第26話:短縮される時間
「さあ、本日のメイン! 魔法使いの少女です! 開始価格は金貨五枚から!」
オークショニアの声と共に、舞台の袖から引きずり出されたのは、先ほど路地裏で腹を蹴られ、蹲っていたあの少女だった。
首に繋がれた鎖を乱暴に引かれ、よろめきながら壇上に立たされる。
その瞳には何の光も宿っておらず、ただ虚空を見つめていた。
「金貨十枚!」
「十五枚だ!」
会場の男たちが次々と札を上げ、熱狂が渦巻く。
その中で、前方席に陣取っていたあの悪趣味な男が、興奮で顔を真っ赤にしながら立ち上がった。
「金貨三十枚だぁっ! ぐへへ……俺の、俺の好きにするんだ……っ!」
男がヨダレを撒き散らしながら叫ぶと、会場は水を打ったように静まり返った。
たかが奴隷一人に金貨三十枚。
それは常軌を逸した金額だった。
「き、金貨三十枚! 他におりませんか!? ……落札です!」
木槌が鳴り響き、少女の所有権が決定した。
男は歓喜の声を上げ、舞台上の少女を舐め回すように見つめている。
俺は無表情のまま席を立ち、足早に競売会場を後にした。
これでいい。
誰が、いくらで落札するのか。
盤面は完全に把握した。
会場の外へ出ると、陽はすでに傾きかけていた。
裏路地を通って工房へ戻ろうとした時、先ほど会場で「開かずの鉄箱」を銀貨三枚で落札した商人の姿が目に入った。
彼は路地の片隅で、苛立ったようにハンマーを振り上げ、あのサビだらけの鉄箱を力任せに叩き割っていた。
ガガンッ! という破壊音と共に、鉄箱が真っ二つに割れる。
その瞬間、仄暗い路地裏を照らし出すような、強烈な青い光が溢れ出した。
「おおっ! 見ろ、やはり古代の魔力結晶だ! 凄まじい純度だぞ!」
商人が歓喜の声を上げるが、隣にいた鑑定士らしき老人が、深くため息をつきながら首を横に振った。
「馬鹿め。力任せに割るから、結晶の核にまで深いヒビが入っておる。傷一つない完品であれば、金貨百枚は下らなかったものを……これではせいぜい、金貨十枚といったところだ」
金貨百枚。
その言葉が耳に飛び込んだ瞬間、俺の脳内に一本の明確な道筋が繋がった。
俺は誰にも見られないよう路地を駆け抜け、真っ直ぐに自分の工房へと戻った。
土間には、今朝打ち込んだばかりの鉄の楔が静かに刺さっている。
「コハク、少しだけ待ってろ」
不思議そうに首を傾げるコハクを一瞥し、俺は楔の頭を両手で強く握りしめた。
そして、全身の力を込めて一気に引き抜く。
視界が大きく歪み、世界が反転するような強烈な吐き気と共に、俺の意識は記録された過去へと引き戻されていった。
◇
カンッ、カンッ、カンッ。
硬質な金属音が薄暗い工房内に響き渡り、火花が散る。
窓の外はまだ薄暗い、夜明け前。一日が巻き戻ったのだ。
俺は小さく息を吐き、すぐさま行動を開始した。
昼下がり、裏の競売会場。
あの物好きな商人が「銀貨三枚」と声を上げる直前、俺は静かに札を上げた。
「銀貨四枚」
誰も競り合う者はなく、俺はあのサビだらけの鉄箱をあっさりと手に入れた。
そのまま少女の競売が始まる前に会場を後にし、工房へと駆け戻る。
ここからが、俺の本当の戦いだ。
作業台に鉄箱を置き、構造を観察する。
表面は赤サビに完全に覆われ、継ぎ目すらわからない。
無理に叩けば、中にある金貨百枚の価値を持つ魔力結晶が砕けてしまう。
「……まずは、熱してみるか」
俺は炉に火を入れ、鉄箱を慎重に放り込んだ。
サビを浮かせてから、鏨を打ち込んで隙間を作る作戦だ。だが。
パキィンッ。
熱し始めて数分後、内部から嫌な音が響いた。
急いで取り出し、わずかに開いた隙間から中を覗き込むと、熱に耐えきれなかった魔力結晶が粉々に砕け散っていた。
失敗だ。
これでは少女を救う資金にはならない。
俺は無言で土間の楔を引き抜き、再び朝へと時間を巻き戻した。
◇
三回目の朝。
再び競売で鉄箱を落札し、工房へ戻る。
熱が駄目なら、酸だ。
俺は特殊な溶解液を表面に塗布し、サビを溶かそうと試みたが、内部のロック機構まで癒着しており、こじ開けようとして中の結晶を圧迫し、砕いてしまった。
失敗。
巻き戻す。
四回目の朝。
鏨を入れる角度を変える。
刃こぼれした。失敗。巻き戻す。
五回目の朝。
俺は工房の土間で、荒い息を吐きながら膝をついた。
頭がガンガンと割れるように痛む。
(駄目だ……このやり方は、精神がすり減りすぎる)
箱を開けるのに失敗するたび、朝まで戻って、また競売会場へ行き、時間を潰して落札し、工房へ帰ってくる。
その数時間の「無駄な繰り返し」が、じわじわと俺の心を削っていた。
ただでさえ精密な作業を要求されるのに、これでは集中力がもたない。
俺は息を整え、昼下がりの競売で鉄箱を落札して工房へ戻ると、作業台に箱を置いた。
「そうか!」
そして、おもむろに新しい鉄の楔を取り出し、作業台のすぐ足元の地面へ向けてハンマーを振り下ろした。
カンッ、カンッ、カンッ!
深く楔が突き刺さる。新しい記録ポイントの更新だ。
これで、箱の解体に失敗しても、朝からやり直す必要はない。
楔を抜けば「箱を買って工房に戻ってきた直後」に飛べる。
「……よし、これなら何度でもいける」
俺は額の汗を拭い、目の前のサビの塊と向き合った。
ここからは、文字通り数分単位の極小ループだ。
六回目。
細いワイヤーを通そうとするが、途中で引っかかり失敗。
即座に足元の楔を抜く。
七回目。
視界が歪み、先ほどの作業台の前に戻る。
今度は油を流し込んでからワイヤーを入れるが、ギアが噛んで失敗。
抜く。
八回目。
作業台の前。
ロック機構のピンの位置を探る。
失敗。
抜く。
十二回目。
十四回目。
十六回目。
失敗しては数分前に戻り、また違うアプローチを試す。
精神の消耗を最小限に抑えたことで、俺の頭は驚くほどクリアに回転し、ただのサビの塊にしか見えなかった鉄箱の「内部構造」が、透視しているかのように立体的に理解できていった。
『お願いです……もうやめてください』
耳の奥で、あの少女の悲鳴がリフレインしている。
待っていろ。
俺は天才じゃないが、何度だってやり直せる。
「……見えたぞ」
十七回目の作業台。
俺の脳内に、ギアの噛み合わせ、サビの浸食の深さ、ロック機構の弱点、そのすべての情報が完全な図面となって完成した。
幾度もの失敗という犠牲を払い、俺の身体に刻み込まれた解答。
「次で、終わらせる」
俺は静かに、最後となる楔を引き抜いた。




