第15話:曇天の誓い
王都から這うようにして辺境の街へ帰り着いた翌日。
空は、まるで俺たちの心を映し出したかのように厚い灰色の雲に覆われていた。
冷たい風が工房の窓をガタガタと揺らし、今にも雨が降り出しそうな暗がりが部屋の隅々にまで忍び寄っている。
俺は土間に立ち、今朝のルーティンである楔を打ち込んだ後、ハンマーを握ったまま動けずにいた。
思い返せば、すべてがこの国の歪な仕組みに通じている。
セレナの親父が巻き込まれた鉱山の崩落事故。
低ランクだからと救助を打ち切ろうとしたファミリア。
ばぁちゃんを跳ねた馬車、平民には到底払えない額の治療費を要求した医療。
そして昨日、王都で遭遇した高ランク冒険者の、虫ケラを見るかのような傲慢な瞳。
「レイ、ここにいたのね」
静かに工房の扉を開けて入ってきたセレナの声に、俺は思考を遮られた。
セレナの手には、温かいお茶の入ったマグカップが二つ握られている。
彼女の表情も、今日の天候と同じようにどこか翳りを帯びていた。
◇
セレナは、じっと手元のお茶を見つめていた。
湯気の向こうにあるエメラルドグリーンの瞳が、不安と、それ以上に激しい悔しさで小さく震えている。
(私は、ずっとこの国が正しいと信じていた)
昨日、王都で強者に腕を掴まれた時、心の底から理解してしまった。
この国を支配するランク制度は、人々を守るためのものじゃない。
強者が弱者を合法的に貪り尽くすための、冷酷な檻なのだと。
何より、一番悔しかったのは自分自身の無力さだ。
レイが私を助けようと手を伸ばしてくれた時、胸が締め付けられるほど愛おしかった。
「レナ、昨日は……本当にごめん。俺に、もっと力があれば」
レイが拳を握りしめ、消え入りそうな声で呟く。
その横顔を見た瞬間、私の中で何かが決壊した。
「謝らないで、レイ。悪いのはあの男たちよ……ううん、こんな理不尽が罷り通る、この国の全部が間違っているわ」
私は一歩踏み出し、レイの手からハンマーを取り上げて机に置いた。
そして、その煤で汚れた大きな手を、自分の両手で強く包み込んだ。
「レナ……?」
「私は、もうあんな思いをするのは嫌。この理不尽な国に、ランクに、ただ怯えて流されるだけなんて絶対に御免よ」
不意に重なった手のひらから、お互いの熱が伝わってくる。
示し合わせたわけではなかった。
けれど、過酷な現実を共に潜り抜けてきた俺たちの心は、今この瞬間、完全に同じ方向を向いていた。
俺はセレナの手を握り返した。
その細くも剣ダコのある指先から、彼女の強い覚悟が痛いほど伝わってくる。
守りたいと願う愛おしさと、共に戦う同志としての信頼が、胸の奥で熱く混ざり合っていく。
「ああ、俺も同じ気持ちだ。ばぁちゃんにも誓った。俺は、この底辺を虐げる歪なランク制度を、いつか絶対にぶち壊して変えてやる」
二人の視線が真っ直ぐに交差する。
曇天の暗がりを跳ね除けるような、強い拒絶と変革の意志が工房の空気を満たしていった。
「でも、今のままじゃ届かない。まずは、あいつらと同じ土俵に上がるための力が必要だ」
「具体的には、どうするの?」
セレナの問いに、俺は心に決めていた次のステップを口にした。
「まずは、FランクからEランクへの昇格試験をパスする」
「Eランク……。そうか、Eランクになれば」
「ああ、王立学校への入学資格が得られる」
天空の塔がもたらす恩恵の縮図である、王立学校。
高ランクファミリアの息がかかった上位階級の学び舎だが、Eランク以上であれば低ランクの冒険者であっても入学し、知識や技術を学ぶことが法的に認められている。
「俺はそこで、本気で自分を鍛え直すつもりだ。今まではただの鍛冶屋の息子だった。だけどこれからは、鍛冶の技術をさらに極めつつ、泥臭い戦術や知識を学び、肉体と剣術も鍛え上げる。前線で戦闘もこなせる鍛冶師として、自分のレベルを限界まで引き上げるんだ」
ただ検証を繰り返すだけの非戦闘員では、いざという時の対応が遅れる。
時の楔という武器を最大限に活かすためにも、自分自身の基本スペックを底上げしなければならない。
俺の言葉を聞き、セレナの瞳に力強い光が戻ってきた。
「いいわね。なら、私は学校で剣術の特化クラスに入るわ。座学なんて最低限でいい。とにかく剣士としての実力を極限まで高めて、誰も私に触れられないくらい強くなってやる。……そして、レイを今度は私が守る」
「頼りにしてるよ、レナ。……学校生活が落ち着いて、ある程度の実力と資金が溜まったら、次のステップだ」
「次のステップ?」
「俺とレナの二人で、新しいファミリアを結成する。上から与えられた枠組みじゃない、俺たちのための組織だ」
ファミリア制度の闇を勝ち抜くには、自分たちが長となる陣営を立ち上げるのが不可欠。
歪んだシステムに風穴を開けるための、俺たちの真の居場所を作るんだ。
「ファミリア……。ふふ、私たちのファミリア、か。なんだかワクワクしてきたわ」
セレナは少しだけ顔を赤らめながらも、嬉しそうに微笑んだ。
窓の外の空はまだ厚い雲に覆われているが、俺たちの前を照らすロードマップは、今この瞬間、確かな光を放ち始めていた。
「ファミリアはまだ先の話だけどね。まずはEランクへ昇格、そして王立学校への入学だ」




