第44話:セレナのための剣
翌日。
朝食を終え、いつものように工房の土間へ鉄の楔を打ち込んでから作業場へ戻ると、俺は机の上に一枚の羊皮紙を広げた。
昨日までそこに描かれていたのは、リリアの杖の設計図だった。
今は違う。
紙の中央には一本の剣。
――になる予定の、まだ歪な線が引かれている。
「……分からん」
腕を組んで唸る。
剣そのものなら作ったことがある。
親父の工房にいた頃から数えれば、何本打ったかなんて覚えていない。短剣ほど数は多くないが、冒険者向けの長剣だって何度も作ったことがある。
それでも、いざセレナのための一本を考えようとすると、簡単には線を引けなかった。
長さ。
刃の厚み。
柄の太さ。
重心をどこへ置くか。
昨日まで使っていた剣をそのまま真似るだけなら難しくない。だが、それではわざわざ新しく作る意味がない。
「レイン様」
隣からリリアが設計図を覗き込む。
「昨日から、あまり進んでおられませんね」
「言うなよ」
「す、すみません」
「いや、本当のことだけどさ」
昨日の夜にも少し考えた。
今朝も早めに工房へ入って考えている。
それでも決められない。
セレナが速いことは知っている。
踏み込みが鋭く、相手の懐へ一気に入り込むことも、剣を振り切ったところで止まらず、そのまま次の動きへ繋げることも知っている。
何度も一緒に戦ってきたのだから当然だ。
けれど、それを知っていることと、剣の寸法に置き換えられることは別だった。
「……やっぱり見ないと駄目だな」
「見る、ですか?」
「実際に振ってるところ」
俺は羊皮紙を丸めた。
◇
街の外れにある草地へ着くと、先に待っていたセレナが腰へ手を当てた。
「遅い!」
「まだ約束の時間前だろ」
「私が先に来たんだから遅いの」
「無茶苦茶だな」
昔から俺たちが剣の練習や罠の試作に使っている場所だ。
少し前には、ここでリリアの付与魔法を何度も試した。
あの時はセレナとリリアの間にまだ微妙な距離があったが、今は二人並んで歩いていても、それを気にすることはなくなっている。
「それで?」
セレナが剣の柄へ手を置く。
「今日は私の剣を作るんでしょ?」
「今日は作らない」
「えっ」
「まず見る」
「……何を?」
「お前」
セレナの動きが止まった。
「レイ」
「何だよ」
「そういうの、もうちょっと言い方考えた方がいいと思う」
「だから戦い方だって」
横でリリアが口元を押さえている。
「リリアも笑うなよ」
「申し訳ありません」
まったく申し訳なさそうには見えない。
俺は持ってきた木箱を地面へ置き、中から木剣を一本取り出した。
「とりあえず普段通り動いてくれ。素振りでもいいし、あそこの木を敵だと思って斬ってもいい」
「それだけ?」
「それだけ。ただし俺が止めるまで続けて」
「分かった」
セレナが自分の剣を抜く。
さっきまでふざけていた表情が変わった。
腰を落とし、剣を構える。
次の瞬間、地面を蹴った。
速い。
分かっていたことだ。
何度も見ている。
それでも今日は、敵を見る時とは違う目でその動きを追った。
最初の踏み込み。
右足が地面を蹴り、身体が前へ出る。
そこから腰が回り、剣が横へ走った。
振り抜いたところで終わらない。
左足が前へ出る。
剣を返す。
今度は斜め下から斬り上げ、その勢いのまま身体を半回転させて距離を取る。
「もう一回」
「はいはい」
再び構える。
今度は足元だけを見る。
次は手。
その次は肩。
何度か繰り返しているうちに、これまで気にしていなかった部分が少しずつ見えてきた。
「レナ、ちょっと止まって」
「何?」
俺はセレナへ近づき、剣を握っている手を見る。
「いつもそこ持ってる?」
「そこって?」
「柄の位置。少し前だろ」
セレナは自分の手元を見た。
柄の中央ではない。
僅かだが鍔に近い位置を握っている。
「言われてみればそうかも」
「後ろまで使わないのか?」
「うーん……」
セレナが握る位置を後ろへずらし、何度か剣を振る。
すぐに首を傾げた。
「こっちは嫌」
「なんで?」
「なんか遅い」
俺も同じ剣を借りて振ってみる。
極端な差ではない。
けれどセレナは、柄の前寄りを握ることで剣を自分の身体に近い位置で扱っているらしい。
「じゃあ柄、今より少し短くてもいいか」
「短くしたら何か変わるの?」
「余計な長さが減る分、ほんの少し軽くなる。それに――」
そこで言葉を止めた。
まだ決めるのは早い。
「いや、もう少し見てからにする」
「またそれ?」
「リリアの杖で急いで痛い目見たんだよ」
セレナには、その言葉の本当の意味は分からない。
俺だけが知っていればいい。
セレナは不思議そうな顔をしたものの、それ以上は聞かなかった。
◇
何度目かの動きを見たところで、今度はリリアに頼んだ。
「一回、炎を付与してみてくれ」
「はい」
リリアが完成したばかりの杖を構える。
その姿を見ると、まだ少しだけ胸の奥がざわつく。
けれど杖は昨日何度も確認した。
今朝も異常がないことを見ている。
大丈夫だ。
「炎よ、その刃に宿りて、力を与えよ――【ファイアエンチャント】」
杖から伸びた淡い赤色の光が、セレナの剣へ流れ込む。
刀身が赤く輝いた。
「じゃあレナ。さっきと同じ」
「分かった!」
セレナが駆ける。
踏み込む。
横薙ぎ。
剣が空気を裂くたび、赤い光が軌跡を残した。
何度か振ったところで、リリアが声を上げる。
「レイン様」
「どうした?」
「少し気になることが」
俺はセレナを止めた。
リリアが剣へ近づく。
「何かおかしい?」
セレナが尋ねる。
「剣ではなくて……魔力です」
「魔力?」
「はい」
リリアは説明する言葉を探すように少し考えた。
「レナさんが最初に踏み込まれる時と、剣を振り抜かれる時に、付与した魔力の減りが少し大きいように感じます」
俺には見えない。
付与された光が多少揺れているようには見えるが、魔力そのものがどれだけ消費されているかまでは分からなかった。
「激しく使うと付与時間が短くなるって、前にも言ってたよな」
「はい。ただ……」
リリアがセレナの剣を見る。
「レナさんは、特に大きい気がします」
「私、使い方荒い?」
「そういう意味ではありません」
リリアが慌てる。
「一度の動きに使われる力が大きいのだと思います。踏み込んで、すぐに剣を振られますので」
「なるほどな……」
俺は腕を組んだ。
以前ここで付与魔法を試した時、セレナ自身が「剣が軽くなったわけではないけど、振った時にいつもより力が乗る」と言っていた。
あの時は付与魔法の効果ばかり見ていた。
でも今考えると、セレナの戦い方そのものと付与魔法の相性がいいのかもしれない。
一気に踏み込み、その勢いまで使って剣を振る。
なら、必要以上に重い剣を持たせるより、その動きを邪魔しない方がいい。
「レナ」
「何?」
「今の剣より少し軽くする」
「うん」
「重心も、もう少し手元に寄せたい」
セレナが首を傾げる。
「よく分かんないけど、それで強くなるの?」
「分からん」
「分からないの!?」
「作ってもないのに分かるかよ。ただ、お前は剣の重さで叩き潰す戦い方じゃない。今の剣より振った後に戻しやすくした方が、たぶん次の動きに繋げやすい」
言いながら、頭の中で少しずつ形が見えてくる。
刃を極端に薄くする必要はない。
軽くしたいからと耐久性を犠牲にすれば、実戦で使う武器として意味がない。
柄は僅かに短く。
鍔も大きなものはいらない。
重心は今より手元へ。
そして――。
俺はリリアを見る。
「付与魔法を使うことも前提にした方がいいかもしれない」
「私の魔法を、ですか?」
「ああ」
今までは剣と付与魔法を別々に考えていた。
剣は剣。
リリアの魔法は、それを強化するもの。
けれどこれから三人で戦うなら、最初からリリアの付与を受けることまで考えて剣を作ってもいい。
だからといって、魔石を埋め込んだり複雑な仕組みにするつもりはなかった。
今の俺にはまだ早い。
リリアの杖で学んだばかりなのに、いきなり剣まで魔法具にする気にはなれない。
まずは普通の剣として安全に使えるもの。
その上で、付与された時にもセレナの動きを邪魔しない一本にする。
それで十分だ。
「もう一回やろう」
セレナが呆れた顔をする。
「まだ見るの?」
「まだ」
「いつ作るのよ」
「納得したら」
「今日中に納得してよね」
「それは約束できない」
「レイ!」
今度はリリアがはっきり笑った。
◇
工房へ戻った頃には、昼をかなり過ぎていた。
俺は忘れないうちに羊皮紙へ数字を書き込んでいく。
今使っている剣の全長。
刃の長さ。
柄の長さ。
そこからどこを変えるか。
実際にセレナが動いているところを見た後では、朝まで何度考えても引けなかった線が不思議なくらい自然に引けた。
「こんな感じかな」
俺が呟くと、向かいに座っていたセレナが身を乗り出した。
「見せて」
「まだ途中」
「私の剣でしょ?」
「だから途中のを見せたくないんだよ」
羊皮紙を引こうとすると、セレナも端を掴んだ。
「ちょっとくらいいいじゃない」
「破れるだろ!」
「じゃあ離して」
「お前が離せ!」
しばらく引っ張り合っていると、隣でリリアが困ったように笑っていた。
「お二人は、本当に仲がよろしいのですね」
「よくない!」
「いい!」
俺とセレナの声が重なる。
「どっちだよ」
「レイが否定するからでしょ!」
何を怒っているのか分からない。
俺は羊皮紙を取り返し、作業台へ広げ直した。
その横には、午前中にばぁちゃんから渡された新しい仕事が置かれている。
農具の修繕。
武具屋から追加で頼まれた短剣。
どちらも終わらせれば金になる。
金貨一枚にはまだ遠いが、昨日よりは確実に近づく。
冒険者の依頼も受ける。
工房の仕事もする。
その合間に、セレナの剣を作る。
一度に全部やろうとすれば大変そうに見えるが、別に今日中に終わらせる必要はない。
ばぁちゃんの治療費を集めた時とは違う。
リリアを助けるために競売へ飛び込んだ時とも違う。
今回は、明日までに金貨一枚なければ誰かが死ぬわけじゃない。
今日できることをやって、明日また続きをやればいい。
そうやって積み上げた先に、俺たちのファミリアがあればいい。
「レイ」
考えていると、セレナが声をかけてきた。
「ん?」
「私の剣って、いくらくらいするの?」
「材料費?」
「そうじゃなくて。完成したら」
「完成したら?」
セレナが作業台に並んだ納品用の短剣を見る。
「レイ、剣とか短剣作って売ってるでしょ。だったら私の剣も、買わないと駄目なのかなって」
思ってもいなかった質問だった。
俺はセレナを見る。
「金取るつもりないけど」
「なんで?」
「なんでって……」
逆に聞かれて困る。
売り物の短剣なら値段を考える。
材料費がいくらで、どれくらい手間がかかって、それをいくらで納めるか。
けれどセレナの剣について、そんなことは一度も考えていなかった。
「これは売り物じゃないだろ」
セレナが黙った。
「お前に使わせるために作るんだから、売るわけない」
「……そっか」
急に声が小さくなる。
「何だよ」
「別に」
「いや、なんか顔赤くない?」
「赤くない!」
「赤いだろ」
「炉が暑いの!」
まだ火も入れていない炉を指差している。
意味が分からない。
俺が首を傾げていると、少し離れたところでリリアがこちらを見ていた。
目が合う。
なぜかリリアは小さく息を吐いてから、胸元の杖を抱き直した。
「……レイン様らしいです」
「何が?」
「何でもありません」
二人して何なんだ。
分からないまま設計図へ視線を戻す。
紙の上には、まだ完成していない一本の剣がある。
売るためのものではない。
誰かに評価してもらうためのものでもない。
セレナが握り、セレナが振り、これから先も俺たちと一緒に戦うための剣だ。
だからこそ、急いで完成させる必要はない。
まずは俺に作れる範囲で、こいつに一番合う一本を考える。
俺は朝よりもずっとはっきりした剣の輪郭へ、新しい線を一本書き加えた。




