第7話 幽霊でも猫は猫
「これはこれは……。今回のターゲットは、ずいぶんと可愛らしいね」
目の前で毛を逆立てる小さな幽霊に、沙斗琉は甘い顔で微笑んだ。
大通りから一本奥へ入った道の、雑居ビルの隙間。大人二人が並んで通るには少し狭く、地図にも道として表示されない。
蓮はスマートフォンを開き、本部から送られてきたターゲットの情報を読み上げた。
「水野 シロ。生前の家は新宿区。そこそこ裕福な家庭で大切に育てられ、病院以外に家を出たことはほとんどない。こんな中野の雑居ビルとは全く無縁そうだが……」
蓮はスマートフォンから視線を外し、足元を見る。シロは蓮を警戒しているのか、「シャー!」と牙を剥いている。
しかし沙斗琉には心を開いているのか、沙斗琉が隣にしゃがむと途端に大人しくなった。
「いい子だね~。よしよーし」
沙斗琉は猫なで声でシロを撫でる。シロは沙斗琉の足にすり寄り、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「……猫もイケメンが好きってか」
「シロちゃんって女の子?」
「メス」
「じゃあそうかも」
猫は人間より正直だ。好きな人に甘え、嫌いな人には噛みつき、興味のない人は素通りする。例外があるとしたら、“使える”と判断した相手だけだ。
沙斗琉はシロを片手で抱き上げ、大鎌の柄を短く持って鎖を切る。狭い場所で、しかも猫という予測不能な動きをする相手を抱えたまま、よく鎖だけを器用に切るものだと蓮は感心した。
沙斗琉は手から鎌を消し、両手でシロを抱え直す。肩の高さに抱き上げると、シロは沙斗琉の頬をペロペロと舐めた。
「人懐っこいね~。それともオレが猫に慣れてるってわかるのかな?」
「飼ってたのか?」
「オレは飼ったことないけど、昔付き合ってた子の家に二匹いた」
「何番目の彼女?」
「えっとねぇ……。何番目だっけ?」
沙斗琉が指を折りはじめたとき、シロが沙斗琉の顔に爪を立てた。どうやら他の女性の話題はお気に召さなかったらしい。
沙斗琉は笑いながら、機嫌を取るようにシロの顎を撫でた。
「にしても、なんでこんなところにいたんだろ。シロちゃんの経歴って、中野と接点ないんだよね?」
「ああ。冥界の裁判も進行中で、書類の照合待ちの間に現世を散歩しに来たらしい」
「裁判の間に散歩しちゃうんだ……。猫は自由だね」
「審査待ちの間暇だからな……。ともかく、地縛霊になるような理由は見当たらない」
「地縛霊って、冥界に来る前になるものだしね」
地縛霊は死した直後に魂と場所が結びつき、冥界に行くことができない状態だ。一度冥界に行った魂が縛られるなど、普通はあり得ない。
付近を走る車の音が、ごうごうと通り過ぎる。二人の頭には一つの可能性が浮かんでいたが、自信を持って意見することはできなかった。
「あり得ないとは思うけど……」
沙斗琉がそう前置きし、眉根を寄せて蓮を見る。
「誰かが地縛霊を作ってる……ってことはないかな」
「……やっぱりそう思うか」
蓮も険しい表情で沙斗琉に視線を返す。沙斗琉はシロを撫でる手を止めずにうなずいた。
「そんなことができる人がいるとは思えないけど、自然に起こる方がもっとあり得ないと思う」
「そうだな……。俺みたいに、生まれつき変な力持ってる人間がいるんだ。地縛霊を作れるやつがいてもおかしくないだろ」
蓮は空間に手を翳し、ダイヤルがついた金色の扉を出現させる。狭い場所に合わせて扉も細くしたが、かなり縦長で不格好だ。
蓮は扉に向かいダイヤルを回しながら、後ろの沙斗琉に声をかける。
「その猫、大人しく入ってくれると思うか?」
「どうかなぁ。猫ちゃんは気まぐれだからね。逃げられたら困るし、このまま抱えていくよ。ついでに課長と話してくる。昼間会えなかったからさ」
「んー。じゃあ、次の裁判官のところに座標合わせるわ」
蓮は縦に並ぶダイヤルのうち、下の二つをカラカラと回す。沙斗琉はシロをしっかりと抱え直した。
「次の裁判って誰のとこ?」
「宋帝王」
「うわー……。会いたくない」
「邪淫の罪でもあったのか?」
「ないと思う? オレ女性関係で死んでるんだよ?」
そんな会話をしているうちに、ダイヤルを合わせ終えた扉が開く。沙斗琉は背中を丸め、とぼとぼと扉をくぐった。
重厚な扉が音を立てて閉まる。一人残された蓮は、シロが縛られていた場所を見つめてため息をついた。
(大きなことにならなきゃいいんだが……)
わずかに胸騒ぎを覚えながら、蓮はその場を後にする。蓮の足元には、不穏な気配がまとわりついていた。




