第51話 夏のコンクリの記憶
「えっと……。今って夜ですよね?」
ネオンが輝く街の入口で、守は目を丸くして足を止める。見上げた空は確かに暗いが、通りは多くの人が行き交い、昼間以上の活気を見せている。
沙斗琉は驚くこともなく、当然のように「うん」とうなずく。
「なんで?」
「ひ、人が多いもので……」
「あー……。そっか。歌舞伎町なんて来たことないよね」
「治安がよくないって聞くので……」
「そうだね。守くんみたいなタイプは来ない方がいいかな。ここで待ってる? オレ一人で行って、鎖切って連れてきてもいいけど」
「だ、大丈夫です! 行きます!」
守はぎくしゃくと足を踏み出す。気合の入ったその一歩は、沙斗琉の優雅な一歩に簡単に追い抜かれた。
沙斗琉は携帯電話を見ながらすたすたと歩く。
「鎖切ったら、ちょっと移動しようか。ここで門出したら人巻き込んじゃうかも」
「わ、わかりました! でも、人を巻き込まない場所なんてあるんでしょうか……」
「ちょっと外れたらあるよ。案内するから任せて」
「は、はい!」
守は身を縮めながら、落ち着かない様子で通りを歩く。横目に見る沙斗琉は、この街の空気にずいぶんと馴染んで見えた。
「沙斗琉さんは、歌舞伎町は詳しいんですか?」
「詳しいんじゃない? 働いてたし」
「あ、そうなんですね! ホストとか……?」
「うん。こう見えて、けっこう稼いでたんだよ」
「かっこいいですもんね! 生きていたら、今頃ナンバーワンだったかもしれないですよ!」
「いやー……顔だけじゃそこまでは行けないかな……。知識とコミュ力がめちゃくちゃいるから」
「えっ。ホストって顔だけじゃないんですね」
「楽しい時間を提供するお仕事だからね。会話の方が大事だよ。……あ、この辺だったかなぁ」
会話の途中で、沙斗琉が突然立ち止まる。そこはメインの通りの真ん中で、この時間でも人が多く行き交っている。しかし何か特徴的なものがあるわけではなく、守はきょろきょろと辺りを見渡す。
「ここになにかあるんですか?」
「オレが死んだ場所」
突然の重たい単語に、守の思考が一瞬止まる。沙斗琉はただ懐かしそうに空を見上げていた。
「今よりもう少し早い時間だったかな? 真夏で、空はかなり明るかった。通勤中だったんだけど、よく来てくれる女の子が待ち伏せしててさ。話しかけようとしたら、刺されちゃった」
「そんな……。なんでそんなことに……」
沙斗琉はくすりと、呆れたように笑みをこぼす。
「死んだあとに噂で聞いた話じゃ、“担当が自分以外と喋るのが気に入らなかった”んだって」
「担当?」
「お客様が指名するホストのことだよ。お気に入りを指して言うこともある。ニュアンスとしては「推し」に近いかな?」
「なるほど……」
なるほどと言ったものの、守には推しを独占したい気持ちはわからない。守にとって、推しはみんなで愛でるものだ。
沙斗琉は穏やかな表情で足元を見る。
「刺されて、掴み合いになって道路に転がって、馬乗りになられて何度も刺された。コンクリが熱くてさぁ。鉄板の上にいるみたいだったよ。なのにどんどん寒くなってきて……。前日まで可愛く見えてた姫がすごい形相で包丁を振りかぶるんだから、怖いよねぇ」
その様子を想像し、守は身震いする。守も外傷を受けて亡くなったが、馬乗りで何度も刺されるほどの憎悪を向けられたことはない。守にわかるのは、血を失って体が冷えていく感覚だけだ。
「ま、周りの人は、助けてくれたりとか……」
「警察は呼んでくれたみたいだよ。サイレンの音はうっすら覚えてる」
「その、女性を止めたりとかは……」
「刃物振り回してる相手に突っ込んでくの? 勇敢だね」
「うぅ……」
沙斗琉はいつも通りにこにこと笑い、ゆっくりと歩き出す。守は慌てて後ろに続いた。
「ごめんね~急に語り出しちゃって。なんか懐かしくなっちゃってさ」
「いえ……。あの、沙斗琉さんはその女性を恨んでますか?」
沙斗琉はその問いに、すぐには答えなかった。沙斗琉の後ろを歩く守には、沙斗琉がどんな表情をしているのかわからない。
「……恨んではいないかな。オレにも悪いところはあったしね」
「そうなんですか?」
守は沙斗琉に追いつき横に並ぶ。見上げた沙斗琉の表情は、至って普段通りだ。
「守くんは、好きな人っていた?」
「え!? い、いたことも、ありますけど……」
「その人に財布としか思われてなかったらどう思う?」
「えっ……」
守は返答に迷う。同級生に金を毟り取られていた守には、財布に使われる悲しみはよくわかる。相手が好きな人ではなかった分、ショックは少なかったかもしれないが。
しかしホストクラブは“店”だ。学生の恋愛とは土俵が違うように守には思える。
「お財布にされるのは悲しいですけど、お店はお金を払うものなので……」
「オレもそう思ってた。でもオレはあの子がオレにガチ恋してることに気づいてて、なのにその子のことを、単なる太客だと思ってた。あの子が借金して、水商売で返済してることも知ってたのに、その子のケアよりオレの売り上げを優先したんだよ」
沙斗琉は愁いを帯びた長い睫毛を伏せる。口元は笑みを残しているが、その表情はとても笑顔とは呼べない。
「それは、ホスト側が気にすることなんですか……?」
「気にするべきだったって、オレは思ってる。まあ、冥界の裁判で邪淫の罪が重かったのが答えじゃない? オレ宋帝王にめちゃくちゃ怒られたんだから」
「え? 宋帝王ってあの眼鏡の真面目そうな人ですよね? 僕のときはすごく優しかったですよ」
「えー、いいなぁ……。いや、自業自得なんだけど」
宋帝王は三番目の裁判官であり、生前のみだらな行いを審査する。かつては「夫婦以外の者と肉体関係を持つこと」や「倫理に反する性行為」が主な処罰の対象だったが、時代の変化と共に審査の対象は拡大している。恋心をもてあそぶことも、邪淫の罪なのかもしれない。
沙斗琉は目を伏せ、自嘲気味に微笑む。
「死んでから後悔しても遅いんだけどねぇ……」
無理に作ったその笑顔が、守にはひどく痛々しく映った。




