第49話:鉱山へ
翌朝、工房で出かける準備をしていると、足元を白いものが横切った。
「おい、コハク。危ないぞ」
「ワンッ!」
俺の足元で、コハクが尻尾を振りながらこちらを見上げている。
そういえば、最近は工房にいてもリリアのそばへ行っていたり、ばぁちゃんについて母屋へ入り込んでいたりすることが多く、こうして俺の足元にまとわりついてくるのは久しぶりな気がした。
「今日はギルドに行くだけだぞ」
「ワン!」
「分かったから、裾を引っ張るなって」
俺がしゃがんで頭を撫でてやると、コハクは満足したように目を細めた。
そこへ母屋からリリアが出てくる。
「コハク、レイン様のお邪魔をしてはいけませんよ」
そう言いながらもリリアが手を伸ばすと、コハクはすぐにそちらへ身体を向け、その手に頭を擦りつけた。
「お前、随分リリアに懐いたな」
「ふふ……最近はよく一緒におりますから」
「俺が飼い主なんだけどな」
「ワン」
「何だ、その返事」
リリアが口元を押さえて笑う。
そこへ今度は工房の入口から、聞き慣れた声が飛んできた。
「レイ、準備できた?」
振り返ると、セレナが昨日完成したばかりの剣を腰に下げて立っていた。
わざわざ見せつけるように手を柄へ置いているところを見ると、相当気に入っているらしい。
「朝から嬉しそうだな」
「だって私の剣だもん」
「昨日から何回それ言ってるんだよ」
「いいでしょ。レイが作ったんだから」
そう言って笑うセレナを見ていると、苦労して調整した甲斐があったと思える。
今日はその剣を使う機会があるかもしれない。
昨日話した通り、三人で依頼を受けて、ファミリアを結成するための金を稼ぐつもりだった。
「じゃあ行くか」
「はい」
「うん!」
三人で工房を出ようとすると、当然のようにコハクまで後ろをついてくる。
「お前も来るのか?」
「ワンッ!」
留守番させようかとも思ったが、ギルドまでなら問題ないだろう。
そう考えて、そのまま三人と一匹で街へ出た。
◇
朝の冒険者ギルドは、依頼へ向かう者たちで混雑していた。
受付へ並ぶ者、仲間同士で装備を確認する者、掲示板の前で報酬と危険度を見比べている者が入り交じり、あちこちから声が飛び交っている。
俺たちも掲示板の前まで移動すると、Eランクで受けられる依頼を順番に確認していった。
「これ安いね」
セレナが一枚の依頼書を見ながら言う。
「街道の巡回だけだからな」
「こっちは?」
「薬草採取か……時間がかかる割には微妙だな」
ファミリア登録に必要なのは金貨一枚で、俺の工房仕事で稼いだ分や、これまで三人で受け取った報酬もある。それでも、できれば何日も細かい依頼を繰り返すより、三人でまとまった仕事を一つこなしたい。
とはいえ、報酬だけを見て危険な依頼に飛びつくつもりもなかった。
セレナと二人だけだった頃とは違い、今はリリアもいる。
俺たちの目的は金を稼ぐことであって、命を賭けることじゃない。
「レイン様、こちらはどうでしょうか」
隣で依頼書を見ていたリリアが、一枚を指差した。
「どれ?」
依頼書へ視線を移す。
街の北側にある鉱山で、採掘作業を行う鉱夫たちの護衛を募集しているらしい。最近、坑道の外縁部で魔物が確認されたため、その警戒と討伐を行ってほしいという内容だった。
危険度はEランク相当。
採掘そのものを手伝う仕事ではなく、鉱夫が作業をしている間の護衛が中心になるらしい。
「鉱山……」
その二文字を口にした瞬間、胸の奥に引っかかるものがあった。
依頼書を持つ手が、僅かに止まる。
崩れ落ちた坑道。
立ち込める土煙。
大人たちの怒号。
そして、泣き叫ぶセレナ。
忘れられるはずがない。
俺が初めて時を戻した、あの日の光景だ。
「レイ?」
隣から声をかけられ、我に返る。
セレナが不思議そうに俺を見ていた。
「どうしたの?」
「いや……何でもない」
「この依頼、嫌?」
「そういうわけじゃない」
今ここにいるセレナには、俺が覚えている出来事の記憶はない。
あの日、この街の鉱山で崩落事故が起きたこと自体は変わっていない。
ただ、セレナのお父さんはそこにいなかった。
本来なら仕事へ向かっていたはずの時間に、俺が倒れたふりをしたせいで工房に残り、ばぁちゃんと一緒に俺の看病をしてくれていたからだ。
だから現在のセレナにとって、あの事故は「父親を失った日」ではない。
鉱山で起きた、過去の大きな事故の一つにすぎない。
俺にとっては違う。
ほんの少し何かが違っていれば、今ここで笑っているセレナは、あの日のように泣き崩れていた。
「……条件をちゃんと確認してからにしよう」
「条件?」
「ああ。魔物だけじゃなくて、坑道の状態も知りたい」
そう答えながら依頼書を外すと、それまでリリアの足元にいたコハクがこちらへ歩いてきた。
赤い瞳で俺の顔を見上げる。
「ん?」
コハクは何もせず、そのまま俺の足元へ座った。
「どうした?」
「くぅん」
「腹減ったのか?」
頭を撫でると、コハクは少しだけ目を細めた。
相変わらず、何を考えているのかよく分からない犬だ。
「とりあえず聞いてみるか」
三人で受付へ向かった。
◇
「この依頼について聞きたいんですけど」
受付嬢へ依頼書を渡すと、内容を確認してから頷いた。
「北鉱山の採掘班護衛ですね。こちらでしたら三名とも受注可能です」
「坑道の中まで入りますか?」
「はい。ただし、今回の作業区域は第一採掘区までになります」
「第一採掘区?」
聞き慣れない言葉に尋ね返すと、受付嬢は鉱山の簡単な見取り図を取り出した。
「鉱山は冒険者ランクによって立ち入り可能な区域が決められています。第一採掘区はEランク以上、さらに奥の第二採掘区へ入るにはDランク以上が必要になります」
「ランクで鉱山まで分けてるのか」
「奥へ行くほど魔物も強くなりますし、採掘される鉱石の価値も上がりますから。無制限に人を入れるわけにはいきません」
その説明を聞いた瞬間、鍛冶師としての興味が僅かに動いた。
「鉱石の価値も?」
「ええ。第一採掘区でも一般的な鉄鉱石などは採れますが、奥では品質の高い鉱石や、特殊な性質を持つものが見つかることもあるそうです。ただし、詳しい採掘情報については鉱山側の管理になりますね」
「へえ……」
「レイ」
「何だよ」
「顔変わった」
隣からセレナに指摘される。
「変わってない」
「変わったよ。さっきまで怖い顔してたのに、鉱石の話になったら急に楽しそうになった」
「鍛冶師なんだから気になるだろ」
今使っている鉄より質のいい鉱石が手に入れば、作れる武器の幅は当然広がる。
昨日作ったセレナの剣だって、素材が変われば同じ形でも違うものになるかもしれないし、リリアの付与との相性がいい金属が存在する可能性もある。
もっと知りたいと思うのは自然なことだった。
ただ、今はそれより先に確認することがある。
「最近、坑道で崩落は?」
俺が尋ねると、受付嬢が少し意外そうな顔をした。
「崩落ですか?」
「はい。支柱の点検とか、落盤の危険がある区域とか。その辺りはどうなってます?」
「今回入る第一採掘区は現在も採掘が行われている区域ですので、鉱山側が定期的に安全確認をしています。危険が確認された坑道は立ち入り禁止になりますし、護衛の冒険者だけを危険区域へ入れるようなこともありません」
「退避する場所は?」
「主要坑道には避難経路があります。現地で採掘班の責任者から説明を受けてください」
「そうですか……」
一つずつ確認していく。
絶対に安全だとは思わない。
鉱山は、人が掘った穴だ。
どれだけ確認したところで、崩れる時は崩れる。
それを俺は知っている。
「レイ、やけに慎重だね」
セレナが横から俺の顔を覗き込んできた。
「鉱山なんだから当たり前だろ。魔物を倒せても、天井が落ちてきたらどうしようもない」
「それはそうだけど」
「それに三人で行くんだ。確認できることはしておいた方がいい」
俺がそう言うと、セレナは少し考えてから頷いた。
「うん。それなら私も気をつける」
「私も、坑道では周囲をよく確認します」
リリアも続く。
「よし」
危険がないわけじゃない。
それでも、今の俺たちが受けられないほど無茶な依頼にも見えなかった。
何より、実際の鉱山を見てみたいという気持ちもある。
「この依頼、受けます」
「承知しました」
受付嬢が依頼書へ受注印を押した。
◇
北鉱山までは、街を出てしばらく歩く必要があった。
セレナは昨日完成したばかりの剣を腰に下げ、リリアは自分用に調整した杖を持っている。その後ろをコハクがとことことついてきており、結局ギルドを出たあとも帰ろうとはしなかった。
「コハクも来るの?」
セレナが振り返る。
「みたいだな」
「危なくない?」
「鉱山に着いたら、採掘班の邪魔にならない場所にいさせるよ」
「ワン!」
「分かったから先に行くな」
俺たちの前へ出ようとしたコハクを呼び戻しながら、街道を進む。
やがて木々の向こうに岩山が見え始め、その麓に大きく開いた坑道の入口が姿を現した。
荷車が行き交い、作業着姿の男たちが掘り出された石を運んでいる。入口の脇には冒険者らしい武装した人間もおり、思っていた以上に人の出入りが多い。
本来なら、俺の目は真っ先に荷車へ積まれている鉱石へ向いていたはずだ。
鍛冶師なら、それが普通だ。
けれど、俺が最初に見たのは坑道の天井だった。
次に入口を支える太い柱へ目を移し、その奥に続く暗い坑道を見る。
あの日とは違う鉱山だ。
目の前の入口が崩れたわけでもなければ、ここでセレナのお父さんが死んだこともない。
それでも、地下へ続く暗闇を見ているだけで、胸の奥にあの時の光景が蘇ってくる。
「レイ?」
「ああ。行こう」
セレナの声に答え、一歩前へ出したところで、足元のコハクが立ち止まった。
「ん?」
いつもなら勝手に先へ行きそうなコハクが、坑道の入口をじっと見ている。
赤い瞳が、暗い穴の奥へ向けられていた。
「コハク?」
呼びかけると、しばらくしてこちらを見上げる。
「怖いのか?」
「……ワン」
小さく一度だけ鳴いたあと、コハクは俺のすぐ隣へ寄ってきた。
珍しいこともあるものだ。
俺はその頭を一度撫でてから、もう一度鉱山の入口を見た。
ここへ来た目的は、ファミリアを作るための金を稼ぐことだ。
それに変わりはない。
ただ、この場所にはそれだけではない何かがある気がしていた。
ランクが上がれば、さらに奥へ入れる。
そこには、今の俺が触れたことのない鉱石があるかもしれない。
鍛冶師としてなら、間違いなく惹かれる。
だからこそ、忘れないようにしなければならない。
鉱山は恵みを与える場所であると同時に、一つ間違えば人の命を簡単に奪う場所でもある。
「まずは依頼だな」
腰の道具を確認すると、セレナが新しい剣の柄へ手を置き、リリアも杖を握り直した。
三人と一匹で、坑道の入口へ向かって歩き出す。
暗い岩山の奥から、冷たい空気が流れてきていた。




