第70話 不名誉な息子
(母親、か……)
沙斗琉の体を海風が通り抜ける。大きな観覧車に懐かしさを覚えながら、沙斗琉は地元の道を一人歩く。約十年ぶりのみなとみらいは相変わらず賑わっているが、記憶の中の景色とはところどころ違っている。見知らぬロープウェイを横目に、沙斗琉は時の流れを実感していた。
晴翔の話を聞いて、沙斗琉も親と向き合おうと思った。しかし横浜まで来たものの、そこから実家までの足取りがどうしても重い。
自分を刺した女性の様子は見に行けたのに、どうして親を見るのは億劫なのか。沙斗琉はまだはっきりと言葉にできなかった。
(もう、観光だけして帰ろうかな~。知らないものもけっこうあるみたいだし)
そんな考えが過ったとき、ふと遠くを歩く女性の幽霊に気づく。綺麗に巻かれたサイドテールは、生きていたらふわりと海風に揺れただろう。女性は沙斗琉に気づくと、ミニスカートをなびかせて駆け寄ってくる。
「沙斗琉! 横浜にいるの珍しくない?」
「久しぶり~ひなちゃん。いや、本当にその通りでさ。十年くらい来てない気がするんだよね~」
「前はよく来てたの?」
「地元だから」
「あっ、そうなんだ! なんかわかるかも」
そう言いながら、ひなはまじまじと沙斗琉を見る。人気アイドルと親しげに話すなど、生前であれば週刊誌に激写されていたことだろう。
「ひなちゃんは回収?」
「ううん、息抜き。みなとみらいは深夜か早朝じゃないと回収できないかなー」
「人多いもんね~」
「ね! 昼は観光、夜は夜景で、人が絶えないのよねー。渋谷とか新宿ほどじゃないと思うけど」
沙斗琉とひなは、話しながら宛もなく歩く。青空の下の赤レンガ倉庫は、沙斗琉が子供のころとあまり変わっていない。
「十年も来てないなら、横浜駅とかびっくりするんじゃない?」
「うん。ほぼ知らない駅になってた」
「かなり開発が進んでるからねー。これからもっと進化する予定なんだって」
「へぇ。すごいね」
強い海風が吹き、人々が帽子やスカートを押さえる。沙斗琉たちは風の音だけを感じながら、向かい風に逆らい歩く。
「聞かないんだね。オレが何しに来たのか」
「十年ぶりの地元なんて、なんか事情があるに決まってるでしょ。遠方でもないんだし。わざわざ聞かないわよ。聞いてほしいなら聞くけど」
沙斗琉が立ち止まると、ひなは何も聞かずに足を止める。沙斗琉は白く輝く海を眺め、自嘲気味に微笑む。
「実家に行こうと思ったんだよね。最近ちょっと親の話題が出て、オレも見に行こうと思って。でも、いざここまで来るとやる気がなくなってさ。もう観光だけして帰ろうかな~と思ってたんだ」
「ふーん。いいんじゃない、観光だけでも。いつでも来れるんだし」
「そうなんだけどねぇ……」
沙斗琉は微笑んだまま、愁うように目を伏せる。
「オレもいつまで回収課にいるかわかんないし、親はいつまでも生きてないんだよね」
ひながはっとするように目を開く。ひなも沙斗琉と同じように目を伏せ、自分の体を抱きしめるように二の腕を握る。
「……たしかに。いつ死ぬかなんてわかんないもんね」
「うん。だから生きてるうちに、オレが死んだ後のあの人たちを見ておこうかなーと思ったんだ。でも、なかなか勇気が出なくてさ」
風が吹き、沙斗琉たちを残して落ち葉が舞う。同時に聞こえてくる悲鳴は、どこか遠くの出来事のようだ。
「親に最後に会ったのは、大学四年生のとき。喧嘩して家出して、それから一度も連絡とってない。親からしたら、自分の言うことを聞かずに出ていった挙句、風俗で働き出して、しかも客に刺されて死んだ不名誉な息子なわけじゃん? どんな悪態つかれてるんだろうなぁと思って」
「息子を悪く言うような親なの?」
「そうだね。少なくとも、ネイリストになった姉は色々言われてたよ。安定した職につけって何度も言われてたのに、結局言うこと聞かなかったんだから」
「姉弟そろってそうなのね……」
「うん。だからオレも言われてるんじゃないかな。ホストになんかなったから死んだんだって。葬式とかしたのかなぁ」
「さすがにしたんじゃない?」
「まあそうだね。世間体とかあるし」
ひなは何か言いたげに口を開くが、言葉を発することなくため息をつく。
「あたしは家族には恵まれたけど、会いたくない人とか許せない人がいるのはわかる。でも、後悔するなら会いに行った方がいいんじゃない? まあ相手から見えるわけじゃないし、会うって言い方は変かもしれないけど」
「後悔するかな」
「しそう。今の沙斗琉を見てる感じ」
沙斗琉が眉をハの字にして微笑む。泣きたいのか笑いたいのか、沙斗琉自身にも自分の感情がわからない。
「そうだねぇ……。でも、やっぱり心細いかな。一緒に来てくれる人探してみるよ」
「そうして。あたしより、沙斗琉のことよく知ってる人がいいと思う」
「うん。ありがと」
ひなは微笑み、踊るようにくるりと踵を返す。
「じゃ、あたしはそろそろ行くから。またね!」
「うん。またね~」
ひなはひらひらと手を振り、モデルのような美しい姿勢で去っていく。沙斗琉はその背中を見送り、再び白波の立つ海に目を向ける。
冬にしては眩しすぎる光を受けた海は、臆病な沙斗琉を嘲笑うかのように輝いていた。




