第5話:タイムリミット
「……足を完全に治すには、最低でも金貨30枚。高位の神官を呼んで治癒魔法をかけてもらうか、最上級のポーションが必要だ」
町医者のその言葉は、俺たちにとって死刑宣告に等しかった。
金貨30枚。
底辺の俺たちが、どれだけ汗水流して働いても数年はかかる莫大な金額。
「そんな……お父さんが崩落事故から助かって、本当によかったって思ってたのに……うちはもう、お父さんの稼ぎだけじゃそんな大金……っ」
顔を青ざめさせるセレナの横で、俺は唇を強く噛み締めた。
このままじゃ、ばぁちゃんは一生歩けなくなる。俺の判断が遅れたせいで。
「俺が、なんとかする」
静かにそう告げて、俺は工房へと向かった。
背後で「レイ! どこ行くのよ、こんな時にまた鍛冶に逃げるの!?」とセレナの怒ったような、悲しそうな声が聞こえたが、振り返ることはできなかった。
工房の扉を閉め、薄暗い土間に立つ。
金貨30枚を短期間で稼ぐには、ギルドの裏仕事か、危険なダンジョンに潜るしかない。
だが、今の非力な俺がそんな真似をすれば確実に死ぬ。
だからこそ、俺には『絶対にやり直せるセーブポイント』が不可欠だった。
「あの馬車が突っ込んできた時は、打ってから10時間以上が経過していて砕けた。あれじゃ長すぎるのか……」
だが、検証のために何日も時間を進めれば、その間ばぁちゃんはずっと痛みに苦しむことになる。それは絶対に避けたい。
「……打って、時間を進めて、限界の前に引き抜いて時間を戻す。これなら、ばぁちゃんの怪我が悪化する『時間』は進まない」
俺はハンマーを握り、新しい鉄の楔を土間に打ち込んだ。
ここから、俺の孤独な徹夜の検証作業が始まった。
◇
「……これで、3回目の巻き戻しか」
楔を引き抜き、光に包まれ、再び同じ時間を繰り返す。
1時間、3時間、5時間と、鉄の楔を放置する時間を少しずつ延ばしながら、劣化の速度を調べていく。
ただ、この『検証ループ』には、ひとつだけ問題があった。
「レイ! いい加減にしてよ、少しは手伝って……きゃあっ!」
ドンッ!
楔を打ち込んでからちょうど15分後。
工房に怒鳴り込んできたセレナが、入り口に無造作に置かれた金床に躓き、盛大にすっ転ぶのだ。
「いっったぁ……もう、こんな所に金床置かないでよ!」
涙目で抗議する彼女の、露出の多い軽装の裾がめくれ上がり――白くて小さな布地と、19歳特有の、細身なのに意外と肉付きのいい太ももが、俺の視界に飛び込んでくる。
「あ、わりぃ。……ごくり」
「ちょっと! どこ見てんのよこのバカレイ!」
顔を真っ赤にしたセレナに金槌を投げつけられ、俺は慌てて目を逸らした。
……というのが、1回目のループ。
そして今、俺は4回目のループの中で、楔を打ってから14分が経過するのを待っていた。
(……来るぞ)
俺は作業台の前に立ち、腕を組んだ。
初回は偶然だった。2回目と3回目は検証の過程で避けられなかった。
だが4回目ともなれば、もういつ、どの角度で彼女が転ぶのか、完全に把握している。
「レイ! いい加減にしてよ、少しは手伝って……きゃあっ!」
ドンッ! という音と共に、セレナが宙を舞う。
俺はその瞬間、金床の右斜め45度――彼女が転倒した際、最も美しく、そして最も深い角度で視線が通る『特等席』にしゃがみ込み、落ちていた工具を拾うふりをした。
ひらり、と。
布地が翻る。
素晴らしい。さっきまでのループとは比べ物にならないほど、完璧なアングルだ。
細身なのに意外といい体をしている彼女の曲線美が、芸術的な構図で目に焼き付く。
俺はばぁちゃんを治すため、文字通り命を懸けている。
だが、それとこれとは話が別だ。
俺だって、一人の健康な男なのだから。
「いっったぁ……もう! ……って、あんたこんな下で何やってんのよ!」
「いや、ちょっと工具を落としてな。……今日もいい白だな、レナ」
「はぁっ!? 死ねっ!!」
顔を茹でダコのように真っ赤にしたセレナの蹴りが俺の顔面にクリーンヒットし、俺は盛大に吹っ飛んだ。
◇
――そして、7回目のループ。
「……わかったぞ」
顔面に残るセレナの蹴りの鈍痛を微かに思い出しながら、俺は土間に刺さる楔をじっと見つめていた。
試行錯誤の末、ついに一つの法則を掴んだのだ。
ただの鉄で打った楔は、約9時間で細かいひび割れが入り、10時間を超えると粉々に砕けてロード不可になる。
つまり、何か行動を起こすにしても、この10時間が俺の命の絶対的なタイムリミットだ。
ふと、背筋に冷たいものが走った。
「……本当に、こんな都合のいい能力でいいのか?」
これだけ時間を巻き戻し、無かったことにしているというのに、俺自身の身体には何の疲労も変化もない。
この狂った世界で、こんなヤバい能力が無償で使えるのだろうか。
俺が気づいていないだけで、この時間を弄ぶような行いには、とてつもない代償が伴うのではないか――。
そんな一抹の不安が、脳裏をよぎる。
だが、今は立ち止まっている暇はない。
考えている間にも、ばぁちゃんの足は痛み続けているんだ。
「……いや、待てよ」
短剣へ伸ばしかけた手を、俺はぴたりと止めた。
冷徹な現実主義としての俺の頭が、まだ致命的な検証不足だと警鐘を鳴らしていた。
俺が今まで検証したのは、すべてこの工房の中だけだ。
じゃあ、他の場所で打ち付けた場合でも、同じように時間は巻き戻るのか?
巻き戻る際、俺の身体はその打ち付けた場所に巻き戻るのか、それとも工房に戻されるのか?
分からないこと、試していない謎が、あまりにも多すぎる。
この不確定要素を抱えたまま、命懸けのダンジョンや裏仕事に飛び込むのは、ただの自殺志願者だ。
「金策に走る前に、もう一度だけ実験が必要だ。……今度は、外で」
俺はいくつかの鉄の楔を懐に押し込み、まだ夜が明けきらない静かな街へと歩き出した。
実践でこの力を使いこなすための、本当の検証が始まろうとしていた。




