第89話 鏡の中のブス
※今回は重めの内容を含みます。無理のない範囲でお読みください。
あっという間に時が経ち、I'm a ☆のドームライブが始まった。満員御礼で初日を迎え、アイドルたちは全力のパフォーマンスで会場を盛り上げた。ファンも当然フルスロットルで、会場内は冬とは思えないほどの熱気に包まれた。
二日目も危なげなく終わり、あっという間に千秋楽を迎える。早朝から過密なスケジュールで楽屋が戦場と化す中、麗奈は演出家と共にスタッフ用の多目的トイレにいる。いわゆる逢引きだ。
麗奈は演出家の首に絡みつき、寂しげに上目遣いをする。
「落合さぁん。そろそろ戻らないとぉ」
「もうそんな時間? 仕方がないなぁ……。じゃあ続きは、本番の後にね」
強面の演出家は麗奈の髪を梳きながら、耳元に顔を寄せ甘い声で囁く。二人は名残惜しそうに離れ、演出家が先に多目的トイレを後にする。
手を振って見送る麗奈は、演出家が見えなくなるとぴたりと手を止める。気だるげに手を下ろし、ふーっと深いため息をつく。
(あー、キモかった。あいつのご機嫌取りも、もう少しの辛抱か)
麗奈は手洗い場に行き、バシャバシャと冷たい水で顔を洗う。水滴をハンカチで拭い顔を上げると、鏡にはひどく不細工な自分の顔が映っている。
(なんでこんなに気ぃ遣ってんのに、あたしってブスなんだろ)
麗奈は自分の容姿にコンプレックスがある。原因は、見るに堪えない容姿の両親にあるだろう。ファンからもてはやされているときは忘れていられるのに、一人になると途端に不安になる。センターの座を獲得したら克服できると思っていたのに、不安は増すばかりだった。
かつてセンターを決めていた人気投票は、多少なりとも麗奈の心を慰めてくれていた。どこまでが操作でどこまでが事実かわかっていたから、みんなが本当に自分を好きになってくれていると実感できた。
しかしその人気投票は、皮肉にも麗奈の行動で終わりを告げた。麗奈が当時の二位を殺したことで、廃止になったのだ。I'm a ☆運営は皆麗奈の仕業だとわかっていて、今後同じトラブルを生み出さないために、順位付けをやめたのだ。
それ以降、センターは演出家の意向で決められている。センターになるために取った行動は、結果的にセンターの座の獲得を困難にした。麗奈は必死に演出家に取り入り、枕営業すれすれなこともして、なんとかセンターを維持し続けている。
麗奈は大きくため息をつく。自分が世界一可愛く見える日もあるというのに、大事な日に限って、なぜかその魔法は解けてしまう。
(これが終わったら卒業……。卒業したら、センターを維持する必要はなくなる。キモい演出家に媚び売らなくてよくなるはずだから……)
麗奈は鏡に向かい、曇った自分の顔に笑いかける。今日のように心が死んでいる日は、完璧な笑顔で自分に暗示をかけるのだ。
麗奈は笑顔のままトイレを出る。誰にも心を悟られないように、麗奈はなるべく弾んで見えるように上下しながら歩く。
そのとき、背後からガタリと物音が聞こえた。麗奈はトイレを出るときに、近くに誰もいないことを確認したはずだった。一本道であり、突然誰かが出てくることなどないはずなのに――。
麗奈の心が早鐘を打つ。それでも麗奈は、なんでもない顔をして振り向いた。
そこには誰もいなかった。麗奈は安心して、ほっと息をつく。
しかしふと視線を上げたとき、その安心は早計だったと気づく。信じられないことに、箱馬が宙に浮いていたのだ。
上から糸で吊られているわけでも、誰かが隠れているわけでもない。本当に、箱馬がひとりでに浮いているのだ。
「ひっ……!?」
麗奈は笑顔を忘れ、ただ驚きと恐怖に支配される。直後、箱馬は勢いよく麗奈に向かってきた。まるで誰かが箱馬を掲げながら、麗奈を追いかけているかのように。
麗奈はまとまらない頭で、逃げなければと考える。それなのに、足は縫い付けられたようにその場から動かない。
「キャ――――――――――!!!!」
麗奈は無意識に甲高い声を上げ、頭に手を置きしゃがみ込む。それが正しいかなど、判断している余裕はない。
ゴッと、鈍い音が麗奈の耳に響いた。




