第21話:盤上の支配者
一本道へと誘導されたオークの群れが、怒号を上げながら殺到してくる。
だが、俺の心は恐ろしいほどに冷え切っていた。
(最初は右側の岩陰から三体。足が速い奴らだ。その後ろから、大斧持ちが二体続く)
記憶の通り、寸分違わぬタイミングで魔物たちが姿を現す。
何度も同じ光景を見続け、絶望の淵を這いずり回った俺の脳内には、奴らの出現位置から歩幅、武器を振り上げるタイミングまで、すべてが克明に刻み込まれている。
「リム、右奥から来る三体だ! 足元を狙え!」
「は、はいっ!」
安全な高台から、リムが弓を放つ。
矢は正確にオークの太ももに突き刺さり、突進の勢いを大きく削いだ。
「ザグ、レナ! 立ち止まった奴らにナイフを投げろ! 左から来る大斧持ちは振りが大きい、斧を振り上げた瞬間が隙だ!」
「おうよ! ひゃはは、こりゃあただの的当てゲームだな!」
「すごいわレイ、本当にあなたの言う通りに動いてる!」
ザグはこれまでの怠惰な態度が嘘のように、興奮した顔で次々とナイフを投擲する。
リムも怯えることなく、弓を引き絞る手に熱を帯びていた。
絶対に自分が傷つかないという安全な状況が、彼らの中に眠っていた高揚感を引き出しているのだ。
盤上は完全に俺が支配している。
だが、俺の視線の大半は、誰よりも美しく躍動するセレナへと向けられていた。
彼女が無傷で戦う姿を見るたび、過去の周回で脳裏に焼き付いた凄惨な記憶がフラッシュバックしそうになる。
衣服を引き裂かれ、無残に蹂躙され、光を失っていった虚ろな瞳。
俺は奥歯を噛み締め、木の盾の持ち手を力強く握り込んだ。
(もう二度と、あんな真似はさせない。俺が必ず守り抜く!)
「グガァァッ!」
その時、一体のオークが堀の縁を強く蹴り、予想以上の跳躍を見せてこちら側へと飛び込んできた。
「うおっ、おい!」
「きゃっ!」
ザグとセレナが慌てて後退する。
ちょっとしたイレギュラーだ。
以前の俺なら、陣形を崩されてパニックに陥っていただろう。
だが、何度も地獄を見てきた俺からすれば、こんなものは欠伸が出るほど些細なトラブルでしかない。
仲間の首が飛び、幼なじみが壊される光景に比べれば、魔物が一体飛び越えてきた程度、そよ風のようなものだ。
「騒ぐな。レナ、ザグ、囲め!」
俺は前へ踏み出し、手作りの木の盾を構えてオークの突進を真正面から受け止める。
メキィッ、と盾に亀裂が走るが、俺の身体は一歩も退かない。
敵の動きが完全に止まったその一瞬。
「はぁぁッ!」
左右から回り込んだセレナの剣とザグのナイフが、無防備なオークの首と胴体を的確に貫いた。
「これで……最後だ!」
重い地響きと共に、オークの巨体が崩れ落ちる。
静寂が訪れた第三廃砦。
堀の向こう側には十数体の魔物が転がり、こちら側には一人として怪我人はいない。
完全な勝利だった。
「終わった……本当に、俺たちだけで守り切ったんだ……!」
リムが弓を落とし、へなへなとその場に座り込む。
ザグも荒い息を吐きながら、満足げに笑っていた。
「おいおい、お前ただの底辺じゃねえな。最高の指揮だったぜ」
「レイ!」
セレナが駆け寄り、俺の胸に勢いよく飛び込んできた。
「やったね、レイ! 私たち、勝ったよ!」
その温かく柔らかい感触と、見上げてくる屈託のない笑顔。
それを見た瞬間、俺の胸の奥で張り詰めていた太い糸が、プツンと音を立てて切れた。
「……あぁ」
視界が、急激に熱いもので滲んでいく。
何度も何度も繰り返した、血と絶望の記憶。絶対に覆せないと思われた暴力の壁。
そこからようやく抜け出せたのだ。俺自身の知略と、執念だけで。
「あぁ……勝った。俺たちの勝ちだ、レナ」
こぼれ落ちそうになる涙を必死に堪えながら、俺はセレナの背中に腕を回し、力強く抱きしめ返した。
彼女の体温が、俺の心が壊れていなかったことを証明してくれている。
俺たちは今日、底辺という運命に打ち勝った。
Eランクへの道は、今確かに開かれたのだ。




