第34話:検証
翌朝。
街の東門を抜けてしばらく歩いた先にある、小さな草原。
街道からも外れ、冒険者や商人が滅多に通らないこの場所は、俺とセレナが昔から剣の練習や罠の試作に使っている場所だった。
初夏を迎えたこの時期は、朝の空気こそまだ涼しさを残しているものの、雲一つない空から降り注ぐ陽射しには、すでに夏の気配が混じり始めている。
風が吹くたびに青々と茂った膝丈ほどの草が波のように揺れ、その向こうからは、濃くなり始めた森の匂いが運ばれてきた。
「ここなら大丈夫だろ」
俺は背負っていた荷物を地面へ下ろした。
中に入っているのは、昨日のうちに用意しておいた訓練用の木剣や短剣、それから付与魔法の効果を調べるための何本かの安物の鉄剣だ。
「誰も来ないし、多少派手に魔法を使っても問題ない。今日は実戦じゃないから、焦らずリリアに何ができるのかを一つずつ確認していこう」
「はい、レイン様」
俺の隣でリリアが緊張した様子で頷く。
昨日まで着ていたボロボロのローブは、ばぁちゃんが朝早くから応急的に繕ってくれたらしい。擦り切れた裾は整えられ、肩口にあった小さな破れにも丁寧な当て布がされていた。
それでも戦闘用の装備と呼ぶには程遠い。
靴だって普通の革靴だし、防具らしいものは何一つ身につけていない。
今日ここへ来た目的の一つには、これからリリアにどんな装備を揃えるべきかを考えることも含まれていた。
「ねえレイ」
少し先を歩いていたセレナが振り返る。
「本当に今日は訓練だけなのよね?」
「あぁ」
「コボルトの一匹くらい探して戦わせるとか言わない?」
「言わないよ。昨日までまともな戦闘経験もないのに、いきなり魔物と戦わせてどうするんだ」
「ならいいけど」
セレナはちらりとリリアを見る。
まだ完全に信用したわけではない。
昨日より露骨な警戒心は薄れているものの、セレナの視線には相変わらずリリアを観察するような色が残っていた。
リリアもそれを感じ取っているのか、セレナと目が合うと少しだけ背筋を伸ばす。
二人の間にある距離は、まだ遠い。
けれど昨日の朝とは違い、互いに相手を知ろうとはしている。
今はそれで十分だと思う。
「まずはリリアの付与魔法から見せてもらおう」
俺は荷物から一本の鉄剣を取り出し、地面へ突き立てた。
武具屋に並んでいるものより質は悪い。俺が練習用に適当に打ったもので、切れ味も耐久性も最低限しかない。
逆に、試験にはちょうどいい。
「これに付与できるか?」
「はい。できます」
リリアは腰に下げていた短い杖を取り出した。
競売で買い取った時から持っていたものだ。
杖と呼んではいるものの、長さは俺の前腕ほどしかなく、先端には小さな魔石が埋め込まれている。ただし、その魔石もかなり使い込まれているらしく、表面には細かな傷がいくつも走っていた。
「その杖も、そのうち新しくした方がよさそうだな」
俺が呟くと、リリアが慌てて杖を胸元へ抱き寄せた。
「い、いえ。私はこれで十分です」
「十分かどうかは、今日使ってみてから決めよう」
「ですが……」
「買う金がないから、すぐには無理だけどな」
「…………」
「そんな悲しそうな顔するなよ」
隣でセレナが吹き出した。
「ふふっ。格好つけておいて、最後にそれ言っちゃうのがレイらしいわね」
「うるさい」
ほんの少しだけ空気が和らぐ。
リリアも小さく笑った後、鉄剣の前へ立った。
そして、表情を引き締める。
「では……始めます」
杖の先端を鉄剣へ向ける。
「炎よ、その刃に宿りて、力を与えよ――【ファイアエンチャント】」
リリアの周囲に、淡い赤色の光が浮かび上がった。
それは一瞬だけ空中を漂うと、細い糸のようになって鉄剣へ吸い込まれていく。
やがて刀身全体が、ほんのりと赤い光を帯びた。
炎が噴き出すわけではない。
見た目だけなら、少し赤く光っているだけだ。
「これで終わりか?」
「はい」
「……地味ね」
セレナが率直な感想を漏らした。
「ちょっ、レナ」
「だって本当に地味なんだもの」
リリアの肩が僅かに落ちる。
「申し訳ありません……」
「あっ」
セレナもすぐに失言だったと気づいたらしい。
「いや、違うのよ! 悪いって意味じゃなくて! もっとこう、ボワッて燃えるのかと思ってたから!」
「大丈夫です。昔から、よく言われていますので」
「…………」
セレナが気まずそうに俺を見る。
俺に助けを求めるな。
「とりあえず効果を見よう」
俺は地面から鉄剣を抜いた。
柄を握った瞬間、僅かな違和感があった。
「……温かい」
熱いというほどではない。
だが、付与前には冷たかった鉄の刀身から、確かに熱が伝わってくる。
俺は近くに用意しておいた太めの木材の前へ移動した。
「斬ってみるぞ」
両手で剣を握り、振り下ろす。
ガッ!
刃が木材へ食い込んだ。
「……ん?」
思っていたより深い。
一度剣を引き抜き、今度は付与していない同型の鉄剣を手に取る。
なるべく同じ角度、同じ力になるよう意識して振り下ろした。
ガッ!
二つの傷を見比べる。
明らかに違った。
「レナ」
「分かってる」
セレナもしゃがみ込み、木材の切断面を覗き込む。
「付与した方が深いわね」
「あぁ」
単純な切れ味だけではない。
最初の傷は、切断面の一部が僅かに焦げている。
炎属性の魔力が刀身へ定着し、刃が接触した瞬間に熱を加えているのだろう。
俺は剣を持ち上げ、角度を変えながら刀身を眺めた。
「リリア。この状態はどれくらい続く?」
「今の私ですと……十分ほどです」
「十分?」
「はい。ただ、使う人が強い魔力を持っていたり、激しく剣を振ったりすると、もう少し短くなることがあります」
「なるほど」
頭の中で使い道を考える。
十分。
長いとは言えない。
だが戦闘一回と考えれば、決して短すぎる時間でもない。
それに――。
「これ、何本まで同時にできる?」
「え?」
リリアが目を瞬く。
「例えば俺の短剣と、レナの剣。その両方に同時に付与するとか」
「できます」
「三本は?」
「……できます」
「五本」
「たぶん……」
「十本」
「えっと……」
リリアが困った顔をした。
「試したことがありません」
「じゃあ試そう」
「レイ」
セレナが呆れた声を出す。
「いきなり十本はやりすぎじゃない?」
「限界を知っておいた方がいいだろ」
「それはそうだけど……」
俺は荷物から鉄剣と短剣を次々と取り出し、草の上へ並べた。
全部で八本。
本当は十本試したかったが、持ってきた武器がこれだけだった。
「まず二本」
「はい」
リリアが杖を振る。
二本の刀身に赤い光が宿る。
問題ない。
「三本」
成功。
「四本」
これも成功した。
五本目になると、リリアの額にうっすらと汗が浮かんだ。
六本。
七本。
そして八本目。
「炎よ、その刃に……宿りて……」
杖の先端が震える。
淡い赤色の光が刀身へ伸びたが、途中で霧散した。
「……っ」
リリアの身体がぐらりと揺れる。
「リリア!」
俺は慌てて駆け寄り、その肩を支えた。
「す、すみません……」
「謝らなくていい。大丈夫か?」
「はい。少し……魔力を使いすぎただけです」
顔色が悪い。
俺はすぐに水筒を渡した。
リリアは両手で受け取り、少しずつ水を飲む。
「七本か」
俺が呟く。
「実戦で限界まで使わせるわけにはいかないから、安全に使えるのは四本か五本くらいだな」
「そうね」
セレナも真面目な表情で頷いた。
「でも五本も同時に強くできるなら、結構便利なんじゃない?」
その言葉を聞いたリリアが、少しだけ顔を上げる。
「便利……でしょうか」
「少なくとも私は欲しいわよ」
セレナは草の上に置かれた、自分の剣を拾い上げた。
「ちょっと借りてもいい?」
「はい」
「じゃあ私にもかけてみて」
リリアが驚いたようにセレナを見る。
「私の魔法を……ですか?」
「そのための訓練でしょ?」
「……はい!」
リリアは嬉しそうに立ち上がろうとした。
「待て待て」
俺は肩を押さえる。
「今、魔力切れしかけただろ」
「でも……」
「休憩してから」
「…………はい」
不満そうだ。
昨日まで「何でも従います」と言っていた少女が、魔法を使いたいという理由で俺の言葉に少し不満そうな顔をする。
ほんの小さな変化だったが、それが妙に嬉しかった。
◇
三十分ほど休憩した後。
リリアの顔色が戻ったところで訓練を再開した。
今度はセレナの愛剣へ付与魔法をかける。
「炎よ、その刃に宿りて、力を与えよ――【ファイアエンチャント】」
淡い赤色の光が剣を包む。
セレナは何度か軽く振り、感触を確かめた。
「……確かにちょっと違う」
「分かるのか?」
「うん。剣が軽くなったわけじゃないんだけど、振った時にいつもより力が乗る感じ」
セレナは少し離れた場所に置いた木材へ向かう。
腰を落とし、一気に踏み込んだ。
「はっ!」
鋭い一閃。
バキンッ!
俺が試した時とは比較にならない。
太い木材が半ばまで一気に切り裂かれた。
「おお……」
思わず声が漏れる。
セレナ自身も驚いたらしく、自分の剣をまじまじと見つめている。
「これ……結構すごくない?」
「だな」
俺は切断面を確認する。
セレナの腕があってこその威力だが、明らかに普段より深く斬れている。
「リリア」
「はい」
「他の属性も使えるのか?」
「簡単なものなら……」
「例えば?」
「氷と、風です。ただ、炎より定着が不安定で……」
「見せてくれ」
「はい」
リリアは別の鉄剣へ杖を向けた。
「冷気よ、その刃に宿りて、力を与えよ――【アイスエンチャント】」
今度は淡い青色の光。
刀身に薄い霜が浮かぶ。
「おお」
セレナが興味深そうに覗き込む。
「触ったら冷たい?」
「触るなよ」
「分かってるわよ」
俺は苦笑しながら剣を持ち上げた。
これも使える。
炎なら追加の熱。
氷なら、相手の動きを鈍らせられるかもしれない。
風は切れ味か、速度か。
付与する属性によって役割を変えられるなら、戦術の幅は一気に広がる。
攻撃魔法が使えない。
だから欠陥品。
そんな評価をした奴らは、本当にこの力をちゃんと調べたのだろうか。
俺にはどう考えても、使い道の塊にしか見えなかった。
「レイ」
「ん?」
「顔」
「顔?」
「また悪いこと考えてる時の顔になってる」
「失礼だな。戦い方を考えてただけだ」
「それを悪いこと考えてる顔って言うのよ」
セレナが笑う。
リリアも小さく笑った。
午前中いっぱい、俺たちはリリアの魔法を調べ続けた。
炎。
氷。
風。
付与する武器の大きさによる魔力消費の違い。
持続時間。
重ねがけが可能かどうか。
結果として分かったことは多い。
同じ武器に二つの属性を重ねることは、今のリリアにはできなかった。
大型武器ほど魔力消費が増える。
付与した武器を使用しなければ十五分近く効果が残ることもあるが、激しく戦えば十分も持たない。
そして、何より興味深かったのが――。
「もう一回やってみて」
セレナが剣を構える。
「はい」
リリアが炎を付与する。
セレナが木材を斬る。
俺はその切断面を確認した。
「……やっぱりだ」
「何が?」
「最初より強くなってる」
「え?」
二人が俺を見る。
俺は午前中に作った傷を順番に指差した。
最初の一撃。
二回目。
三回目。
僅かではある。
だが、後になるほど切断面が深くなっている。
「セレナさんが慣れたんじゃないですか?」
リリアが言う。
「それもあるかもしれない。でも、全部それだけとは思えない」
俺はリリアを見る。
「リリア自身も、さっきより魔法を使いやすくなってないか?」
「……言われてみれば」
リリアは自分の杖を見る。
「最初より、魔力を流す場所が分かるような……」
「たった半日で?」
セレナが驚く。
リリア自身も信じられないという顔をしていた。
俺は腕を組んだ。
これは才能なのか。
それとも、単に今までまともな訓練を受ける機会がなかっただけなのか。
まだ分からない。
分からないなら、調べればいい。
「今日はここまでにしよう」
「え?」
リリアが顔を上げる。
「もう少しできます」
「ダメだ」
「ですが――」
「朝から何度も魔力を使ってる。限界までやって明日動けなくなったら意味がないだろ」
「……はい」
また少しだけ不満そうな顔。
俺は思わず笑った。
「何ですか?」
「いや。なんでもない」
「?」
昨日までとは違う。
ほんの少しずつではあるが、リリアの表情が増えている。
それだけでも、今日ここへ来た意味はあったのかもしれない。
◇
帰り道。
太陽はすでに西へ傾き始めていた。
朝とは違って空気も暖かく、俺たち三人の長い影が街道の上へ伸びている。
先頭を歩くのは俺。
少し後ろを、セレナとリリアが並んで歩いていた。
行きは俺の後ろに隠れるようにしていたリリアが、今はセレナの隣にいる。
会話をしているわけではない。
ただ、並んで歩いている。
それだけだった。
しばらくすると、セレナが口を開いた。
「ねえ、リリアちゃん」
「はい」
「炎のやつ」
「ファイアエンチャントですか?」
「そう、それ」
セレナは腰の剣へ手を置いた。
「……悪くなかったわ」
「え?」
「だから。あの魔法」
少しだけ間を置いてから、セレナが続ける。
「思ってたより、ずっと使える」
リリアが足を止めた。
「リリア?」
俺が振り返る。
彼女はセレナを見つめていた。
「……ありがとうございます」
「別に褒めたわけじゃないから」
「はい」
「まだ実戦で使えるか分からないし」
「はい」
「魔力切れも早いし」
「はい」
「……なんで嬉しそうなのよ」
「嬉しいので」
「…………」
セレナが困ったように顔を逸らした。
その耳が少しだけ赤い。
俺は何も言わず、再び前を向いた。
昨日、セレナはリリアを信用しないと言った。
今日だって、その気持ちが完全に消えたわけではないだろう。
リリアの方も、まだセレナに対して緊張している。
それでも。
昨日よりは少しだけ近い。
たった一日で、そのくらいなら十分だ。
街の城壁が見えてくる。
今日は誰も傷ついていない。
何か大きな事件が起きたわけでもない。
ファミリアを結成したわけでも、ランクが上がったわけでもない。
ただ三人で街の外へ出て、リリアの魔法を試した。
そして昨日まで「欠陥品」と呼ばれていた少女が、自分の魔法を初めて誰かに認めてもらった。
今日は、それだけでいい。
俺はそんなことを考えながら、二人より少しだけ先を歩いて街への帰路についた。
背後から聞こえてくる二人分の足音は、まだ完全には揃っていない。
けれど、その歩幅は少しずつ同じものへ近づき始めていた。




