第22話:工房の午後の甘酸っぱい罠
夕暮れ時、工房には金属を叩く乾いた音が響いていた。
俺はハンマーを振り下ろしながら、思考を巡らせる。
八回目の試験。
俺たちが勝てたのは、確かに俺の執念と準備のおかげだ。
しかし、セレナの記憶に残っているのは「成功したたった一回の戦い」だけ。
何度も心を引き裂かれ、地獄を見た記憶を背負っているのは俺一人だ。
このままでは、いつか十時間という楔の限界に阻まれ、どうにもならない壁にぶつかる時が来るかもしれない。
そんな不安が、胸の奥で重く澱んでいた。
「レイ、お疲れ様。また鍛錬してたの?」
不意に扉が開き、セレナが工房に入ってきた。
彼女の姿が見えた瞬間、重苦しい思考は霧散し、ただ温かい幸福感だけが広がっていく。
「ああ。試験は受かったけど、俺はまだまだだからな」
「そうね……あの試験、結果的にはレイの神采配のおかげで上手くいったけど」
セレナは少しだけ表情を曇らせ、俺の隣に並んだ。
「でも、レイも私も、実力的にはまだまだEランクに相応しくないって痛感したわ。楽勝で試験をクリアできる、それが本当のEランクなんだって改めて思うの」
二人で見つめ合う。
セレナは真剣な眼差しで、俺の手をぎゅっと握りしめてきた。
「私、もっとストイックに自分を鍛える。だから、レイも付き合ってよね」
「あ、ああ……もちろんだ。一緒に王立学校へ行って、もっと強くなろう」
俺は真っ直ぐに頷き返した。
大真面目な決意表明だ。それはわかっている。わかっているのだが……。
至近距離で見つめてくる彼女の白い肌、微かに香る甘い匂い。
そして何より、前かがみになったせいで視界に飛び込んでくる豊満な胸の谷間に、俺の心拍数は嫌でも跳ね上がっていた。
(いかん……こんな真面目な空気なのに、俺はいやらしいことばかり考えてしまっている……っ)
「……ちょっとレイ。何考えてたの?」
セレナが少し呆れたような顔で、ジト目で俺を見上げてくる。
完全に顔が赤くなっているのを悟られたらしい。
「い、いや! なにも考えてないぞ!」
「ふーん……?」
セレナは俺の慌てぶりを見て、少しだけ照れたように自分の髪の毛を指でくるくると巻き始めた。
そして、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「まぁでも、今回は凄い頑張ったし……何かご褒美あげよっか……?」
「な、何か……って?」
俺の問いに、彼女はさらに一歩、距離を詰めてきた。
ふわりと甘い香りが強くなり、わざとらしく胸を寄せて、深い谷間を見せつけてくる。
「ほら、レイ……レイの好きなこと、だよ?」
「っ……!」
誘惑まがいの甘い声と、目の前の絶景。
俺は完全に理性を飛ばし、鼻の下を限界まで伸ばしてセレナの顔へ引き寄せられるように近づいていった。
バチンッ!
「いっっっだぁぁぁ!?」
次の瞬間、額に鋭い衝撃と快音が弾けた。
あまりの痛みにのけぞり、おでこを押さえてうずくまる俺。
その目の前では、セレナが弾いた自分の中指をふうっと吹きながら、勝ち誇ったように笑っていた。
綺麗に決まった、会心のデコピンだった。
「冗談に決まってるでしょ、べーっ」
セレナは真っ赤な顔で舌を出し、呆れたように笑い飛ばした。
「明日からはそれぞれ厳しく訓練しながら、王立学校に入るための手順を確認しに行くわよ! いいわね!」
そう言い残し、彼女は足早に工房を飛び出していった。
後に残されたのは、ジンジンと痛む額と、甘酸っぱい空気だけ。
俺は痛むおでこをさすりながら、自然とこぼれる笑いを止めることができなかった。
(……ああ、やっぱり俺は、この笑顔が見たいんだ)
ただの成功体験しか知らない彼女。地獄の記憶を背負う俺。
だけど、それでいい。
これから先、どんな過酷なループがあろうとも。
俺が何度絶望を味わうことになろうとも。
この他愛のない日常を、この愛おしい笑顔を、絶対に俺が守り抜いてみせる。




