第96話 じぃじでもいいぞ
霊魂管理局の廊下は、見たこともない数の幽霊で溢れかえっている。そのほとんどは元人間で、あの閻魔大王が見たいという好奇心ゆえの行動だろう。
蓮と沙斗琉は人混みの最後尾で、その様子を呆れ顔で眺めている。
「すんごい野次馬の数だねー。オレたちも人のこと言えないけどさ」
「人がゴミのようだ」
「ラ〇ュタ面白いよね」
「最近のフィクションにはない良さがあるよな」
蓮は軽口を叩きつつ、この人混みに突入する気が起きずため息をつく。状況の確認など、とてもできそうにない。
(一応あいさつしたかったんだけどな……)
初代閻魔は蓮の祖父にあたる。蓮が小学生のころに鏡越しに会ったことはあるが、それ以来顔を合わせていない。
(仕方ないな。出直すか……)
蓮が沙斗琉にそう提案しようとしたとき、オフィスの出入口から赤ら顔の大男が姿を現す。懐かしいその姿に、蓮は「あっ」と声を上げた。
赤い顔に豊かなひげ、つり上がった太い眉は、まさに人々が思い描く閻魔大王そのものだ。二メートルを超える大きな体は、人混みでも埋もれることはない。
幽霊たちは歓声を上げる……かと思いきや、その迫力に気圧されたようで、皆そそくさと道を開ける。蓮の位置からも初代閻魔の全体像が露わになったが、力士のような体も中華風の赤い衣装も、かつて蓮が見た姿と変わらない。
初代閻魔はすっかり縮こまった幽霊たちに目を向け、大きな口を吊り上げてにやりと笑う。
「元人間の幽霊たちか。騒がせてしまい申し訳ない。おぬしらの仕事の邪魔をしないよう気をつけるが、何かあれば遠慮なく言ってほしい」
相手に気を遣った言葉であり、字面だけ見れば恐ろしいことなど何もない。しかし怒りの形相と大地を震わす低い声に、皆完全に腰が引けている。小さく「はい」と言う者、無言でうなずく者、恐怖で身動き一つ取れない者など様々だが、総じて初代閻魔の威圧感にあてられてしまっている。
(たぶん、笑顔のつもりなんだろうな……)
一度話したことのある蓮は、初代閻魔の性格をなんとなく把握している。慈悲深く丁寧で、本気で怒ることはほとんどない。ただ「顔が怖いだけ」だ。
そのとき、蓮と初代閻魔の目が合う。初代閻魔は目を見開き、どしどしと巨体を揺らして蓮に近づく。周囲にいた幽霊たちは、沙斗琉を残して全員蓮から離れていった。
初代閻魔は、ゆっくりと蓮に両手を伸ばす。沙斗琉がひやひやと見ているのがわかるが、蓮が気にすることはない。
初代閻魔の大きな手が、がっちりと蓮の肩を掴む。
「蓮! 久しぶりだなぁ~! ずいぶん大きくなって。息災か?」
猫なで声を出す初代閻魔の顔は、先ほどまでとは打って変わって柔らかい。ぽかんとする周りの視線を感じながら、蓮は表情を変えることなく口を開く。
「まあ、それなりに。大王もお元気そうで何よりです」
「大王など、かしこまった呼び方をしなくてよい。おじいちゃんでも、じぃじでも、好きなように呼びなさい」
「いえ、職場ですから……」
「真面目だのぉ~」
初代閻魔はわしゃわしゃと蓮の頭を撫でまわす。蓮は抵抗せず、初代閻魔の好きなようにさせている。
蓮の隣で様子を見ていた沙斗琉は、初めて当代閻魔に会ったときのことを思い出す。あのときも、突然「蓮きゅん」と言い出した閻魔に拍子抜けしたものだ。
(やっぱ親子だなぁ……)
沙斗琉はただ苦笑いを浮かべることしかできない。気づけば周りに幽霊はいなくなり、蓮と沙斗琉と初代閻魔だけが立っている。
初代閻魔は蓮から手を放し、名残惜しそうに眉尻を下げる。
「もう少し話していたいが、やるべきことがあってな。また今度ゆっくり話そう」
初代閻魔は蓮に手を振り、建物の奥に向かって歩き出す。しかし蓮は当然のように、初代閻魔の後ろを歩き出す。沙斗琉も慌てて蓮を追いかけた。
初代閻魔は両手の袖を合わせて手を隠し、困ったようにもじもじとする。
「蓮も来るのか? できればあまり見られたくはないのだが……」
「お気遣いありがとうございます。ですが、行き先の見当はついているので大丈夫です」
平然と放った蓮の言葉に、初代閻魔は驚いたように目を開く。しかしすぐに、元の怒りに似た表情に戻る。
「……そうか」
それから初代閻魔は振り返ることなく、のしのしと廊下を歩く。たどり着いたのは局長室の前で、初代閻魔はノックもせず、大きな音を立てて扉を開く。
「邪魔をするぞ、愚息よ」
「うわぁ!」
部屋の奥の机で、当代閻魔が驚きに肩を震わせる。書類を書いていたのか、その手には万年筆が握られている。
当代閻魔はへらへらと笑い、後頭部を掻く。
「ち、父上でしたか……。ご機嫌麗しゅう……」
「閻魔……いや、紫蘭よ」
初代閻魔は袖の中をまさぐりながら、当代閻魔に近づく。そして袖から取り出した書類を、当代閻魔に突き付ける。
「お前には冥界の理を曲げようとした容疑がかかっている。よって、容疑が晴れるまで身柄を拘束させてもらう」
「……え?」
当代閻魔の手から、万年筆がポロリと滑り落ちた。




