第50話 土下座と牛丼
「ごめん。ほんとごめん。ついてきてくださいお願いします」
椅子に座り足を組む蓮を前に、葵は床に額をつけて懇願する。葵を見下ろす蓮の眉間には、深いしわが刻まれていた。
葵が夕樹と会う約束をした翌日、仕事が終わった葵は牛丼を携えて蓮の家を訪れた。葵は牛丼をローテーブルに置くなり「ごめん!」と頭を下げ、晴翔にあいさつもしないまま事の経緯を話した。
蓮は腕を組み、深いため息をつく。
「なんで土下座なんだ……」
「だって……怒ってるよな?」
「そうだな」
「だよなぁ」
「蓮ー。許してあげたら? 断りにくいときってあるじゃん」
晴翔は蓮のベッドの上であぐらをかき、葵に哀れみの目を向けている。蓮は晴翔に目を向けず、葵を見下ろしたまま答える。
「そもそも無視して帰ったらよかったんだ」
「それは蓮じゃなきゃできねーよぉ~。普通話しかけられたら振り向くだろ?」
「そーだよ。みんなが蓮みたいな人でなしじゃないんだよ?」
「俺も相手が人間なら無視しないが?」
蓮は組んでいた足を解き、本日二度目のため息をつく。
「とりあえず頭上げろ。過ぎたことを責めても仕方がない」
葵は顔を上げ、土下座から正座に直す。恐る恐る蓮を見上げると、蓮は怒っているというよりは呆れていた。
「ついていくのはいいが、日時と場所は……」
「ほんとか!? ありがとー!! マジでありがとー!!」
葵は目を輝かせ、蓮を崇めるように合掌する。蓮はその勢いに一瞬驚いたが、すぐに険しい顔に戻り、スマートフォンに手を伸ばした。
「幽霊との約束を反故にするのも危険だからな。そいつの素性とか聞いてるのか?」
「名前は聞いた! 天野 夕樹さん!」
メモ帳アプリを開こうとした蓮の手が止まる。同時に晴翔が大きく目を見開いて葵を見る。葵も二人の表情に、ただ事ではない気配を感じた。
晴翔はベッドから飛び降り、葵の正面に飛び出す。障害物を無視した動きは、生者であればローテーブルに足をぶつけていただろう。
「どこで会ったの!?」
「えっ。板橋駅の近く……」
「今何してるとか聞いた? 会う目的は!?」
「晴翔」
蓮が晴翔を強く呼ぶ。晴翔は焦った様子のまま蓮を睨むが、諫めるような蓮の瞳に、勢いがしぼんでいく。
「……ごめん」
晴翔は前のめりだった体を下げる。葵は様子を窺うように晴翔を見る。
「オレはいいけど……。てか、あいさつもせずにごめん。生田 葵です」
「ぼくは天野 晴翔」
「あー……。夕樹さんの身内の方?」
察しのいい葵の言葉に、晴翔は目を伏せてうなずく。
「同姓同名ってこともあるかもしれないけど……。白い髪の人だった?」
「うん。白い髪で白いコート着て、黒い手帳持ってた」
「やっぱりお兄ちゃんだ……」
晴翔は葵と同じように正座をし、膝の上で拳を握る。葵に向けた表情は不安げで、泣き出しそうにも見えた。
「ぼくも一緒に連れてって。おねがい」
晴翔が深々と頭を下げ、葵は困ったように蓮に視線を向ける。蓮は表情を変えず、腕を組んで晴翔を見下ろす。
「……俺が行くなら、お前はついてこなきゃ駄目だろ。監視なんだから」
蓮の言葉に、晴翔は勢いよく顔を上げる。その表情に先ほどまでの不安な様子はなく、明るく輝いていた。
「たしかに! じゃあ、勝手についてくね! お仕事だから!」
晴翔は腰に手を当て、ふふんと鼻を鳴らす。葵は驚きを浮かべて蓮を見上げる。
「え? 監視されるようなことしたのか?」
「してない。疑われてるだけだ。で、時間と場所はどうするんだ? できれば天野 夕樹と縁もゆかりもない場所がいいんだが」
「たしかに。霊魂管理局に気づかれてると思われない方がいいよねぇ」
蓮は再びスマートフォンに目を向け、晴翔は唸りながら斜め上に目を向ける。
「23区内なら、お兄ちゃんが通ってた高校と隅田川以外ならどこでもいいかな」
「高校どこだ?」
「どこだっけ。西日暮里とかその辺だった気がする」
「じゃあ、山手線の反対側?」
葵もスマートフォンを取り出し、地図アプリを開く。
「目黒か五反田くらい? 行ったことねー」
「土地勘がある場所の方がいい。そのまま冥界に送る可能性を考えると、人気の少ない場所がいいが……」
「土曜日はどこも混むよなー。夜の新宿御苑とか?」
「開いてねーだろ」
「じゃあ代々木公園!」
「治安が……いや、晴翔が見えないならいいのか」
見た目が子供の晴翔を連れていくのは……と蓮は一瞬思ったが、晴翔は幽霊なので問題ないと思い直す。幽霊に気をつけろと葵に言いながら、蓮は晴翔が幽霊であることを時々忘れそうになる。
蓮はメモアプリに「代々木公園」と打ち込む。葵も蓮と同じようにアプリにメモをした。
「時間どうする? 十時くらい?」
「そうだな」
「じゃあ土曜日の夜十時に、代々木公園な!」
「ん」
「はーい!」
蓮は小さく返事をして、スマートフォンの画面を閉じる。晴翔は元気よく手を挙げた。
蓮はスマートフォンを机に置き、椅子から立ち上がり牛丼に手を伸ばす。
「じゃあ飯食うか。葵、茶ぁ淹れてくれるか?」
「おー……」
おそらく肯定の返事をしようとした葵は、床に手をつき腰を持ち上げた、中途半端な姿勢で動きを止める。
「……蓮、悪いんだけどさ」
葵はその姿勢のまま、深刻な声を出す。よく見ると、足先が微かに震えていた。
「足、痺れちゃった……」




