第38話:二人で作る杖
武具屋を出た後、俺たちは杖作りに使えそうな材料をいくつか買い集め、そのまま工房へ戻ってきた。
時刻はまだ午後。
朝から森へ出てコボルトを討伐し、ギルドで報酬を受け取った後にはリリアの服や装備まで見て回ったのだから、今日一日だけでも随分と色々なことをした気がする。
さすがにリリアも疲れているだろう。
本格的に杖を作るのは明日からでもいい。
俺自身、最初はそのつもりだった。
「じゃあ私は帰るわね。明日また来るから」
工房の前で、セレナが大きく伸びをする。
「おう。今日はありがとな」
「別にいいわよ。それよりレイ、本当に杖なんて作れるの?」
「だから、やってみないと分からないって言っただろ」
「材料全部ダメにして、結局買った方が安かったなんてことにならないでしょうね」
「縁起でもないこと言うなよ」
「ふふっ」
俺たちのやり取りを聞いていたリリアが、小さく笑う。
セレナはそんなリリアへ視線を向けると、少しだけ表情を柔らかくした。
「じゃあね、リリアちゃん。今日はちゃんと休みなさいよ」
「はい。ありがとうございました、レナさん」
「……まあ、それはそのうちでいいか」
セレナは何やら諦めたように呟くと、そのまま片手を振って帰っていった。
工房の扉を閉める。
途端に、それまで三人だった空間が妙に静かになった。
ばぁちゃんは買い物に出ているらしく、今は家にも工房にも俺とリリアしかいない。
「さて」
俺は買ってきた材料を作業台へ並べた。
魔力を比較的通しやすい木材。
細い魔鉄の棒。
先端へ取り付けるための小さな魔石。
どれも高級品ではない。
武具屋で見た杖と同じ品質の素材を揃えようとすれば、それだけで俺たちの財布が空になってしまう。
だから今買える範囲で、できるだけ性質の近いものを選んできた。
「今日はもう疲れただろ。リリアは休んでていいぞ」
「……杖は作られないのですか?」
「作るけど、明日からでもいいかなって」
そう答えた瞬間、リリアが明らかに残念そうな顔をした。
ほんの一瞬だった。
けれど、最近少しずつ表情が増えてきたせいか、以前よりも考えていることが分かりやすくなっている。
「作ってほしいのか?」
「えっ」
「杖」
「そ、それは……もちろん嬉しいですが……」
リリアは少し迷った後、胸の前で指を絡ませた。
「もしご迷惑でなければ……私も見ていてよろしいでしょうか」
「見るだけ?」
「できることがあるなら、お手伝いもしたいです」
「今日あれだけ疲れたのに?」
「大丈夫です」
今度の大丈夫は、無理をしているようには聞こえなかった。
むしろ俺が作業を始めるのを楽しみにしているように見える。
「分かった。ただし、疲れたらすぐ休めよ」
「はい!」
返事が妙に嬉しそうだった。
俺は苦笑しながら、作業台の前へ椅子をもう一脚持ってきた。
◇
「まず問題なのは、俺が杖を作ったことがないってことだな」
「……そこからなのですね」
「そこからだ」
俺は堂々と言った。
剣なら何本も打ってきた。
短剣も、ナイフも、簡単な罠に使う金具も作れる。
けれど魔法使いの杖となれば話は別だ。
形だけなら木を削ればいい。
問題は、その中を魔力がどう流れるかだった。
武具屋で見た杖には、木材の中心を通るように細い魔鉄が仕込まれていた。その先に魔石を繋ぎ、使用者から流れ込んだ魔力を先端へ導く構造になっていたはずだ。
理屈としては分かる。
だが、実際にどれくらいの太さの魔鉄を使えばいいのか。
魔石とどの程度密着させればいいのか。
それだけでも分からないことだらけだった。
「とりあえず作ってみるか」
「はい」
まずは木材をリリアの今の杖より少し長めに切り、表面を削って形を整えていく。
シュッ、シュッ、と刃物が木を削る音が工房に響く。
俺が作業をしている間、リリアはすぐ横の椅子に座り、じっと手元を見つめていた。
「そんなに見られるとやりにくいんだけど」
「す、すみません」
「いや、見てていいけどさ」
リリアは少し恥ずかしそうにしながらも、視線を逸らさなかった。
やがて大まかな形ができたところで、俺は杖を差し出した。
「握ってみて」
「はい」
リリアが受け取る。
何度か握り直し、軽く振ってみる。
「どう?」
「少し……太いかもしれません」
「どの辺?」
「この辺りが……」
リリアが柄の中央を指差す。
俺は杖を受け取ろうとしたが、ふと思い直した。
「そのまま持ってて」
「はい?」
「実際に握った状態を見た方が早い」
俺はリリアの手元へ身体を寄せた。
細い指が杖を包んでいる。
確かに俺が自分の手を基準に削ったせいか、リリアには少し太い。
「ここか」
俺はリリアの手の上から、自分の手を重ねるようにして杖を握った。
「……っ」
リリアの肩が僅かに跳ねた。
「ん?」
「い、いえ。なんでもありません」
「ここが余ってるな。もう少し削った方が指を回しやすそうだ」
俺は指の位置を確かめるため、彼女の手を軽く動かした。
リリアの手は俺よりずっと小さい。
この手で今まであの杖を使っていたのかと思うと、武具というのは単純に性能が良ければいいわけではないのだと改めて感じる。
使う人間に合っていなければ意味がない。
「リリア?」
「……はい」
「聞いてる?」
「き、聞いております」
返事が少し上ずっている。
疲れているのだろうか。
俺は手を離し、杖を受け取った。
その瞬間、リリアが自分の手を胸元へ引き寄せた。
俺にはよく分からなかったが、なぜか頬が少し赤くなっている。
「やっぱり疲れてるんじゃないか?」
「違います!」
思ったより強く否定された。
「そ、そうか」
「はい……」
リリアは自分の手を見つめた。
先ほどまで森を歩いた疲れが残っていたはずなのに、不思議と少しだけ身体が軽くなったような気がしていた。
レインの手が重なった。
ただ、それだけなのに。
胸の奥がほんのりと温かくなって、もう少し頑張れそうな気がする。
その理由を考えようとして、リリアは慌てて小さく首を振った。
「どうした?」
「なんでもありません」
「変な奴だな」
「レイン様には言われたくありません」
「俺、そんなに変か?」
「……少しだけ」
「ひどいな」
リリアが小さく笑った。
◇
削り直した木材へ細い穴を通し、その中へ魔鉄を差し込む。
ここからが本番だった。
「一回、魔力を流してみてくれ」
「もうですか?」
「魔石はまだ付けない。ちゃんと魔鉄まで魔力が流れるかだけ確認したい」
「分かりました」
リリアが試作品を握る。
俺は魔鉄の先端へ指を添えた。
「ゆっくりでいいぞ」
「はい」
リリアが目を閉じる。
次の瞬間。
「熱っ!」
俺は思わず手を離した。
魔鉄の先端から、小さな赤い火花が弾ける。
「レイン様!?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと熱かっただけ」
指先を見る。
火傷というほどではない。
だが、明らかにおかしい。
「……失敗だな」
「私の魔力の流し方が悪かったのでしょうか」
「いや。たぶん魔鉄の太さか、木材との間隔が悪い。リリアのせいじゃない」
俺は試作品を作業台へ置き、構造を確認する。
魔力を通すこと自体はできている。
ただ、途中で流れが乱れ、最後に一気に放出されてしまったらしい。
「もう一回作り直す」
「ですが、材料が……」
「これくらいならまだある」
「私のために、そんなに使っていただかなくても……」
「何言ってるんだ」
俺は失敗した杖を持ち上げた。
「失敗したのは俺だろ」
「でも……」
「それに、今ので一個分かった」
「何がですか?」
「この太さの魔鉄じゃ、リリアの魔力を綺麗に流せないってこと」
失敗したからこそ分かったことだ。
なら、完全な無駄ではない。
「次はもう少し細くする。それでもダメなら、今度は魔石との繋ぎ方を変える」
「また失敗したら……?」
「また直す」
「それでも駄目でしたら?」
「また作る」
俺が当たり前のように答えると、リリアは黙って俺を見つめた。
「どうした?」
「……レイン様は、嫌にならないのですか?」
「何が?」
「失敗することが」
その問いに、俺は少し考えた。
もちろん、失敗して嬉しいわけじゃない。
材料は無駄になるし、時間だってかかる。
兄のように一度で上手く作れるなら、その方がいいに決まっている。
それでも。
「次に同じ失敗をしなきゃいいだろ」
俺はそう答えた。
「一回目より二回目。二回目より三回目。少しでも良くなってれば、そのうち完成する」
それは鍛冶だけの話ではない。
俺は今まで、何度も失敗してきた。
試験でも。
戦いでも。
時の楔を使った時でさえ、一度で全部上手くいったことなんてほとんどない。
失敗して、覚えて、次に変える。
結局、俺にできるのはそれだけなのだ。
「だからリリアも、さっきみたいに魔法が一回出なかったくらいで落ち込むなよ」
「……はい」
リリアは小さく頷いた。
その表情は、どこか嬉しそうだった。
◇
二本目の試作に取りかかる。
今度は魔鉄をさらに細く加工し、木材の中心へ慎重に通した。
問題は、リリアが握った時の感触だ。
一度目より細く削ったつもりだったが、実際に使う本人に確かめてもらわなければ分からない。
「リリア、もう一回」
「はい」
リリアが杖を握る。
「さっきよりどう?」
「かなり持ちやすいです。ただ……」
「ただ?」
「もうほんの少しだけ、ここが細い方が……」
リリアが指を動かす。
俺は横から覗き込み、その位置を確認した。
「ここ?」
「あ……」
また俺の指がリリアの指へ触れた。
今度はほんの一瞬だった。
けれど、リリアは先ほどよりはっきりと自分の胸が跳ねるのを感じた。
指先に残ったレインの体温。
さっきもそうだった。
触れられると、不思議と嬉しい。
疲れているはずなのに、もう少しこの杖作りを続けていたいと思ってしまう。
「……リリア?」
「はいっ」
「だからここで合ってる?」
「あ、はい。そこです」
「じゃあ少し削る」
レインは何事もなかったように作業へ戻っていく。
その横顔を見ながら、リリアは自分の指先をそっと握った。
なんなのだろう。
レイン様に触れていると、安心する。
それは分かる。
あの人のそばなら、もう誰かに殴られることも、売られることもない。
そういう安心感なのだと思っていた。
けれど今感じているものは、それだけとは少し違う気がした。
胸の奥が温かい。
もっと近くにいたい。
もう一度触れたら、もっと元気になれるような気さえする。
「……変ですね」
「何が?」
「な、なんでもありません!」
「さっきからそればっかりだな」
レインが笑う。
その笑顔を見ただけで、また少し嬉しくなる。
リリア自身にも、まだその感情の正体は分からなかった。
◇
二本目も完成には至らなかった。
最初より魔力は綺麗に流れたものの、今度は先端へ取り付けた魔石との接続部分で魔力が滞った。
無理に流せば魔石が割れる可能性がある。
「今日はここまでだな」
俺は試作品を作業台へ置いた。
窓の外を見ると、いつの間にか陽が傾き始めている。
「もう少しできます」
「ダメ」
「ですが……」
「今日は森にも行っただろ。俺も疲れた」
そう言うと、リリアはようやく納得したようだった。
「……分かりました」
作業台の上には二本の失敗作。
一本目は魔力が最後に暴れた。
二本目は魔石との接続が上手くいかなかった。
完成品と呼べるものは、一つもない。
それでも、始める前より分かったことは多い。
「明日はここからだな」
俺が二本目の杖を持ち上げると、リリアがその隣へ並んだ。
「レイン様」
「ん?」
「ありがとうございます」
「まだ完成してないぞ」
「それでも、です」
リリアは失敗した二本の杖を見つめた。
「私のために、こんなに考えてくださって……何度失敗しても、また作ると言ってくださって」
「俺が作りたいだけだよ」
「それでも嬉しいです」
そう言って、リリアが微笑む。
俺にはまだ、その言葉の意味がよく分からなかった。
ただ、そんなに喜んでもらえるなら、明日は今日より少しくらい良いものを作りたいと思う。
「じゃあ、明日は三本目だ」
「はい」
「次は魔石の取り付け方を変える」
「私もお手伝いします」
「あぁ。頼む」
俺がそう言って手を差し出すと、リリアは一瞬だけその手を見つめた。
それから、少し嬉しそうに俺の手を握った。
「……はい。レイン様」
作業の続きを約束するだけの、何でもない握手だった。
けれどリリアは、すぐにはその手を離さなかった。
俺の手から伝わってくる温かさを感じていると、今日一日の疲れがほんの少しだけ遠ざかっていくような気がしたからだ。
そして俺も、リリアが離さないので、なんとなくそのままにしていた。
作業台の上には、完成には程遠い二本の杖。
まだ失敗ばかりだ。
それでも明日になれば、今日より少しは良いものが作れる。
今はそれで十分だった。




