第69話 好きでいたかった母
夕樹が葵の家を訪れたのと時を同じくして、蓮と沙斗琉は晴翔から同じ話を聞いていた。ただ晴翔は本気でテーマパークを楽しみにしていて、裁判の結果に疑問を抱いていないことが異なっている。
しかしそれ以上に違っているのは、両親に対する感情だった。
「お父さんをうらんではいないんだ。たまに甘やかしてくれたし、ぼくらが死んでから何度も謝ったことも知ってる」
「見に行ったの?」
沙斗琉が柔らかい声色で尋ねると、晴翔は小さくうなずく。
「回収課になってからね、どうしても気になっちゃって。すっごい痩せてた。一瞬誰かわかんないくらい。でも後悔して反省して、罪を償おうって頑張ってた。お母さんは……」
そこまで口にして、晴翔の表情が陰る。晴翔は抱えた膝をぎゅっと抱きしめる。
「お母さんには会ってない。ぼくが霊体になったとき、近くにお母さんの霊はいなかった。先に冥界に行っちゃったのか、まだ霊体になってなかったのかわかんないけど……。だからお母さんのことは、生きてたころの記憶で止まってる。お母さんは「馬鹿になるから」ばっかりで、全然ぼくのやりたいことさせてくれなかった。お母さんだって言うほど賢くないのに……」
膝に顔を埋める晴翔に、蓮は眉間にしわを寄せ目を伏せる。
「自分が賢くないから、子供に賢くなってほしかったのかもな」
「それはあるかもねぇ。うちの親も、自分が行けなかった道を子供に行かせようとしている節があったし」
沙斗琉は穏やかに、しかし少しだけ寂しそうに微笑む。
「理想の押し付けだって、生きてたころのオレは思ってたんだけど……。きっと押し付けたかったわけじゃないと思うんだ。親自身が失敗した、あるいは後悔したから、子供には成功する道を歩ませたいってことだと思う。愛情ではあると思うんだ。それが子供にとっての幸せかは、また別問題だけど」
晴翔が顔を上げる。その表情は複雑で、沙斗琉の言葉を受け止めようとはしているが、受け入れられないといった雰囲気だった。
「……蓮は、自分のお母さんのこと好きなんだよね」
「ん? まあ、そうだな」
「どんなところが好き?」
晴翔の問いに、蓮は頬杖をつきながら天井を眺める。はっきりと言語化するには、蓮の感情は漠然としすぎている。
(自由にさせてくれるとこ……は違うか。否定してこないってのは一つあるか……? いや、単に関わりが薄いだけか……)
「……好きなところはなかったかもしれない」
「えぇ!?」
晴翔は顎が外れそうなほど驚いている。沙斗琉もきょとんとしていて、蓮は自分がずいぶんと特殊なことを言ったのだと自覚する。しかし蓮はその反応に臆さず言葉を続ける。
「好きなところがあるから好きだったんじゃなくて、ただ俺が母さんに好かれたかったから、好きでいたんだと思う」
晴翔の開いた顎が戻っていく。はっとするような表情は、晴翔の中に何か変化をもたらしたのかもしれない。
しかし次の瞬間、晴翔は不思議そうに眉根を寄せる。
「あれ? 好きだった……?」
「まあ、死んでるからな」
一瞬の間を置いて、晴翔の顔がさーっと青くなる。慌てる理由はわかるが、蓮はそれよりも、落ち込んだり驚いたり青ざめたりと変化する晴翔の表情を面白く思っていた。
晴翔は勢いよく立ち上がり、手を震わせる。
「ご、ごめん! ぼく、自分のことばっかり考えてて……。え? 前に聞いたときも過去形だった?」
「たぶん」
「えー!? 言ってよつらい話なら!!」
「いや、別につらくはないけど」
「そうなの!?」
「いいことだろ、思い出す機会があるのは」
晴翔がまたはっとする。晴翔は忙しない手を止め、今度はだらりとうなだれる。
「なんか、ぼくってぼくの常識でしか考えられないなぁ……」
「誰だってそうだろ」
「そうかなぁ」
「俺だって、俺の経験の中でしか話してない」
「そっかぁ……」
晴翔はその場にすとんと座り、再び体育座りで膝を抱える。
「……ぼくも、お母さんを好きでいたいと思ったら、好きになれたかな」
「さあな」
蓮は椅子を回し、パソコンモニターに向かう。
「俺とお前は違う人間だ。必ずしも同じ結果にはならない」
「そうだよね……」
晴翔はぎゅっと膝を抱えて顔を埋める。
「……ぼくも、お母さん好きって言いたかったな」
わずかに震えたその言葉を、晴翔がどんな表情で口にしたのか、蓮にはわからない。ただ晴翔の中で一歩前に進んだことは、ぼんやりと認識できた。




