷の付与をまとった剣を振り抜いた。刃が魔物の身体を捉えた瞬間、傷口の周囲に白い霜が広がり、よろめいていた身体の動きがさらに鈍る。
その隙を逃さず、セレナは返す剣でもう一撃を叩き込んだ。
魔物が地面へ崩れ落ちる。
「やった……」
「リリア!」
セレナが振り返って笑った。
「今の避け方、ちゃんとできてた!」
「……はい!」
リリアの声にも僅かな興奮が混じっていたが、喜んでいる暇はなかった。
「二人とも前!」
俺の声とほぼ同時に、さらに魔物が押し寄せてくる。
今度は四体。
「鉱夫さんたちは下がって!」
俺はコハクを抱き上げながら、鉱夫たちを坑道の壁際へ寄せた。
「お前も大人しくしてろよ」
「ワン!」
腕の中でコハクが身を捩る。
「駄目だ。今日はお前が戦う日じゃない」
何ができるのか分からないコハクを、こんな場所で魔物の前へ出すつもりはない。
俺自身も前へ出なかった。
セレナとリリアが戦えている以上、俺が護衛対象を放り出して加勢すれば、横を抜かれた時に誰も守れなくなる。
「セレナ! 後ろへ通すな!」
「分かってる!」
セレナが一体目を迎え撃ち、爪と剣がぶつかる。そこへ横から二体目が迫った。
「レナさん!」
リリアが炎を付与し、赤く染まった剣をセレナが一気に振り抜いて一体目を押し切る。
だが二体目が止まらない。
さらに三体目まで左右へ分かれた。
「くっ……!」
セレナが一歩下がる。
外なら横へ回り込めるが、ここでは壁が邪魔になる。それでも後ろにはリリアがいて、そのさらに先には俺と鉱夫たちがいる。
セレナは逃げなかった。
二体目の爪を剣で受け、身体を捻って流し、そのまま斬る。
三体目が迫る。
「セレナ、右!」
「っ!」
避ければ間に合った。
だが、その先にはリリアがいた。
セレナは完全には退かず、身体を半分だけずらしながら剣を戻そうとしたが、僅かに間に合わない。
爪が左腕を掠めた。
「っ――!」
服が裂け、その下に赤い線が走ると、すぐに血が滲んだ。
「レナさん!」
「セレナ!」
「平気!」
セレナは止まらなかった。
傷を負った左腕を庇いながら身体を返し、右手の剣を魔物の脇腹へ食い込ませる。
「これくらいで――止まってられない!」
さらに踏み込んで剣を引き抜くと、魔物が地面へ倒れた。
俺の足が一瞬だけ前へ出かける。
だが、止めた。
血は出ているものの腕は動いており、深い傷には見えない。そして何より、まだ一体残っている。
「リリア! セレナの援護!」
「はい!」
リリアの声から、さっきまでの震えが消えていた。
杖を構え、セレナと最後の一体を見る。
魔物が低く身を沈める。
そして、跳んだ。
「レナさん、剣を!」
セレナが剣を横へ向けると、リリアの杖から流れた魔力が刃へ定着し、先ほどより強い炎が一瞬だけ坑道を明るく照らした。
「これで――!」
「十分!」
セレナが踏み込み、同時に魔物も地面を蹴る。
爪と剣が真正面からぶつかり、金属を引っ掻く嫌な音が響いた。
それでもセレナの剣は止まらない。
足を踏ん張り、腰を回し、そのまま一気に振り抜いた。
炎の軌跡が暗闇を横切る。
魔物の身体が地面へ転がり、そのまま動かなくなった。
「……終わった?」
セレナが息を切らしながら周囲を見る。
誰もすぐには答えなかった。
俺も耳を澄ませる。
聞こえるのは、荒くなった三人の呼吸と、どこか遠くで滴る水の音だけだった。
「……終わったみたいだ」
そう答えた途端、セレナの肩から力が抜ける。
「はぁぁ……疲れたぁ……」
「レナさん!」
リリアが駆け寄った。
「腕を見せてください!」
「これくらい平気だって」
「血が出ています!」
「ちょっと掠っただけだから」
「いいから見せろ」
コハクを地面へ下ろし、鉱夫たちが無事なのを確認してから俺も近づく。
「レイまで……」
「腕」
「はいはい」
セレナが渋々左腕を差し出した。
裂けた服の下を確認すると、爪が浅く皮膚を切っている。出血はしているものの傷口は深くなく、腕も問題なく動かせていた。
「良かった。浅いな」
「だから言ったでしょ」
「浅くても怪我は怪我だ」
持ってきていた布と水を取り出し、傷口を洗う。
「いったぁ!」
「動くな」
「もうちょっと優しくしてよ!」
「傷洗ってるんだから痛いに決まってるだろ」
「戦ってる時より痛い!」
「それは興奮してただけだ」
いつもの調子で文句を言えるなら、大丈夫そうだ。
それでも傷を見ていると、胸の奥には冷たいものが残った。
Eランクの依頼。
今の俺たちが受けることを許されている仕事でも、安全が保証されているわけではない。爪がもう少し深く入っていたらと考えれば、軽傷だったから良かっただけで終わらせる気にはなれなかった。
「……すみません」
横から小さな声がした。
リリアだった。
「何が?」
「私が後ろにいたから、レナさんは避けられなかったのでは……」
「違うよ」
答えたのはセレナだった。
「でも……」
「リリアがいたから、このくらいで済んだの。付与がなかったら、もっと時間かかってた。それに、さっき私が囲まれそうになった時も教えてくれたでしょ?」
「ですが……」
「それにリリア、ちゃんと避けられたじゃない」
リリアが目を瞬く。
「あれ、教えた通りだったよ。ちょっと危なっかしかったけど」
「……はい」
「最初に戦った時なんて、動けなかったんでしょ?」
「はい……」
「だったら成長してるじゃない」
セレナが笑うと、リリアはしばらく何も言わず、やがて自分の杖へ視線を落とした。
「……怖かったです。爪が見えた時、一瞬、また身体が動かなくなりそうになりました」
「うん」
「でも……レナさんに教えていただいたことを思い出しました」
「じゃあ、教えた甲斐あったね」
「はい」
今度はリリアも小さく笑った。
俺は二人を見ながら、セレナの剣へ目を向ける。
刃には魔物の血がつき、何度も爪と打ち合い、リリアの付与も繰り返し受けた。それでも目立った欠けは見えない。
リリアの杖も同じだ。
魔力の暴走はなく、最後まで安定して付与を使えていた。
工房で試すだけでは分からない。
実際に魔物を前にして、走って、避けて、傷を負い、その中で使って初めて分かることがある。
この二つは、ちゃんと武器になった。




