第79話 無理なタイプ
「あけおめー!」
「おー」
蓮が玄関のドアを開けた瞬間、葵は近所迷惑になりそうなほど元気よく声を上げる。蓮はいつも通りの低いテンションで返し、葵を家に招き入れる。
葵は慣れた様子で靴を脱ぎ、テイクアウトした牛丼の袋を蓮に手渡す。
「ちゃんと大盛りにしてきた! 実家の土産もあるから、そっちはあとで出すな」
「地元土産か……」
「だって蓮、今年も帰ってないだろ? 春日部が恋しいかと思ってさー」
「帰るも何も、実家がないからな。つか、春日部土産ってなんだよ」
「草加せんべい」
「春日部どこいった? うまいけど」
蓮は部屋の奥に入り、いつものローテーブルに牛丼の袋を置く。流れるように牛丼を袋から出していると、蓮は葵の分と思われる商品がいつもと違うことに気づく。
「葵ー。このカルビ定食ってお前のだよな?」
「そう!」
葵は手を洗い終え、かつてないほどにこやかに部屋に入ってくる。
「高いからあんま買わないんだけどさー。豚汁もつけちゃった」
「珍しいな。だいたいチーズ牛丼なのに」
「ライブ当たってちょっと浮かれてる」
「ああ、いつもの」
二人は「いただきます」と手を合わせ、各々の食事の容器の蓋を開ける。葵の分はいつもより少し豪華に見え、米とおかずが分離しただけなのに不思議なものだと蓮は思う。
葵は上機嫌で箸を袋から取り出し、豚汁の器を持ち上げる。
「ドームとはいえ日数少ないし、当たんないと思ってたんだよなー。はぁー、豚汁あったけぇー」
「収容人数どれくらいだ?」
「今回のライブだと四万人くらい。で、三日間」
「それで足りないのか……?」
「全然足りない」
想像を絶する人数に、蓮は思わず顔をしかめる。実際は一人が複数日応募することがあるため十二万人が来るわけではないが、人混みが苦手な蓮には考えたくない人数だ。
葵は蓮の様子など気にもせず、美味しそうにカルビを頬張る。
「まあでも、千秋楽に応募が偏ったんだと思う。れいにゃの卒業ライブを兼ねるって発表されてたし」
「誰?」
「れいにゃ」という人物に蓮は聞き覚えがなく、人名なのかすら若干怪しむ。葵は箸を置き、ポケットから黄色いケースのスマートフォンを取り出す。
「田場 麗奈。愛称が「れいにゃ」なんだけど、テレビで見たことない?」
「テレビ見ねぇ」
「ネットニュースは?」
「芸能読み飛ばしてる」
「なるほど? まあ、蓮はこの手のタイプ苦手そうだしなー。ほら、この人」
葵はスマートフォンの画面を蓮に向ける。そこに映っている女性に、蓮は思わず眉間にしわを寄せる。
「蓮、顔に出てる」
「……ちょっと俺には無理だ」
「だと思った」
女性は明らかに蓮の苦手な部類だった。媚びるような上目遣いも、加工したようにキラキラとした目元も、作り物のようで蓮には抵抗がある。「無理」ですらかなり気を遣った言葉だった。
葵はスマートフォンをポケットに戻し、再び箸を手に取る。
「今回はれいにゃの卒業前最後のライブでさ、千秋楽は卒業ライブも兼ねてんの。まあ、急に卒業が決まったから、無理やりライブに組み込んだ感じもしてるけど」
「へぇー……。人気なのか? この人」
「まあ、センターだし。非公式の人気投票だと一位」
「公式は?」
「投票自体が廃止になったんだよなー。最後の投票だと三位だったけど、あのときの一位と二位はいなくなってるから、実質一位?」
「ほー……」
蓮の眉間のしわがさらに深くなる。「何がいいのかわからない」という気持ちが葵にも伝わっているのか、葵が小さく笑いを堪えている。
蓮は気を取り直すように、牛丼の器を持ち直す。
「で、葵は千秋楽に応募してないから当たったかもしれないと」
「まあ落ちてる人もいるし、結局運が良かったんだけどなー。他の日より倍率低いってだけで」
「ふーん。千秋楽は行かなくていいのか?」
「うん。てか、オレどっちかっていうと、れいにゃ嫌いなんだよね」
「へえ」
葵がきっぱりと「嫌い」と言うのが珍しく、蓮は葵の表情を見る。少し不満げな顔は、蓮に気を遣っているわけではなさそうだ。
「メンバー内でイジメがあるんだけど」
「ある前提なんだな……」
「うん。ファンの間でも有名な話。で、イジメてる側の筆頭がれいにゃなんだよな。あと、これは噂でしかないんだけど……」
葵がちらりとベランダに目を向ける。窓が閉まっていることを確認したのか、もしくは幽霊がいないか見ていたのかもしれない。
葵はひそひそ話をするように、口元に手を添える。
「れいにゃが、ひなちゃんを殺したんじゃないかって言われてるんだよ」




