第42話:ずっと大切に
「試してみましょうか?」
リリアが作業台の上に置かれた杖へ手を伸ばしかける。
「待った」
思わず止めた。
リリアの手が空中で止まる。
「……まだですか?」
「まだ」
形としては完成している。
それでも、作り終わったというだけで安全だと決めつけるつもりはなかった。
俺はまず魔石を目で確認し、固定部分に隙間がないか、魔鉄が設計通りの位置へ収まっているかを順番に確かめていった。
当然、まだ魔力すら流していないのだから異常があるはずはない。
それでも、ここで見つけられるものを見落としたまま先へ進むくらいなら、何度でも確認した方がいい。
一通り見終えてから、ようやく杖を手に取った。
「よし。最初はほんの少しだけ魔力を流してくれ」
リリアへ杖を渡す。
「はい」
「違和感があったらすぐ止める。少しでも熱くなったり、いつもと違う感じがしたら言ってくれ」
「分かりました」
リリアが杖を構える。
俺は少し離れたところから、先端に取り付けた魔石を凝視した。
やがてリリアの手から流れ込んだ魔力を受け、魔石の奥に淡い光が灯る。
「どう?」
「問題ありません」
「止めて」
「はい」
光が消えたところで杖を受け取り、魔石へ指先で触れる。
熱はなく、表面にも亀裂は見当たらない。
念のため魔鉄が露出している部分まで確認してみたが、変色や歪みもなかった。
「もう一回。さっきより少しだけ強く」
同じことを繰り返す。
魔力を流してもらい、一度止め、そのたびに杖の状態を確認する。
少しずつ流す量を増やしていけば、どの段階で魔石の温度が変わるのか、逃がしの経路がきちんと働いているのかも確認できる。
三度目を終えた頃には、さすがにリリアも困ったような顔をしていた。
「レイン様」
「何?」
「少し慎重すぎるような……」
「これくらいでいいんだよ」
「ですが、今のところ何も――」
「だからこそ確認するんだ」
思ったより強い声が出た。
リリアが目を丸くしたのを見て、俺はすぐに自分の口調がきつくなっていたことに気づく。
「……悪い」
「いえ」
何も起きないから大丈夫なのではない。
何も起きないことを確かめながら、一つずつ先へ進む。
昨日までの俺なら、こんな当たり前のことに時間を使うくらいなら、さっさと最大まで魔力を流して結果を見ようとしていただろう。
けれど今は、何も起きないことこそが一番大切だった。
道具なんだから、使うたびに作った人間が息を止めて見守らなければならないようでは困る。
誰が使っても、決められた範囲で普通に動き、普通に役目を果たす。
それを確認できて初めて、完成したと言えるのだと思う。
「次で付与魔法を試そう」
俺は作業台に置いてあった試し斬り用の安物の短剣を手に取った。
「いきなり全力はなし。普段使ってるくらいで頼む」
「はい」
リリアが杖を構える。
分かっている。
さっきまで何度も魔力を流し、異常がないことは確認した。
設計だって昨日から何度も見直したし、以前のように何が起きるか分からないまま試しているわけではない。
それでも、付与魔法の詠唱が始まると、俺は無意識に息を止めていた。
「炎よ、その刃に宿りて、力を与えよ――【ファイアエンチャント】」
杖の内部を淡い赤色の光が走った。
魔鉄を伝った魔力が魔石へ集まり、その一部が柄の外側へ伸びた細い経路へと分かれていく。
次の瞬間、俺が持っている短剣の刀身を赤い光が包んだ。
炎が静かに揺らめく。
俺は短剣ではなく、リリアの持つ杖を見ていた。
魔石の光は一定のままで、急激に強くなる様子はない。以前見たような細い亀裂も現れず、耳を澄ませても不自然な音は聞こえてこなかった。
数秒。
さらに数秒。
何も起きない。
ただ付与魔法が、当たり前のように発動している。
「……止めて」
リリアが魔力を止めると、短剣を包んでいた炎も静かに消えていった。
俺はすぐに杖を受け取ったが、さっきまでのように慌てて確認することはしなかった。
まず魔石へ触れ、次に固定部分と魔鉄を見る。魔石には僅かな温かさが残っていたものの、それは本に書かれていた正常な範囲内で、亀裂も変色も見当たらない。
ようやく胸の奥に溜まっていた息を吐き出した。
「リリア」
「はい」
「使ってみて、どうだった?」
俺が尋ねると、リリアはすぐには答えず、自分の手を見てから俺が持っている杖へ視線を移した。
「……不思議です」
「何が?」
「魔力が、引っかかりません」
「引っかからない?」
「はい。今まで使っていた杖は、魔力を流す時に少しだけ押し込むような感覚がありました。でもこれは……そのまま流れていくような感じがします」
昨日までなら、俺にはその説明の意味がほとんど分からなかっただろう。
けれど今なら少しだけ想像できる。
魔力が強くなるような特別な仕組みを入れたわけではない。
ただリリアが普段使う魔力量を基準にして、その力が途中で余計な抵抗を受けないよう経路を調整した。
その結果として、リリア自身が無理に魔力を押し込まなくても、必要な量が自然に魔石へ届くようになったのだろう。
「威力は?」
「今までと、それほど変わらないと思います」
「……そっか」
そこは少しだけ期待していた。
初めてまともに完成させた魔法具なのだから、もしかすると付与魔法の威力まで上がるんじゃないかと、心のどこかで都合のいいことを考えていたらしい。
俺が肩を落とすと、リリアが慌てたように首を振った。
「違います、レイン様」
「何が?」
「すごく使いやすいんです」
リリアは俺の手から杖を受け取ると、両手で握り直し、確かめるようにゆっくりと指を動かした。
「持った時もそうです。魔力を流した時も。今まで使った杖より、ずっと自然で……魔法を使うことだけに集中できる気がします」
威力そのものは変わらない。
それでも、使うたびに余計な力を込める必要がなくなり、魔法そのものへ集中できるのなら、それは十分に意味のある違いなのかもしれない。
少なくとも、俺が最初に考えていた「魔石を大きくすれば強くなる」なんて単純な発想よりは、ずっとリリアの役に立つものになった。
「私のために作ってくださった杖だから、でしょうか」
「そりゃまあ、リリアに合わせて作ったからな」
「私に……」
リリアが小さく呟く。
そのまま杖へ視線を落とし、しばらく何も言わなかった。
やがて胸元へ杖を抱き寄せる。
まるで誰かに取られないようにするというより、自分の手の中にあるものが本当に自分の物なのか、確かめるような抱き方だった。
「私だけの杖……」
その言葉を聞いて、ようやく気づいた。
俺にとってこれは、初めて完成させた魔法具だ。
何度も失敗し、調べ直し、ようやく形にできた一本という意味では、もちろん俺にとっても特別なものではある。
けれどリリアにとっては、たぶんそれだけじゃない。
誰かが使っていた物を与えられたわけでもなければ、奴隷として働くために持たされた道具でもない。どんな太さがいいのかを本人に聞き、どれくらいの魔力を使うのか一緒に考え、最初から最後までリリアが使うことだけを考えて作った。
それが彼女にとってどれほど珍しいことなのか、俺には全部は分からない。
ただ、杖を抱くリリアの表情を見ていれば、少なくとも作ってよかったとは思えた。
「気に入った?」
「はい」
返事は迷いのないものだった。
「とても」
「そっか」
高級な杖より強いわけじゃない。
特別な力が宿ったわけでもないし、鍛冶スキルすら持たない俺が、分からないことを一つずつ調べ、リリアと一緒に考えながら作っただけの杖だ。
それでも今は、それでいい。
「壊れたらまた――」
そこまで言って、口を止めた。
リリアが不思議そうに俺を見る。
「どうされました?」
「いや」
壊れたら、また作ればいい。
少し前までなら、それで終わっていただろう。
もちろん道具である以上、いつか壊れることはある。
どれだけ大切に使ったところで永久に使えるものなんてないし、その時が来れば新しい物を作ればいい。
けれど、だからといって壊れることを前提にする必要はない。
今日まで時間をかけて作ったこの一本を、まずは長く使えるようにしてやりたい。
「壊れないように、ちゃんと手入れしよう」
リリアの蒼い瞳が僅かに大きくなる。
それから、胸元に抱いた杖へ一度視線を落とし、柔らかく目を細めた。
「はい」
細い腕が、もう一度大切そうに杖を抱きしめる。
「大切にします。ずっと」
何度も失敗した。
知らないことを知らないまま進み、取り返しのつかないところまで行ったことも、俺だけは覚えている。
それでも一度立ち止まり、分からないことを調べ、使う本人と一緒に考えたことで、ようやく一本の杖を完成させることができた。
今はまだ、どこにでもありそうな一本に過ぎない。
特別な力があるわけでもなければ、誰かが見れば高値をつけるような代物でもない。
それでも、リリアが自分のために作られた杖を嬉しそうに抱いている姿を見ていると、初めて作った魔法具がこれでよかったと素直に思えた。
いつかこの杖を見返した時に、今日二人で作ったことを笑って思い出せればいい。
そんなことを考えながら、俺はようやく肩の力を抜いた。




