第68話 後悔しない生き方
「霊体で目が覚めたとき、僕の髪は白くなっていました。ストレスなのかわかりませんが、最初は戸惑いましたね」
夕樹は自分の前髪を一束つまむ。見事なほど白いその髪を見ながら、葵は悲痛に顔を歪める。
「親父さんは生きてるから、親より先に死んだ判定……ってことか」
「はい。後で知ったのですが、父も本当は死ぬつもりだったそうです。ですが怖くなり、自分だけ脱出したと。その後、父がどのような判決を受けたのかはわかりません」
「心中の理由はなんだったんだ? 転職がうまくいかなかったとか?」
「父はそうでしょうね。順風満帆な人生を送っていた父には、どうしたらいいのかわからなかったのだと思います。母は……なんでしょう。夫がステータスを失ったことに耐えられなかったか、あるいは金銭的な問題だと思います」
葵はなんとなく前者な気がしていた。話を聞いた限りの印象では、高収入な夫と賢い息子に酔っていたのかもしれない。当然会ったことはないので、憶測でしかないが。
夕樹は膝の上の拳をぎゅっと握る。
「僕は両親に殺されたと思っています。実際、無理心中で子供が死んでいる場合は殺人罪に問われます。それなのに、親に望まれて死んだのに、僕らは親より先に死んだ罪に問われた。おかしいとは思いませんか?」
「確かになぁ……」
葵は腕を組んで考える。確かに理不尽だとは思う。しかし葵はなぜか、夕樹に同情することができない。
夕樹に共感できないわけではない。理由はおそらく、「かわいそうな子供のために」と言っていた夕樹の動機が、結局「自分のため」でしかないからだろう。
(正義感っていうより、復讐に近いのか?)
夕樹は真剣な瞳を葵に向け、膝の前に指をそろえる。
「僕はこの理不尽な裁判を変えたいんです。お願いします、力を貸してください!」
夕樹は勢いよく頭を下げ、額を床につける。しかし葵は悩む様子もなく、ゆっくりと首を横に振る。
「ごめん。やっぱりオレには協力できない」
「なぜですか? 報酬は出せませんが、死後に冥界よりいい環境に連れていくくらいは……」
「そうじゃなくて、そこにモチベーション持てないなと思って」
夕樹が顔を上げると、葵は眉をハの字にして笑う。
「正直さ、今を生きるのに精一杯なんだよ。死んだ後のことなんか考えてられない。死んだ後をよくするより今をよくしたいし、もしあの世で理不尽な判決を受けても、それでも後悔はないって言える生き方をしたい。これは、オレが生きてるから思えることだけどさ」
夕樹は驚いたように目を丸くしていたが、やがて寂しげに目を伏せる。
「後悔しない生き方、ですか……」
「うん。死んでからこんなこと言われても困ると思うけど」
「いえ……」
夕樹は再び、膝の上の拳を握る。
「……きっと葵さんが同じ目に遭っても、両親に感謝しながら石を積めるのでしょうね」
「うーん、どうだろ? でも、出てっちゃった本当の母さんのことも、死んじゃった義理の母さんのことも、恨んだことはないかな。父子家庭で家事も妹の世話もオレの担当だったけど、楽しい思い出の方が多いよ」
「……」
しばらく沈黙した夕樹は、ゆっくりと立ち上がり頭を下げる。
「お話を聞いていただき、ありがとうございました。約束通り、もうここには来ません」
「おう。不法侵入は犯罪だかんな。反省しろよ!」
「はい。すみませんでした」
夕樹は顔を上げ、ふらふらとベランダに足を向ける。
「あ、そうだ夕樹!」
葵に呼び止められ、夕樹はぼんやりとした瞳を葵に向ける。
「公園で待ち合わせした日、本当は晴翔も来る予定だったんだ。お前に会うのめちゃくちゃ楽しみにしてたんだからな。そのうち会いに行ってやれよ」
夕樹は目を開き、ぱちぱちと瞬きをする。やがて細めた瞳は穏やかで、夕樹は“お兄ちゃん”の顔をしていた。
「はい。ありがとうございます」
夕樹は再びベランダに足を向け、今度は確かな足取りで一歩を踏み出す。カーテンをすり抜ける背中は、心なしか入ってきたときよりも大きく見えた。




