第80話 捕まってない殺人犯
葵の言葉に、蓮はつい驚きの表情を浮かべてしまう。ひなの死は事故ということになっているが、それが事実ではないことを、蓮はひな本人から聞いている。
ひなが言うには、当時の人気投票で三位だったメンバーに突き落とされたらしい。葵の言う「最後の投票」がひなの生前ならば、麗奈がひなを殺した犯人で間違いないのだ。
世間的には事故死とされているのだから、驚いてはいけなかったと蓮は思う。しかしその驚きの理由を、葵は勘違いしたようだ。
「まあ事故死って発表されてんのに、殺人とか言われたら驚くよな」
「ああ……」
葵の勘違いに、蓮は内心ほっとする。葵は蓮の動揺に気づくことなく、うなずきながら話を続ける。
「根も葉もない噂だと思うけど、そんな噂が出るくらいにはひどいんだよ。ライブとかイベントでれいにゃと距離あるなーって人、みんな辞めてくし。ひなちゃんも相当目つけられてたんだけど、ひなちゃんってイジメに屈するタイプじゃないじゃん?」
「そうだな」
ひなが非常に芯の強い人間だということは、蓮もよく知っている。一度決めたら曲げず、他人の意見に左右されない。それは頑固ともいえるが、ひなが国民的アイドルにまで上りつめた理由の一つなのかもしれない。
葵は冷静な顔で豚汁をすすり、飲み込んでから口を開く。
「だから、どんだけイジメても辞めないから殺したって噂になったんだよ。まあ、警察がちゃんと調べてるだろうし、ひなちゃんファンのやっかみだとは思うんだけどなー」
葵は平然としているが、事実を知っている蓮としては落ち着かない話だ。その噂も、真相を知っている人物が流したのではないかと勘ぐってしまう。
しかし蓮はふと思う。本当に警察がきちんと調べているのなら、他殺とわからないものなのだろうか。
(黒木は「取り巻きもいた」っつってたし、証拠の一つくらい出そうなのにな……。もみ消されたとか? 考えたところで、警察じゃないんだからわかるわけないんだが)
蓮は牛丼を咀嚼しながら、眉間のしわを深くする。そもそも人気のために人を殺すこと自体が、わかりそうもない話だった。
(つか、今後あの田場 麗奈って人見たら、毎回『捕まってない殺人犯』だと思うんだろうな……)
蓮は小さくため息をつき、牛丼をかき込む。うっかり口に出してしまわないように生活するのは、なかなか面倒くさそうだ。
しかしもう卒業するのなら、あまり話題にはならないかもしれない。そう思ったとき、ふと蓮の中に疑問が浮かぶ。
「その人、なんで卒業するんだ?」
人を殺してまで得たナンバーワンアイドルの座を、どうして手放すのか。麗奈が気になるというよりは、単純な疑問として蓮の中に湧き起こる。
葵は豚汁を飲み干し、空になった容器を丁寧にテーブルに置く。
「憶測は色々あるけど、本人は『タレントとしてもっと色んな活動をしたい』みたいなこと言ってた。でも、実際のところはわかんねーや。熱愛報道が出たから辞めさせられたって言う人もいるし、単純に年齢じゃないかとも言われてる」
「いくつだ?」
「二十六」
「辞めるような歳か?」
「アイドルなら年長組に入る」
「へー……」
アイドルの世界の厳しさを感じながら、蓮は空になった牛丼の器に箸を置いて手を合わせる。同時に葵も手を合わせ、二人は「ごちそうさま」と声をそろえる。これ以上考えたら気になることが増えてしまいそうで、蓮は話を打ち切ることにした。
ごみを片付けていたとき、葵は突然思い出したように「あ!」と声を上げる。
「蓮さ、今月の十六か十七って空いてる? 付き合ってほしいところがあってさ~。金はオレが払うから!」
「別にいいけど。両方空いてる」
「じゃあ十七で!」
「ん」
蓮は机の上に放置されたスマートフォンを手に取り、スケジュールアプリを立ち上げる。このとき蓮は、麗奈の卒業で事件が起こるとは、そしてそこに自分が関わることになるとは、想像もしていなかった。




