第65話 すり抜けストーカー
横に長い大きなモニターに向かい、葵はカタカタとキーボードを打つ。かつては時間がかかっていたタイピングも、今では手元を見ずに文字が打てるようになっていた。
葵の仕事は、主にクライアントからの問い合わせ対応だ。チャットで送られてくる問い合わせを確認し、主語が抜けていたり目的がわからない場合は確認を入れ、要件をまとめて蓮や開発担当者に渡す。そして返ってきた内容を丁寧に整え、クライアントに伝える。クライアントと開発者の橋渡しの役目だ。
もともとは蓮が行っていたが、「やりたくないから」と葵が雇われ任された。それは就職に失敗した葵への温情でもあったが、本当にやりたくないのだとも葵は理解している。実際、蓮には向いていない。
問い合わせがないときは仕事がなく、その間は何をしてもいいのがこの会社のルールだ。食事をしてもよし、ゲームをしてもよし、本を読んでもよし、動画を見てもよし。チャットに気づける状態であれば、とにかく何でもよし。
チャットの送信ボタンを押し、葵は大きく伸びをする。在宅ワークは楽ではあるが、体が固まってしまうことだけが難点だ。
そのとき、ふと妙なものが視界の端に映る。葵は目を疑いながら、恐る恐るベランダの向こうに目を向ける。
「なんでいるんだ……?」
そこにはにこやかに手を振る、白いダッフルコートの男がいた。
葵は急いでカーテンを閉め、スマートフォンを手に取る。蓮に連絡しようとアプリを開くが、その手を止めるように白い手が横から伸びてくる。
「うわっっ!!!」
葵は咄嗟にその手から距離を取るが、家具の多い八畳の部屋では、手を伸ばせば届きそうな程度しか距離を稼げない。
手の主である夕樹は、葵の行動に驚いたように目を丸くする。
「あ、すみません。驚かせましたか?」
「驚かねーやつがいると思うか!? なんで入ってきてんだよ!」
「僕、すり抜け得意なんです」
「怖い怖い怖い! なんで家知ってんだよぉ!!!」
「最寄駅からつけてきました」
「ストーカーじゃねぇか!!」
「すみません……。外だと逃げられてしまうと思ったので……」
「当たり前だろ!! 普通逃げるわ!!」
夕樹は本当に申し訳なさそうに眉を下げるが、葵にとって夕樹の心境などどうでもいい。蓮が「幽霊に関わるな」としつこく言う意味を、葵はようやく理解した。
夕樹はここまで言われると思っていなかったのか、あからさまに落ち込んだ様子を見せる。葵は一旦落ち着こうと息を吐き、再びスマートフォンに目を向ける。
(とりあえず蓮に連絡……)
「ま、待ってください! 一回話を聞いてもらえませんか!?」
夕樹が必死な様子でわたわたと手を動かす。その表情に葵は良心が痛み、蓮への通話ボタンをタップするのに躊躇する。
葵は大きくため息をつき、スマートフォンを持つ手を下ろす。
「……一回聞くだけだからな」
根負けした葵がそう言うと、夕樹の表情がみるみる明るくなる。夕樹は勢いよく、直角に頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「一回だけだからな。話したら帰れよ。あと、二度と来るなよ」
「はい!」
夕樹は目を輝かせて大きくうなずく。葵が座るように促すと、夕樹はその場にストンと正座をした。葵はパソコンデスクの椅子に座り、大きなモニターの電源を切る。
「で、どんな話だ?」
葵は腕を組んで夕樹を見下ろす。そのポーズや口調が蓮に似ていることに、葵は気づいていない。
夕樹は大きく深呼吸し、まっすぐに葵の瞳を見つめる。
「実は、もう一度お願いに……」
「ムリ。サヨナラ」
葵が冷めた声でスマートフォンを持ち上げる。夕樹は慌てた様子で、再び手を無造作に動かし始める。
「待ってください! もう少し話を……」
「話は聞くけど、お願いは聞かない」
「でも、あなたが亡くなった後にも関わることなんですよ!?」
「子供が親より先に死んだらってやつだろ? いいよ別に。オレもう子供じゃないし。もしオレがまだ子供で、親より先に死んで罰を受けても、そういうルールなんだーって思うだけだし」
「ですが……」
「逆にさ」
葵は手にしていたスマートフォンを机に置き、前のめりに夕樹を見下ろす。
「なんで夕樹はそこまでしてルールを変えたいわけ? てか、ルールを変えるのが目的で合ってる?」
「はい! 変わってくれたらそれがいいと思っています。ですが変わりそうにないので、僕が代わりに魂を救っているのです」
「救うねぇ……」
葵はぽりぽりと頭を掻く。蓮たちから夕樹の行動については聞いているが、葵には自己満足としか思えない。それが正義になるのは、物語で主人公に抜擢されたときだけだ。
「蓮が賽の河原がどうとか言ってたけど、それは関係ある? てか、賽の河原ってなに?」
「賽の河原は、親より先に亡くなった子供たちが行く場所です。三途の川の河原ですね。子供たちはそこで石を積み上げて塔を作るのですが、完成間近になると崩されてしまうのです」
「それって勝利条件とかあるの?」
「願いを込めて積み続けると、そのうち願いが聞き届けられ解放されます」
「必勝法はないのか~」
夕樹はうなずき、物憂げな表情で目を伏せる。
「確かに、僕が冥界の罪に疑問を持ったのは賽の河原がきっかけです。僕らは親に殺されたのに、どうして親より先に死んだ罪に問われているのかと」
「えっ、親に殺されたのか?」
想像もしていなかった言葉に、葵の口から素っ頓狂な声がこぼれる。夕樹は膝の上で拳を握り、ゆっくりとうなずく。
「無理心中というものです。あの日、僕らはテーマパークに行くと聞かされて車に乗りました」




