第41話:リリアの杖
翌朝。
朝食を終えた俺は工房へ入り、作業台の上に広げた羊皮紙をもう一度最初から確認していた。
昨日、リリアと二人で考えた杖の設計図だ。
中央を通る魔鉄は、以前の試作品より僅かに細くする。使用する魔石も大きくするのではなく、リリアが普段使う付与魔法の魔力量に合わせたものを選び、必要以上の魔力を溜め込まないようにする。
そして一番重要なのが、魔石へ流れ込んだ余剰魔力を外へ逃がすための経路だった。
紙の上に引かれた一本一本の線を指で追いながら、昨日買った本に描かれていた構造と何度も見比べる。
魔力を通す主経路、その途中から枝分かれする逃がしの経路、魔石の大きさと固定する位置。
自分なりに意味を理解した上で描いたつもりではあるが、こうして改めて見ていると、どこかにまだ見落としがあるような気がしてならない。
昨日の夜にも確認した。
今朝起きてからも、頭の中で何度か魔力の流れを辿ってみた。
それでも完全に不安が消えるわけではなかった。
「……大丈夫だよな」
思わず独り言が漏れた。
「レイン様」
すぐ横から声がして顔を上げると、リリアが俺と同じように設計図を覗き込んでいた。
近い。
いつからそこにいたのか、少し顔を動かせば頬が触れそうな距離に蒼い瞳がある。
「うおっ」
俺が思わず身体を引くと、リリアも驚いたように顔を上げた。
「す、すみません」
「いや、いいけど……いつからそこにいた?」
「少し前からです。お声をかけたのですが、レイン様が随分集中しておられましたので」
「そうだったのか」
どうやら全く気づいていなかったらしい。
俺は誤魔化すように設計図へ視線を戻した。
「リリアももう一回見てくれるか?」
「はい」
「ここから魔力が入るだろ。それで魔鉄を通って魔石へ流れる。こっちは昨日調べた余った魔力を逃がす方だ」
リリアが俺の指先を追うように設計図を見る。
「はい。昨日のものと同じですね」
「何か気になるところは?」
しばらく考え込んでいたリリアが、魔石の手前を指差した。
「ここなのですが……」
「うん?」
「私が付与魔法を使う時は、最初から最後まで同じ量の魔力を流しているわけではありません。発動させる瞬間だけ、少し強く魔力を流します」
「それってどのくらい違う?」
「感覚なので説明が難しいのですが……普段を十とするなら、十五くらいでしょうか」
「なるほど」
俺は設計図の横へ数字を書き込んだ。
こういう情報は本には載っていない。
魔法具そのものの構造や一般的な魔力の性質なら本で学べても、リリアが付与魔法を使う時にどれくらいの力を込め、どの瞬間に魔力が大きく動くのかまでは、実際に使っている本人に聞かなければ分からない。
昨日までの俺は、そんな当たり前のことにすら気づいていなかった。
「じゃあ最大十五が流れ込んでも、余裕があるようにしておいた方がいいな」
「ですが、私が失敗してもっと多く流してしまうこともあるかもしれません」
「だったら二十……いや、もう少し余裕を見るか」
俺が書き込んだ数字を消そうとすると、リリアが小さく笑った。
「何だよ?」
「いえ」
「気になるだろ」
「昨日までのレイン様とは、随分違うと思いまして」
言われて、俺の手が止まった。
「……そうか?」
「はい。以前なら、まず作ってみようと仰っていた気がします」
否定できなかった。
実際その通りだ。
とりあえず作ってみて、駄目なら直す。それでも駄目なら原因を考え、もう一度作ればいい。鍛冶屋の工房で育った俺にとって、それは決して間違った考え方ではなかった。
刃の形がおかしければ打ち直せばいいし、切れ味が悪ければ次に活かせばいい。
失敗した鉄を眺めながら親父が原因を考えている姿だって、子供の頃から何度も見てきた。
けれど魔法具は違う。
失敗した時に壊れるのが、作った物だけとは限らない。
「慎重なくらいでちょうどいいんだよ」
俺はそれだけ答えて、設計図へ向き直った。
リリアには分からないだろうし、わざわざ分からせる必要もない。
あの光景を覚えているのは俺だけで十分だ。
◇
確認を終えた俺は、ようやく木箱の蓋を開けた。
取り出したのは、昨日まで使っていたものと同じ種類の木材だった。
ただし今回は、いきなり魔鉄を埋め込む溝を掘ったりはしない。設計図だけを頼りに形を決めるのではなく、実際に使うリリアの手に合わせながら少しずつ仕上げていくつもりだった。
「ちょっと握ってみて」
「はい」
リリアが両手で木材を持つ。
まだ杖と呼べるような形ではなく、ただ細長く切り出しただけの木材だ。
「太いか?」
「少しだけ」
「どの辺?」
「ここが……」
リリアが握っている部分を示す。
俺はそこへ手を伸ばし、彼女の指の位置を確認した。
親指と人差し指の間。
中指から小指が触れている部分。
どこを削れば自然に握れるのか確かめるため、リリアの手の上から自分の手を重ねる。
「この辺か?」
「……はい」
返事が少し遅れた。
顔を上げると、リリアが俺の手を見つめていた。
「どうした?」
「い、いえ。何でもありません」
「痛かったか?」
「違います」
リリアは小さく首を振ったものの、手を離そうとはしなかった。
「……このままで大丈夫です」
「そっか」
俺はもう一度握り方を確認してから、木材を受け取った。
以前にも似たようなことをした気がするが、今日はリリアの方が少しだけ自然だった。
最初の頃なら身体に触れるだけでも緊張していたのだから、こういう距離にも少しずつ慣れてきたのかもしれない。
俺はそれ以上深く考えず、鉋を手に取った。
少し削ってはリリアに渡し、実際に握ってもらってから、また削る。
最初の杖を作った時より遥かに時間がかかる作業だったが、不思議と面倒には感じなかった。
削るたびに僅かずつ手の中へ収まりやすくなり、ただの細長い木材だったものが、少しずつリリアのための道具へ変わっていく。
「どう?」
「先ほどより持ちやすいです」
「じゃあ、もう少しここを落とすか」
「レイン様」
「ん?」
「私、そこは今のままの方が好きです」
俺は鉋を動かしかけた手を止めた。
以前のリリアなら、おそらくそんなことは言わなかった。
俺が削ると言えば、その方がいいのだと思って黙って頷いていたはずだ。
「分かった。じゃあ残そう」
「……はい」
ほんの僅かなことだった。
杖の太さを自分で選んだだけで、本人にしてみれば大した意味などないのかもしれない。
それでも、少し前まで何を尋ねても「レイン様がお決めになったのでしたら」と答えていたリリアが、自分のために作る杖について自分の好みを口にした。
その変化が、俺には少し嬉しかった。
◇
昼を挟み、作業は午後まで続いた。
杖の形が整ったところで、今度は内部へ魔鉄を通すための溝を慎重に掘っていく。
昨日までとは違い、一本の魔鉄だけを真っ直ぐ魔石へ繋げるわけではない。
主経路は魔石へ向かわせ、その途中からもう一本を枝分かれさせることで、魔石が受け止めきれなかった魔力を柄の外側へ逃がす。
昨日、本で知識を得てから店で実物を見たことで、ようやくその構造が何のために存在しているのかも理解できた。
だからといって、いきなり複雑な仕組みを真似るつもりはない。
今の俺に作れる範囲で、俺自身が構造を説明できるものにする。
分からない部分を残したまま高性能なものを目指すより、多少性能が低くても何が起きているのか把握できる方が、今はずっと大切だった。
やがて魔石を固定し、外側を整え終える。
俺は完成した杖を作業台の上へ置き、少し離れて全体を眺めた。
「……できた」
見た目だけなら、以前の試作品とそれほど変わらない。
華美な装飾が施されているわけでもなく、珍しい素材を使ったわけでもない。
店に並んでいた高級な杖と比べれば、見劣りするくらい地味な一本だ。
それでも俺にとっては、今まで作った三本とはまるで違う。
どこから魔力が入り、どの経路を通って魔石へ届き、余ったものがどこから逃げていくのか。
少なくとも今なら、この杖の中で起きることを一つずつ自分の言葉で説明できる。
作業台の上に置かれているのは、まだ一度も魔力を通していない杖だ。
だから、本当に完成したと言えるのかは分からない。
形にするところまではできた。
あとはこれが、俺たちの考えた通りに動いてくれるかどうか。
それを確かめる作業が残っている。
俺は杖へ伸ばしかけたリリアの手を見ながら、ゆっくり息を吐いた。
急ぐ必要はない。
今度は、一つずつ確かめればいい。




