第81話 憎らしいくらい晴れた空
潮風の音を聞きながら、ひなはベンチに膝を抱えて座っている。波が立つ海は、太陽の光を反射して憎らしいくらい輝いている。
いつもは何とも思わない人々の笑い声が、今のひなには妙に恨めしく感じる。全ての情報を拒絶するように、ひなは抱えた膝に顔を埋めた。
「ひなちゃん、その座り方危ないよ」
後ろから聞こえる声に気づきつつ、ひなは顔を上げずに言葉を返す。
「どうせ見えないからいいもん」
「いや、オレには見えるから」
「見たの?」
「見てないよ。セクハラじゃん」
「その場合、セクハラしてるのはあたしの方じゃない?」
話しているうちに気が楽になり、ひなは顔を上げてベンチから足を下ろす。ベンチの右側に寄ると、後ろにいた沙斗琉は空いたスペースに腰を下ろす。
「元気ないじゃん。珍しい」
「沙斗琉は前よりいい顔してるね」
「そう?」
「うん。憑き物が落ちたみたい」
「それはそうかも」
ひなが最後に会った沙斗琉は、迷子の子供のような顔をしていた。けれど今は吹っ切れたように、まっすぐ前を見ている。
沙斗琉は長い足を組み、たそがれるように海の向こうを眺める。
「ちゃんと実家行ってきたよ」
「偉いじゃん。一人で行ったの?」
「近くまで蓮についてきてもらった。家には一人で入ったよ」
「どうだった?」
沙斗琉は目を伏せ、穏やかに、それでいてどこか寂しそうに微笑む。
「ちゃんと、大事にされてたみたい」
「……そっか。よかったね」
複雑な声色に、それが沙斗琉にとって大きな一歩だったことをひなは感じ取る。吹っ切れたようではあるものの、まだ沙斗琉の中で処理しきれていない感情があるようにも見えた。
沙斗琉は大きく息を吸い、切り替えるように澄んだ空を見上げる。
「これからは、もう少しこまめに実家の様子見に行こうと思う。まだ父親は見てないしね」
「お母さんとお姉さんに会ったの?」
「ううん。母さんだけ。姉貴は会わなくていいよ。どうせ好きかって生きてると思うから」
「あ、お姉さんそういう感じの人なんだ……」
沙斗琉にしては珍しい雑な物言いに、ひなは沙斗琉の兄弟関係をなんとなく察する。ひなも妹のことを思い出し、少し懐かしい気持ちになる。
会話が途切れ、ひなと沙斗琉は白く波打つ海を眺める。遠くに見えるクルーズ船は、みなとみらいを出てどこに行くのだろうか。
「聞かないの? あたしの考え事」
「聞いてほしいなら聞くよ」
前にひなが沙斗琉に言ったのと同じことを、今度は沙斗琉から返される。ひなは目を伏せ、再びベンチに足を乗せて膝を抱える。
「嫌いなやつが、グループを卒業するの」
「I'm a ☆の?」
「そう。それで、ドームで卒業ライブするんだって」
I'm a ☆、通称アイスタは、ひなが生前所属していたアイドルグループだ。ひなは久しぶりに聞く正式名称に懐かしさを覚えながら、膝の中に顔を埋める。
「あたしも、ドームの真ん中に立ちたかった……」
つぶやくようなひなの声は、強い風の音に遮られる。沈黙する沙斗琉の様子に、聞こえなかったのかとひなは思うが、風が止むと同時に沙斗琉は口を開く。
「……ごめん。かけられる言葉が出てこないや」
ひなは少しだけ顔を上げ、ちらりと沙斗琉の表情を見る。沙斗琉は口元に笑みを残しつつ、申し訳なさそうに眉尻を下げている。
ひなは首を起こし、ふるふると首を横に振る。
「ううん。ありがとう。気休めを言われるより嬉しい」
「そっか」
沙斗琉は立ち上がり、正面の海を眺める。ひなを見ないのは、ひなの姿勢に気を遣っているのかもしれない。
「気休めにもならないけど……。もしひなちゃんがライブするなら、そのときは呼んでね。幽霊でよければ、人集めるから」
「幽霊限定ライブ?」
「そう」
「ふふっ。それも楽しそう。ありがとね」
ひなが笑うと、沙斗琉は少しだけ安心したように目を細める。沙斗琉はひなを見ないまま、くるりとコートを翻す。
「じゃ、なんかあったら連絡して。オレでよければ話し相手になるから」
「うん。ありがと」
「あと、やっぱりその座り方危ないと思う」
「下履いてるよ?」
「そういう問題じゃない」
「そうなの? じゃあ気を付ける」
ひなが足を下ろし、ひらひらと沙斗琉に手を振る。沙斗琉は軽く手を挙げて応え、モデルのように優雅な足取りで去っていく。
ひなは再び海に目を向け、小さくため息をつく。少し晴れた気がした心は、一人になると再び黒い雲に覆われる。
憎らしいくらい晴れた空を睨み、ひなは再びベンチの上で膝を抱えた。




