第72話 再開の一撃
雲一つない黒い空を、淡い青色に輝く塔が切り裂いている。営業時間を過ぎているからか、塔の付近に人の姿は少ない。
夕樹は風船のようにふわりと宙を舞い、塔の展望デッキに向かう。既に地上はずいぶんと遠いが、飛ぶことに慣れた夕樹に恐怖の感情はない。
下からは円形に見える展望デッキに、夕樹は壁をすり抜けて侵入する。閉館後の展望デッキは暗く、外からの明かりがうっすらと差しこむ程度だ。
夕樹が床を踏みしめると同時に、見慣れた二人の幽霊が並んで近寄ってくる。少し固い表情の二人に、夕樹は心からの笑みを向けた。
「久しぶり、晴翔。沙斗琉は一週間ぶりくらい? もう少し前だったかな?」
「お、お兄ちゃん……」
晴翔が感極まったように声を震わせる。三年ぶりに会う弟は、記憶の中と少しも変わっていない。
今にも泣き出しそうな晴翔に、夕樹は申し訳なく思いながら目を細める。
「置いてってごめんね。晴翔までは巻き込めないと思ったから……」
夕樹が言い終わるのを待たず、晴翔は夕樹の元へ駆け寄ってくる。夕樹は晴翔を抱きとめようと両手を広げ――
次の瞬間、みぞおちに重い一撃を食らった。
「ぶっ……!」
空気が情けない音を立てて口から吹き出す。胃袋など存在しないはずなのに、胃がせりあがるように吐き気が込み上げてくる。寸でのところで飲み込み、夕樹は腹部を押さえてうずくまった。
晴翔は夕樹を見下ろし、ふーっと大きく息を吐く。その表情に、先ほどまでの可愛げはなかった。
「ごめんじゃないよ。お兄ちゃんがいなくなってから、ぼくと沙斗琉がどんだけ大変だったと思ってるの?」
「えっ、いや、あの……。それは本当に申し訳ないと……」
「申し訳ないと思ってるなら、にこにこしながら『ひさしぶり~』なんて言えないよね。本当に悪いと思ってる?」
「ごめんなさい。あの、本当に謝るか……らぁ!?」
晴翔の後ろの人影に、夕樹は驚いて横に転がる。顔のすれすれを刃物が通り、聞こえないはずの風を切る音が聞こえた気がした。
夕樹は起き上がり、晴翔の後ろの影に目を向ける。沙斗琉は振った大鎌を弧を描きながら肩に担ぎ、眉間にしわを寄せ青筋を立てている。
「チッ。避けたか」
「いや、避けないと切れちゃうからね!? さすがに危ないよ! 晴翔に当たったら……」
「当てないよ。器用さは顔面以外の数少ない取り柄だからね」
沙斗琉と晴翔が、夕樹の方へ並んで向かってくる。夕樹は予想外の展開に驚きながら、一定の距離を取るように後ずさる。
「ちょ、ちょっと待って。そもそも僕、蓮さんに呼ばれたと思うんだけど、蓮さんは?」
夕樹は葵と出会った路地裏に挟まっていたメモ用紙を取り出す。達筆な文字の一番下には、確かに蓮の名前が書かれている。
沙斗琉は少し冷めた表情で、そのメモ用紙を指さす。
「宛名の下の二行、頭文字だけ縦に読んでみて」
「縦に?」
夕樹は目を凝らし、言われた通りに頭文字だけを縦に読む。
うかがいたいことがございます。下記日程で
そちらの都合はいかがでしょうか。
「……うそ」
夕樹はがっくりとうなだれる。想像以上に幼稚な仕掛けに、夕樹は恥ずかしさに顔を赤くする。いや、血は通っていないから、実際には赤くないかもしれない。
「ちょっと変な文章だとは思ったけど……」
「蓮が三秒で考えた文ね」
「蓮って真面目そうに見えて、くだらないこと考えるよね」
沙斗琉と晴翔が、同情を交えた瞳を夕樹に向ける。あまりのいたたまれなさに、夕樹は穴があったら入りたい気持ちになった。
夕樹とて、罠の可能性を考えなかったわけではない。しかし蓮の扉の力を借りられる可能性が少しでもあるならと、深く考えず誘いに乗ってしまった。
夕樹は大きくため息をつき、メモを折りたたんで手帳に挟む。
「仕方がないね……。気づかなかった僕が悪い」
夕樹は顔を上げ、沙斗琉と晴翔をまっすぐに見据える。晴翔に殴られたみぞおちは、既に痛みが引いていた。
「僕に用があるのは二人だったんだね。用件を聞こうか」
「そんな警戒しなくても、すぐに終わるよ」
沙斗琉は鎌を構え、姿勢を低くする。笑みを浮かべる口元とは裏腹に、その目は捕食者のように鋭く夕樹を睨みつける。
「一発ぶん殴りに来ただけだからさ」




