第90話 庇った腕の痛み
鈍い音と共に、蓮の左腕に激痛が走る。蓮は痛みに顔を歪めながらも、間に合ったことに安心する。
ゴトッと大きな音を立て、箱馬が床に落ちる。蓮の目の前でしゃがみ込む麗奈は、どうやら衝撃が来ないことに気づいたようだ。麗奈は恐る恐るといった様子で顔を上げる。
「え……? なに? 箱馬は……え? あんた誰? どこから……」
「ただのスタッフです。お怪我は?」
「ない、ですけど……」
麗奈は取ってつけたような敬語を話す。スタッフに本性を知られてはいけないと思ったのだろうか。蓮は特に気にすることなく、今しがた「箱馬」という名前を知った木の箱を片手で拾う。
「ないなら早く行ってください。ここ、片付けますので」
「え、あ、はい……」
麗奈は訝しげな顔をしながらも、早足に楽屋方面へ去っていく。蓮は追及されなかったことに安心し、箱馬を壁際にそっと置く。
「蓮、大丈夫?」
後ろから現れた沙斗琉が、心配そうに蓮の腕を覗き込む。蓮は袖を捲ろうとするが、着込んでいるためうまく捲れない。
「まあ、折れてはないと思う。冬でよかったな。布の防御が厚い」
「そっか。でも、ちゃんと病院は行ってね」
「わかってる。それより、念のためあいつの様子見てきてくれるか?」
「あいつってれいにゃ? わかった。がっくん、後よろしく~」
沙斗琉は蓮の背後に手を振り、麗奈が向かった方へ音もなく走る。蓮は振り返り、箱馬を振り下ろした人物に目を向ける。
その人物は岳に腕をつかまれ、呆然としているようだった。
「……黒木」
蓮が小声で呼びかけるが、ひなが返事をする様子はない。岳はひなの手を掴んだまま、眉間にしわを寄せて蓮を見る。
「すまない。止められなかった」
「いえ、大丈夫です。そんなに痛くは……」
「沙斗琉も言っていたが、病院で診てもらった方がいい。素人判断ほど危険なものはない」
珍しく岳の口数が多いのは、きっと経験から来るものだろう。岳は生前、建設現場で働いており、危険な怪我に遭遇したことがあるのかもしれない。
蓮は内心面倒くさく思いながらも、素直に「はい」と返事をする。
蓮たちがここにいるのは、朝からひなを観察していたからだった。蓮たちはひなが行動を起こすなら今日だと思い、沙斗琉が尾行、蓮と岳はすぐに動ける場所で待機という分担をしていた。連絡手段である岳の携帯電話は、以前はひなが持っていたが、岳が「ひなの負担を軽くしたいから」と説得し所持していた。
ひなが箱馬を手にした段階で、沙斗琉は岳に連絡をしていた。しかし場所の伝達が上手くいかず、蓮と岳はしばらくドームの中をさまよった。蓮がひなを見つけたときには、すでにひなは箱馬を振り上げているところだった。
蓮は扉で無理やりひなと麗奈の間に移動し、ぎりぎり間に合ったのだった。
麗奈が去っていった方向から、ざわざわと人の声がする。蓮は扉を出現させ、手早くダイヤルを回す。
「御手洗さん、とりあえず移動しましょう。勝手に入ってきてるんで、見つかるとまずいです」
蓮は許可を得てドームに入ったわけではなく、扉を使って侵入している。見つかれば警察のお世話になることは間違いないだろう。そこまで説明しなくても、岳は理解してうなずく。
岳が軽々とひなを横抱きにする。ひなが抵抗する様子はない。蓮たちは急いで扉をくぐり、その場を後にした。




