第37話:初めての報酬
東の森でコボルト四体の討伐を終えた俺たちは、予定よりも早く街へ戻ってきた。
森を出た時点ではまだ昼前だったため、街の東門をくぐる頃になっても太陽は高い位置にある。
行きと違い、帰り道では三人とも少し疲れていた。
特にリリアは初めての実戦だったこともあり、歩幅こそ乱れてはいないものの、時折大きく息を吐いている。それでも表情には不思議と達成感のようなものが残っていて、朝にギルドへ向かっていた時よりもずっと明るく見えた。
「疲れたか?」
俺が尋ねると、リリアは一瞬だけ迷ってから頷いた。
「少しだけ……。でも、大丈夫です」
「今日は初めてだったんだ。疲れて当然だろ」
「はい」
短い返事だったが、無理に平気なふりをしなかったことが少し嬉しい。
以前のリリアなら、俺に心配をかけまいとして「大丈夫です」と言い切っていたかもしれない。ほんのわずかではあるものの、自分の状態をそのまま口にできるようになっている。
「それにしても、レイ」
少し前を歩いていたセレナが振り返った。
「本当にもう帰ってきちゃったわね。まだ昼なのに」
「だから言っただろ。今日はリリアの実戦経験が目的だったんだ。依頼数も達成したし、無理して続ける必要はない」
「分かってるけどさ。せっかく森まで行ったんだから、もうちょっと狩っても良かったのに」
「そうやって欲張るから危ないんだよ」
「私はまだ全然動けたわよ」
「リリアは初めてだろ」
俺がそう言うと、セレナはちらりとリリアを見る。
リリアは申し訳なさそうに肩を縮めた。
「すみません。私のせいで……」
「ほら」
俺はセレナを見る。
「お前がそういう言い方するから」
「私のせいなの!?」
「違うのか?」
「違うわよ!」
いつもの調子で言い合う俺たちを見て、リリアが小さく笑った。
朝から何度目か分からないその笑顔も、少しずつ自然なものになっている気がした。
◇
冒険者ギルドへ戻ると、昼を過ぎたばかりだというのに中は相変わらず騒がしかった。
朝から依頼へ出ていた冒険者たちの中には、すでに仕事を終えて戻ってきた者もいるらしい。受付前にはいくつか列ができており、併設された酒場では早くも昼食と一緒に酒を飲んでいる者までいた。
俺たちは比較的空いている列へ並び、順番を待つ。
やがて受付へ依頼書を提出し、討伐証明とコボルトから回収した魔石を差し出すと、受付嬢は慣れた手つきで確認を始めた。
「東の森浅層部、コボルトの間引きですね。討伐数は四体。規定数を満たしていますので、依頼達成となります」
「よし」
分かっていたことではあるが、正式に認められるとやはり少し嬉しい。
さらに魔石の査定も終わり、依頼報酬と合わせた硬貨の入った小袋がカウンターへ置かれた。
競売で金貨六十枚を使った時と比べれば、小さな金額だ。
けれど今の俺たちにとっては大切な収入だった。
何より、今日の金は三人で依頼へ行き、三人で無事に帰ってきた結果として得たものだ。
俺は中身を確認すると、その場で三つに分けた。
「ほら」
一つをリリアへ差し出す。
リリアは俺の手のひらに乗った硬貨を見て、きょとんとした。
「……これは?」
「リリアの分」
「私の……ですか?」
「あぁ。三人で働いたんだから、三人で分ける」
リリアはすぐには受け取らなかった。
俺の手と顔を何度も見比べ、困ったように眉を下げる。
「ですが……私はレイン様に買っていただいた身です。それに、食事も寝る場所もすべて用意していただいています。このお金までいただく理由は……」
予想していた反応だった。
長い間、働いて得たものが自分のものになる生活をしてこなかったのだ。数日一緒に暮らした程度で、その感覚が簡単に変わるはずもない。
「昨日も言っただろ。俺はリリアを奴隷として働かせたいわけじゃない」
「それは、分かっています」
「だったら、働いた分を受け取るのも練習だ」
「練習……?」
「自分で働いて、自分で稼いで、自分で使う。その練習」
リリアはまだ迷っている。
そこへセレナが横から口を挟んだ。
「もらっときなさいよ、リリアちゃん」
「ですが……」
「レイ、こういうところだけは無駄に頑固だから。たぶん受け取るまでずっとその手出してるわよ」
「無駄は余計だ」
「違うの?」
「……違わないけど」
セレナは得意げに笑った。
リリアはもう一度硬貨を見つめ、ようやく恐る恐る両手を差し出した。
俺はその手のひらへ硬貨を載せる。
まるで壊れやすいものでも扱うように、リリアは大切そうに両手で包み込んだ。
「……本当に、私が持っていてもよろしいのですか?」
「もちろん」
「使ってしまっても?」
「リリアの金なんだから好きに使え」
「……ありがとうございます」
しばらく見つめていた後、リリアは硬貨を胸元へ寄せた。
「大切に使います」
「それならいい」
ほんの少額でも、リリアにとっては初めて自分の意思で使える金なのだろう。
無理に全部使わせる必要もない。
今は受け取れただけで十分だと思った。
「じゃあ私は串焼き買おっと」
横でセレナが自分の取り分を数え始める。
「お前は少し貯めることを覚えろ」
「自分のお金なんだから好きに使っていいって、今レイが言ったじゃない」
「……確かに」
また言い返せなくなった。
◇
ギルドを出た後、俺たちはそのまま商店の並ぶ通りへ向かった。
時刻はまだ昼過ぎ。
今日は依頼を早めに切り上げたおかげで、店を回る時間は十分に残っている。
まず必要なのはリリアの服だった。
今着ている服は、ばぁちゃんが破れた部分を繕ってくれたとはいえ、元々かなり傷んでいる。普段着としても替えが必要だし、今後森へ出るなら動きやすい服も欲しい。
古着も扱っている店へ入ると、真っ先に動いたのはセレナだった。
「リリアちゃん、これ!」
「えっ?」
「絶対似合う!」
セレナが手に取ったのは、淡い色の上着と動きやすそうなスカートだった。
「レナ。まず冒険用の服を――」
「これは普段着よ」
「普段着?」
「だってリリアちゃん、まともな服ほとんど持ってないんでしょ?」
「私は今の服でも十分ですが……」
「ダメ」
即答だった。
そのままセレナは店内を歩き回り、次々と服を選び始める。
完全に任せた方が良さそうだ。
しばらくして、奥から着替えたリリアが出てきた。
淡い色の上着に、年相応の少女らしい服装。
今まで身体を隠すような服ばかり着ていたせいもあるのか、印象が大きく変わって見えた。
「……似合ってるな」
俺が言うと、リリアの頬が少し赤くなる。
「本当ですか?」
「あぁ」
「……ありがとうございます」
嬉しそうに服を見るリリアの横で、なぜかセレナが俺を睨んでいる。
「レイ」
「なんだよ」
「感想それだけ?」
「他に何を言えばいいんだ」
「もういい」
意味が分からない。
結局、普段着と森へ出る時にも使える丈夫な服を一組ずつ購入した。
全部新品というわけにはいかない。
それでも店を出たリリアは紙袋を何度も覗き込み、そのたびに嬉しそうに微笑んでいた。
◇
最後に向かったのは武具屋だった。
服屋より、こちらの方が俺にはずっと落ち着く。
壁には剣や槍、盾が並び、奥には魔法使い用の杖や魔力触媒も置かれている。
まずはリリア用の軽い革防具と、森を歩くための丈夫な靴を見て回った。
重い鎧は必要ない。
魔法を使う邪魔にならず、最低限急所を守れるものがあれば十分だ。
問題は杖だった。
今リリアが使っている杖は、以前の持ち主から与えられていたものらしく、長く使われたせいで魔石にも芯材にも劣化が見える。
昨日の訓練で魔法そのものの価値が分かった以上、できればここも改善したかった。
「これ、持ってみてくれ」
棚の中から一本を選び、リリアへ渡す。
魔力を通しやすい木材の内部へ細い魔鉄を通し、先端に小さな魔石を組み込んだ杖だった。
リリアが軽く魔力を流す。
すぐに表情が変わった。
「……すごいです」
「違うか?」
「はい。今の杖より、ずっと魔力が流しやすいです。引っかかる感じがほとんどありません」
やはり装備の差は大きいらしい。
俺は値札を見る。
「……高いな」
今日の報酬では到底足りない。
何度か依頼をこなしたとしても、生活費まで考えれば簡単には買えない金額だった。
値札を見たリリアはすぐに杖を棚へ戻す。
「今の杖で十分です」
「でもな……」
「まだ使えますので」
そう言って微笑む。
けれど、さっき魔力を流した時の顔を俺は見ていた。
性能がまるで違うなら、いつかは必要になる。
俺はもう一度杖を手に取った。
木材。
内部を通る魔鉄。
先端の魔石。
それぞれの接合部分。
値段を見るのをやめ、今度は鍛冶師として杖そのものを観察する。
剣や短剣とは違う。
けれど、何をどう組み合わせて作っているのかは、おおよそ想像できる。
「……これ」
「どうしたの、レイ?」
セレナが覗き込んでくる。
「作れないかな」
「え?」
「杖だよ」
もう一度構造を確認する。
「魔法具専門の職人みたいなものは無理だと思う。でも、今の杖より少し良いものなら作れるかもしれない」
「レイン様が……私の杖を?」
「あぁ」
リリアが目を丸くしている。
「魔力を通すところはリリアにも確認してもらえばいい。作って、使ってもらって、悪いところを直す。何回かやれば形になるかもしれない」
俺は鍛冶師だ。
兄ほどの才能はない。
何でも一度で作れる腕があるわけでもない。
けれど、失敗したところを見つけて、次に直すことならできる。
それは今まで何度もやってきたことだった。
「リリア。俺に作らせてくれないか?」
リリアはすぐには答えなかった。
自分の古い杖を見て、それから俺を見る。
やがて、少し照れたように微笑んだ。
「……はい」
「いいのか?」
「レイン様に作っていただけるなら……嬉しいです」
「そっか」
その返事を聞き、俺はもう一度棚に並ぶ杖を見た。
今すぐ高級な杖を買うことはできない。
なら、自分で作る。
リリアの付与魔法を、一番使いやすい形にする。
まだどうなるかは分からない。
けれど少なくとも、次に工房でやることは決まった。
「よし。必要な材料だけ見て帰ろう」
俺がそう言うと、セレナが少し呆れたように笑った。
「また何か始める顔してるわね、レイ」
「悪いか?」
「別に。レイらしいと思っただけ」
リリアも小さく笑う。
初めて三人で依頼を受けた日の午後。
俺たちは新しい装備を抱えながら、次に作る一本の杖について話し合い始めていた。




