第47話:最後の違和感
翌朝、工房へ入った俺は火床に火を入れるより先に作業台へ向かい、昨日からそこに置いたままになっている剣を手に取った。
刃はまだ仕上げていないものの、剣としての形はほとんど出来上がっている。
重心も最初に比べればかなり手元へ寄せてあり、俺が軽く振ってみた限りでは、普段作っている剣よりも取り回しやすいくらいだった。
それでも、昨日セレナに振らせた時に感じた僅かな違和感が、どうしても頭から離れない。
踏み込んで剣を振り抜くところまではいい。問題はその直後、次の一撃へ移ろうとする瞬間に、セレナの身体に対して剣先だけがほんの僅かに遅れていたことだ。
普通に使うだけなら、おそらく何の問題もない。武具屋へ並べる剣なら、俺だって気にせず完成させていただろう。
けれど、これはセレナのために作っている剣だ。
あいつの踏み込み方も、腰の回し方も、剣を振り抜いたあとにその勢いを殺さず次の動きへ繋げることも、ここ数日ずっと見てきた。
それなのに最後に僅かな引っかかりを残したまま渡してしまえば、何のためにここまでやったのか分からない。
「……やっぱり、俺が振っても分からないな」
試しに何度か振ってみたものの、昨日見た違和感を自分の手で再現することはできなかった。
当然と言えば当然だ。
これは俺の剣ではない。
俺は剣を作業台へ戻すと、セレナが来るまでに別の仕事を片づけることにした。
武具屋へ納める短剣を布で包み、研ぎ直しを頼まれていた二本も状態を確認しておく。
農具の仕事もまだ残っているし、ファミリアを結成するために必要な金貨一枚は、待っていたところで勝手に工房へ転がり込んでくるわけではない。
剣のことばかり考えて普段の仕事を止めてしまえば、それこそ本末転倒だ。
そうしてしばらく手を動かしていると、工房の外から聞き慣れた足音が近づいてきた。
「レイ、おはよ!」
入口から顔を覗かせたセレナは、俺が挨拶を返すより先に作業台の方へ視線を向けた。
「剣は?」
「おはようの次がそれかよ」
「だって気になるんだもん。それで、できた?」
「まだだ。昨日も、もう一回調整するって言っただろ」
「分かってるけど、レイのことだから朝のうちに完成させてたりしないかなって」
「残念だったな」
「えー」
露骨に不満そうな顔をするセレナの後ろから、今度はリリアが静かに工房へ入ってきた。
「おはようございます、レイン様」
「ああ、おはよう」
「レナさん、朝からずっと剣のことを話していました」
「ちょっと、リリア!」
「本当のことですから」
口元に小さな笑みを浮かべるリリアに、セレナが何やら抗議している。
リリアがここへ来たばかりの頃は、セレナと話す時にも相手の顔色を窺うようなところがあった。
それが今では、こんなふうに軽口を返すことも増えている。
二人が仲良くしてくれるのは、俺としてもありがたい。
「ちょうどいい。セレナ、昨日の剣をもう一度振ってくれないか」
「いいけど……まだ直してないんでしょ?」
「ああ。だから、どこを直せばいいのか確認したいんだよ。昨日は剣ばっかり見てたからな」
「私を見るの?」
「お前の剣を作ってるんだから当然だろ」
「……そういう意味じゃないんだけど」
「何が?」
「もういい」
なぜかセレナは少しだけ頬を赤くして、俺から剣を受け取った。
まだ刃をつけていないとはいえ、狭い工房の中で振らせるわけにはいかない。
三人で外へ出ると、周囲に人がいないことを確かめて十分な距離を取り、セレナに普段通り動いてもらうことにした。
「昨日と同じでいい?」
「ああ。ただ、今日は剣を気にしなくていいから、いつも通りに振ってくれ」
「分かった」
さっきまで子供みたいに完成を急かしていたセレナの表情が、剣を構えた途端に変わった。
地面を蹴って一気に間合いを詰め、その勢いを腰の回転へ乗せながら剣を横薙ぎに振り抜く。
そこで動きを止めることなく身体を返し、剣の軌道を次の一撃へと繋げていく一連の動きは、何度見ても俺には真似できそうにない。
「もう一回」
「いいよ」
二度目は正面からではなく、少し横へ移動して全身を見る。
三度目は剣先ではなく肩と肘を追い、四度目には腰から手首までの動きだけに意識を集中した。
「レイ、まだ?」
「悪い。もう一回だけ」
「さっきもそれ言わなかった?」
「今度こそ最後だ」
「ほんとかなあ」
文句を言いながらも、セレナは嫌がることなく再び構えてくれる。
地面を蹴り、腰を回し、腕から剣へと力を伝える。振り抜いた直後、身体が次の動作へ移るその瞬間まで目で追っていると、今まで剣先ばかり見ていたせいで気づかなかった小さな変化が見えた。
「あ……」
セレナの右手だ。
振り始める時には鍔に近い位置を強く握っているのに、横薙ぎを振り抜いて次の動きへ移る瞬間だけ、手の中で僅かに握り方が変わっている。
「セレナ、もういい」
「分かったの?」
「たぶん」
「また、たぶんって言った」
「まだ直してないんだから仕方ないだろ」
剣を返してもらい、今度はセレナの手と柄になる部分を交互に見る。
問題は剣先そのものではなかった。
昨日、セレナの手に触れて指の位置まで確認したというのに、俺が見ていたのは剣を止めた状態での握り方だけで、実際に戦っている時に手の中でどう動かしているのかまでは見ていなかったのだ。
「柄を変える」
「柄?」
「ああ。昨日考えてた形だと、お前が振り抜いたあとに少し邪魔になるみたいだ。最初に握った時だけじゃなくて、その後も動かしやすくしないと駄目だな」
「そんなのまで分かるの?」
「今分かったんだよ」
「じゃあ、また時間かかる?」
「大きく変えるわけじゃない。たぶん今日中にはできる」
「ほんと!?」
「だから近いって」
急に顔を寄せてきたセレナを押し返し、工房へ戻る。
昨日取った寸法を元に用意していた柄材は、そのまま使えそうだった。
最初に力を入れる位置と、振り抜いたあとに指が収まる位置が自然に繋がるよう少しずつ形を削り、握った時に引っかかりが出そうな部分を落としていく。
剣身も柄の変更に合わせて最後の調整を加えることにしたが、ここまで来れば昨日までのような迷いはなかった。
何を変えればいいのかが分かっているだけで、同じ作業でも手の進み方がまるで違う。
リリアは俺の手元を興味深そうに眺めながら、以前自分の杖を作った時のことを思い出したのか、時折セレナへ何か説明していた。
「レイン様は、私の杖を作ってくださった時も何度も確認してくださいました」
「そうなの?」
「はい。握りやすいか、魔力を流しやすいか、太さはどうかと何度も聞かれました」
「へえ……じゃあ、私と同じなんだ」
「そうですね」
なぜかセレナが少しだけ残念そうな顔をした。
「何だよ」
「別に」
「変なやつだな」
「レイには言われたくない」
意味が分からない。
そんな二人の声を聞きながら作業を続け、午前中いっぱいを使って最後の形を整えていった。
◇
昼を過ぎた頃、さすがに待っているだけでは暇になったらしく、セレナはリリアを連れて外へ出ていった。
俺としては静かになって助かったくらいだったが、しばらくすると二人はパンや干し肉、それに果物まで抱えて戻ってきた。
「はい、レイの分」
「俺のも買ってきたのか?」
「朝からずっとやってるじゃん。このままだと絶対食べないでしょ」
「もう少ししたら食べるつもりだった」
「それ、食べない人が言うやつ」
反論しようとしたところで、リリアまでセレナの味方をするように頷いた。
「レイン様、少し休まれた方がよろしいと思います」
「……分かったよ」
二対一では勝てそうにない。
仕方なく作業を止め、三人で簡単な昼食を取ることにした。
セレナは食事をしている間も何度も作業台の方を見ていて、そのたびに俺が「逃げないから食え」と言う羽目になった。
リリアはそんな俺たちを見て笑っていたが、自分の杖を作っていた時には似たようなものだった気もする。
食事を終えれば、あとは一気に仕上げるだけだった。
火床の温度を確認し、剣身へ最後の熱を入れる。焼き入れを終えたあとは歪みが出ていないことを慎重に確かめ、刃を研ぎ、鍔を取り付ける。
最後に何度も調整した柄を固定して握りを確かめると、昨日まで剥き出しだった剣身が、ようやく一本の武器として俺の手の中に収まった。
夕方が近づき、工房へ差し込む光が少しずつ傾き始めた頃、俺は完成した剣を作業台の上へ置いた。
何日も何十日もかけた大仕事というわけではない。
それでも、誰が使うのか分からない剣ではなく、最初から最後までセレナがどう握り、どう踏み込み、どう振るのかを考え続けて作った一本が、ようやく形になった。
俺はしばらくその剣を眺めてから、待ちくたびれたようにリリアと話しているセレナへ顔を向けた。
「セレナ」
名前を呼ぶと、セレナがすぐにこちらを振り返る。
「できた?」
その声に、今度は迷わず頷いた。
「ああ。できた」




