第94話 鏡合わせの世界
現世と対になる世界、冥界。あの世、彼岸、黄泉の国など、様々な呼ばれ方をする死後の世界。冥界は現世と鏡合わせであり、隣にいつもある存在である。
そんな冥界の中に、いかにも立派な一つの巨大建築がある。四角い箱のような形をしたその建物は、現世であれば太平洋のある場所に位置している。灼熱の火の海に柱を立て、海に浮いているかのように、しかしどっしりと構えている。
その建物の一室に、一際荘厳で豪奢な広間がある。中央に置かれた漆黒の長机には、異形とも取れるあの世の長たちが、それぞれの思惑を抱いて並んでいた。
長机の中央には、手足に包帯を巻いた緑色の肌の男が腰を下ろしている。ミイラにも見えるその男は、手に持った報告書を眺めて不思議そうに眉根を寄せる。
「死者による犯罪は今に始まったことではないが、“本来持たぬはずの力”による犯罪というのはおかしなものだな。それに昨年は、“死者に干渉する力を持つ生者”による事件もあっただろう。二つの事件に関連はないのか?」
その斜め前に座るローブの男も、訝しげに書類の作成主である大男を睨む。
「その生者による事件も、元凶たるきみの後継者はなんの処罰もされていないそうじゃないか。いったいどうなっている? 死後の世界の者がこの世の者に手を出すなど、今の倫理観ではあってはならないことだ。今の倫理観ではな」
「今の倫理観では」と二回言った理由が、過去に彼が地上の者を冥界に連れ去った故であることは、この場の誰もが知っていることである。そこに誰も追及することはない。
ひげを蓄えた長髪の青年が、慈愛に満ちた瞳で大男を見る。
「あなたの後継者は、冥界の長の重圧に耐えきれず逃げ出したことがあるのですよね。今回も仕事の疲れゆえに、彼が起こした事件なのではありませんか? そもそも、日本の冥界は複雑すぎます。一人に対して十人もの裁判官が罪を裁くなど、裁判官への負担が大きくなって当然です。神を信じ、受け入れる。罪の基準などそれでよいではありませんか」
「そうだそうだ! 不信仰こそが罪だ!」
別の方向から野次のような声が飛ぶ。だんだんと各々がバラバラに話し始め、室内にざわめきが広がっていく。
「神を信じ、神の教えに従うことが正しい行いだ!」
「日本の神は八百万どころか、すべてのものに神が宿るらしいぞ? どの神を信じるんだ。全部か?」
「その考えこそが、罪というものを複雑にしているのです。ただ一つの指針があるからこそ、人々は一つになれるのです」
「じゃあ最後に神を信じていれば、殺人だろうがなんだろうがやっていいってことか?」
「そうではありません。殺人は教えに反することで……」
会話はあらぬ方向へ行き、だんだんと自分の主張を通すだけの議論が始まる。
包帯の男はふーっと息を吐き、バンッと空気が破裂するような音を立てて書類を置く。騒いでいた声は、水を打ったように一斉に静まり返る。包帯の男は顔色一つ変えず、静かに話しながら書類を整え直す。
「ここは各々の価値観を押し付ける場所ではない。それにWSAとして正解を出したとしても、それがその国にとって最善とは限らない。いくら考えたところで、大きな一つの川を頼りにしてきた私に、至るところから水が湧き出る国のことは理解できないからな」
包帯の男は姿勢を正し、書類の作成者である大男に目を向ける。
「最後に決めるのはあなただ。あなたはこの事態をどう見る、エンマ」
全員が静かになり、一斉に大男を見る。大男は太い眉を寄せ、力強い瞳で前を見据えた。




