第39話:取り返せない失敗
翌朝。
朝食を終えた俺は、いつものように工房の土間へ鉄の楔を打ち込んでから、昨日作った二本の試作品を作業台の上へ並べた。
一本目は魔力を流した瞬間、先端から火花が弾けた。
二本目はそこを改善できたものの、今度は魔石との接続部分で魔力が滞った。
どちらも失敗作だ。
けれど、原因らしきものは分かっている。昨日の作業を終えてからも頭の中で何度か構造を組み直し、三本目では魔鉄と魔石の接続部分を少し変えてみようと考えていた。
「今日はこれだな」
俺は作業台の脇へ置いていた新しい木材を手に取った。
「おはようございます、レイン様」
ちょうどその時、奥の部屋からリリアが姿を見せた。
「おはよう。ちょうど始めるところだ」
「もう杖を?」
「あぁ。昨日失敗したところを直してみようと思ってな」
そう答えると、リリアは嬉しそうに俺の隣へやってきた。昨日一日で随分と慣れたのか、今日は最初から作業台の横に置かれた丸椅子へ腰掛け、そこが自分の場所だとでもいうように自然に俺の手元を覗き込んでくる。
「昨日より良いものができそうですか?」
「たぶんな」
「たぶん、ですか?」
「作ってみないと分からないからな」
俺が笑うと、リリアも小さく笑った。
「では、今日もお手伝いさせてください」
「もちろん。そのつもりだ」
昨日と同じように俺が作り、リリアが実際に握って魔力を流し、感触を確かめる。そこで問題が見つかれば直して、また試せばいい。
それを繰り返していけば、いずれ完成する。
少なくとも、この時の俺はそう思っていた。
◇
三本目の製作は、昨日までよりずっと順調だった。
木材の太さは、すでにリリアの手に合わせてある。昨日、何度も握ってもらったおかげで、どの辺りを細くすれば指が自然に回るのかも分かっていた。
魔鉄も一本目より細いものを使い、問題だった魔石との接続部分には僅かな隙間を設けて、魔力が一箇所へ集中しないよう形を変えている。
もちろん、これが正しいという確証があるわけではない。
俺は魔法具職人ではないし、杖を作るのも今回が初めてだ。それでも二度の失敗から問題点を探し、それを一つずつ修正している以上、昨日よりは確実に良くなっているはずだった。
「よし」
昼前には、おおよその形が出来上がった。
見た目だけなら、それなりに杖らしくなっている。
「リリア、持ってみて」
「はい」
リリアが杖を受け取り、何度か握り直してから軽く振った。
「すごく持ちやすいです」
「昨日より?」
「はい。今使っている杖よりも、こちらの方が手に馴染むくらいです」
「本当か?」
思わず笑みがこぼれた。
まだ魔力を通していないとはいえ、自分で作ったものをそう言ってもらえるのは素直に嬉しい。
「じゃあ、次は魔力だな」
「はい」
リリアが杖を両手で握る。
俺はその正面へ回り、魔石と魔鉄の接続部分を確認できる位置に立った。
「最初はほんの少しでいい。昨日よりゆっくり流してくれ」
「分かりました」
リリアが目を閉じると、やがて先端に埋め込んだ魔石が淡く光り始めた。
俺は接続部分へ目を凝らす。
昨日のような火花は出ない。魔鉄が異常に熱を持つ様子もなく、魔力はそのまま魔石へ流れ込んでいるように見えた。
「そのまま」
「はい」
魔石の光が少し強くなる。
それでも異常はない。
「……いけるかもしれないな」
思わず呟くと、リリアもゆっくり目を開いた。
「昨日より、ずっと流しやすいです。魔力が杖の中を真っ直ぐ通っていくような……そんな感じがします」
成功。
その言葉が頭に浮かんだ。
まだ完成とは言えないが、少なくとも昨日の二本より明らかに良い。
「もう少しだけ出力を上げられるか?」
「やってみます」
リリアが再び杖へ意識を集中させる。
魔石の光がさらに強くなる。
それでも問題は起きない。
俺は接続部分へ顔を近づけた。
昨日までの失敗が、ちゃんと次へ繋がっている。
そう思った。
その瞬間だった。
――ピシッ。
小さな音がした。
「……ん?」
何の音だ?
魔石へ目を凝らすと、その表面に髪の毛ほどの細い亀裂が走っていた。
「リリア、止め――」
言い終えるより早く、魔石の光が一気に膨れ上がった。
「え――」
リリアが目を見開く。
「離せ!!」
俺は咄嗟に手を伸ばした。
杖を叩き落とそうとする。
だが。
間に合わなかった。
轟音。
目の前が真っ白になった。
◇
耳鳴りがしていた。
何も聞こえない。
焦げ臭い匂いが鼻を刺し、口の中には鉄の味が広がっている。自分がどこにいるのかさえ一瞬分からなかったが、床に倒れた身体を起こそうとしたところで全身に痛みが走り、直前の光景が一気に蘇った。
杖。
魔石。
亀裂。
「リリア……?」
声が上手く出なかった。
工房の中には薄い煙が立ち込め、作業台は横倒しになり、木片や工具が床一面に散らばっている。
「リリア!」
返事がない。
嫌な予感がした。
「リリア!!」
煙の向こう。
倒れた作業台の近くに、銀色の髪が見えた。
駆け寄る。
リリアが仰向けに倒れていた。服はところどころ焼け、白い肌には血が滲んでいる。
「おい、リリア。起きろ」
身体を抱き起こす。
反応がない。
「リリア!」
頬を叩いても返事はない。
胸に耳を当てる。
何も聞こえない。
「……嘘だろ」
首筋へ指を当てる。
脈がない。
場所が悪かっただけだと思い、何度も位置を変えて探した。
それでも。
何も感じない。
「……起きろよ」
抱き上げた身体から力が抜けている。
昨日まで俺の隣で笑っていた。
今朝だって、俺が作る杖を楽しみにしていた。
そのリリアが、動かない。
「俺が……殺した……?」
床に転がった杖の残骸が目に入った。
先端部分は完全に砕け、魔石は跡形もない。
魔物じゃない。
奴隷商人でもない。
俺だ。
俺が作った杖で、リリアを殺した。
「俺……何やってんだよ……」
震える手でリリアの身体を抱き締めた。
昨日、自分が言った言葉が頭に蘇る。
失敗したら、また作る。
また失敗したら、また作る。
確かに俺は、そんなことを当たり前のように言った。
けれど、作り直せるのは杖だけだ。
リリアは作り直せない。
俺は剣を作れる。短剣も作れるし、罠だって作ってきた。だから杖だって構造を見て、それらしい材料を揃えれば作れるのだと、どこかで安易に考えていた。
だが俺は、魔法具について何も知らない。
魔力がどう流れるのか。
どこに溜まり、逃げ場を失えば何が起こるのか。
魔石がどれほどの魔力に耐えられるのか。
何一つ知らないまま杖を作り、それをリリアに握らせた。
「……ごめん」
返事はない。
俺は腕の中のリリアを抱き締めたまま、しばらく動くことができなかった。
やがて、今朝自分で打ち込んだ楔へ視線を向けた。
戻れる。
この事故が起きる前へ。
俺はリリアの身体をそっと床へ寝かせると、痛む身体を引きずりながら土間へ向かい、鉄の楔の柄を握った。
迷う理由なんてなかった。
「ロード……!」
楔を引き抜いた瞬間、世界が歪んだ。
◇
気がつくと、俺は工房の土間に立っていた。
目の前には、今しがた打ち込んだばかりの鉄の楔。
戻った。
俺はすぐに奥の部屋へ視線を向けた。
「おはようございます、レイン様」
聞き慣れた声とともに、リリアが姿を見せた。
生きている。
さっきまで腕の中で動かなくなっていた少女が、何事もなかったように俺の前へ立っている。
「レイン様?」
気づけば、俺はリリアを抱き締めていた。
「きゃっ……! レ、レイン様……?」
細い身体が腕の中に収まる。
温かい。
ちゃんと息をしている。
「……よかった」
「え?」
「よかった……」
それしか言えなかった。
しばらくして自分が何をしているのかに気づき、慌てて身体を離す。
「……悪い」
「い、いえ……」
リリアは真っ赤になっていたが、俺の顔を見るとすぐに表情を変えた。
「レイン様。手が……」
言われて初めて、自分の手が震えていることに気づいた。
「大丈夫だ」
反射的に答えた俺の手を、リリアがそっと両手で包み込む。
「何があったのか、私には分かりません。ですが……大丈夫です。私はここにおります」
その言葉が胸に突き刺さった。
リリアは何も知らない。自分が死んだことも、俺が殺したことも知らない。それでも小さな手から伝わってくる温かさは確かで、俺が本当にあの最悪の結末から戻ってこられたのだということを実感させてくれた。
「……ありがとう」
俺はリリアの手を握り返した。
「レイン様?」
「杖作りは、一度やめる」
「え……?」
俺は作業台に置かれた材料へ目を向けた。
今までなら、どう組み合わせれば上手くいくのかしか考えていなかった木材や魔鉄、そして小さな魔石が、今はまるで別のものに見える。
「俺は簡単に考えすぎてた。剣を作れるから、短剣を作れるから、構造を見れば杖だって作れると思ってた。でも違った」
出来の悪い剣なら切れないし、重心を間違えた短剣なら使いにくい。それなら直せばいい。
だが魔法具は違う。
扱いを間違えれば、使う人間の命まで奪う。
「知らないまま触っていいものじゃなかったんだ」
リリアは理由を尋ねなかった。
ただ、俺の話を静かに聞いている。
「だから、ちゃんと勉強する。魔力について、魔石について、魔法具の構造について。何が危険で、何をしてはいけないのか。それを理解してから、もう一度作る」
「……はい」
「今度は俺自身が大丈夫だと思えるものを作ってから、リリアに渡す」
少しの沈黙の後、リリアが俺の手をもう一度握った。
「分かりました。私は待ちます」
「悪いな。楽しみにしてただろ」
「はい。楽しみにしております」
「……今じゃなくても?」
「いつでも同じです。レイン様が、私のために作ってくださるのでしょう?」
「あぁ」
「でしたら、待ちます」
リリアは柔らかく微笑んだ。
俺は作業台に並べていた材料を箱へ戻し、最後に魔石をしまって蓋を閉じた。
失敗して、原因を考え、次へ進む。
その考え自体は、きっと間違っていない。
けれど世の中には、失敗してからでは遅いことがある。知らなかったでは済まされないこともあるのだと、俺は自分の手でリリアを殺して、ようやく思い知らされた。
今回は時の楔があった。
朝に戻り、リリアを取り戻すことができた。
だが、いつでも戻れるとは限らない。
ばぁちゃんの時のように、戻りたくても戻れないことだってある。
だったら、この力があるから失敗してもいいんじゃない。
失敗した時に戻れるからこそ、戻らなくて済むように考えなければならない。
俺は閉じた箱の上へ手を置いた。
次にこれを開ける時は、ちゃんと知ってからだ。
もう二度と、俺の無知で大切な誰かを殺さないために。




