第61話 最も悪いこと
オフィスというものは、現世も冥界も大した違いはない。今日も獄卒が忙しなく働き、キーボードの音と話し声で満たされている。
晴翔は異動した三年前と変わらない景色の中、意識して顔を引き締めモニターを睨む。しかしどうにも気分が乗らず、人一倍速いタイミングの手を止め、周りに気づかれない程度のため息をつく。
蓮の監視を経験して以降、晴翔は今まで当たり前だった日常が急に色あせて感じるようになった。蓮と対戦したゲームは一勝もできなかったものの、今まで感じたことのない高揚感に心躍ったものだ。
(またゲームしたいな……)
そう思うのは、今まで遊んでこなかった反動もあるのだろう。生前、晴翔の家では遊ぶことは“悪いこと”とされていた。親曰く、「遊んでばかりでは馬鹿になる」とのことだ。
それはそうかもしれない。けれど晴翔の同級生には、休み時間はいつも遊んでいるのに成績がいい人もいた。晴翔は“勉強と遊びは両立できる”と思いながらも、親に怒られるのが怖く、ほとんどの時間を勉強に費やした。
たまに誘惑に負けて遊ぶと、両親、特に母は鬼の形相で晴翔を叱った。顔を叩かれ物を投げられ、「遊んでばかりだからお前は夕樹より頭が悪いんだ」と罵られた。
蓮に出会ってから、晴翔はやはり親の言うことは間違いだったと思った。蓮は学生時代ゲームばかりしていたらしいが、決して頭は悪くない。噂によると蓮は社長であり、数年は生活に困らない程度に稼いでいるという。
冥界の裁判でも、遊んでいたことは罪に問われなかった。遊びは決して罪ではない。しかし遊んでばかりではいられないこともわかっている。やるべきことをやるからこそ、遊ぶことが許されるのだ。
(わかってはいるんだけどなぁ……)
晴翔は機械的に手を動かし、作業を再開する。今は仕事の時間だと頭ではわかっているのに、晴翔はもう一度現世に行く口実を考えていた。
「なあ、聞いたか? 昨日のこと」
隣で作業する獄卒の声が聞こえ、晴翔は盗み見るように視線を向ける。二人の獄卒がキーボードを打つ手を止め、ゆらゆらと椅子を揺らしていた。
「聞いた聞いた。失踪者が見つかったんだって? しかも天道事件の犯人らしいじゃん」
その言葉に、晴翔の鼓動が強く脈打つ。実際には脈はないが、そんな感覚がした。
霊魂管理局の失踪者は夕樹だけではない。しかし晴翔には、それが夕樹のことだと確信できた。
(昨日は蓮たちがお兄ちゃんと会う日だった。ちゃんと会えたんだ……!)
夕樹は消滅していない。その希望に、晴翔の胸が熱くなる。しかし同時に聞こえた「天道事件の犯人」という言葉に、同じだけ不安も押し寄せてくる。
晴翔は獄卒の会話に、真剣に耳をかたむける。
「天道への門ねぇ。そんなもんどこで手に入れたんだか」
「まったくだ。使ったところで罪が増えるだけなのにな。人間の考えることはわかんねーよ」
馬鹿にするように笑う二人に、晴翔は不快感を覚える。しかし夕樹の情報が手に入るならばと、口が出そうになるのをぐっとこらえる。
獄卒たちは近くに失踪者の弟がいることなど気づいていないように喋り続ける。
「実は罰が欲しいのか?」
「最近の言葉で言うドMってやつ?」
「そうそう。しかも捕らえに向かった奴らさ、せっかく見つけたのに取り逃がしたんだろ?」
(……逃がしちゃったんだ)
晴翔は肩を落とし、小さくため息をつく。久しぶりに夕樹に出会えるかもしれないと思っていたが、そんなに甘くはないらしい。
しかし霊魂管理局に捕まれば罰せられることは確実で、晴翔は複雑な気持ちで眉根を寄せる。
(伝言、ちゃんと伝えてくれたかな。蓮だから大丈夫だと思うけど)
晴翔は無意識に手が止まっていたことに気付き、再びキーボードを打ち始める。しかし聞こえてきた言葉に、その手はまた止まってしまった。
「やっぱ生者に任せるもんじゃないな。幽霊に触れないやつに捕まえられるわけないんだから」
「閻魔様の子供だって言うけど、ちょっと期待外れだよねぇ。せめて相棒が優秀ならよかったんだけど、飛べもしないんでしょ? だから23区なんて狭いところの回収やってるんだろうけど」
そんなことを笑いながら話す彼らに、晴翔は拳をぎゅっと握る。
(蓮と沙斗琉のこと、何も知らないくせに)
そう思いつつ、晴翔はかつて彼らと同じように蓮を批判していた。自分はこんなに嫌なやつだったのかと、晴翔は拳に悔しさを滲ませる。
蓮は律儀な人間だ。ぶっきらぼうで表情が乏しいが、夕樹に会いたいという晴翔の思いを否定しないでくれた。
沙斗琉は愛情に溢れた人だ。困っている人を放っておけず、いつも笑顔で安心させてくれる。
夕樹も蓮も沙斗琉も、晴翔にとって大切な人だ。その人たちを否定する声に、晴翔の心は疲弊し始めていた。
(……会いたいなぁ)
優しく微笑んでくれる沙斗琉、ゲームがしたいというわがままに付き合ってくれた蓮。そして、いつも晴翔を褒めてくれる優しい兄。
彼らの顔が頭を巡り、晴翔の目頭が熱くなる。幽霊には体温がないはずなのに、確かにそう感じる。
(……よし)
晴翔は小さく両手を握りしめる。固めた決意は、晴翔の人生の中で最も“悪いこと”だった。




