第49話 路地裏の天使
何でもない休日。埼玉県の実家から戻ってきた葵は、最寄駅から一人暮らしの自宅までの短い道を歩いていた。見上げた空は暗く、冬の訪れを感じる強い風に体を震わせる。
(ちょっと前まで半袖着てた気がするのになー。あ、でも明日は気温上がるんだっけ?)
季節の変わり目で、ここ数日は気温の上下がかなり激しい。いつまた夏日が訪れてもおかしくはなく、葵はまだ衣替えができずにいた。
そのとき、ふと雑居ビルの隙間から光が漏れていることに気付く。普段は隙間があることすら気づかないそこを、葵は好奇心から覗き込んだ。
目に入ったのは、路地裏に似つかわしくない立派な門と、その前に立つ真っ白な青年だった。
寺にありそうな門は、路地裏に収まる程度の大きさではあるが、実に荘厳で神々しい。開いた扉の向こうからは、眩しい光と暖かな空気が差し込んでいる。その光に照らされる青年は、まるで天使のように見えた。
普通ならば目を疑う光景だろう。しかし葵は驚くこともなく、納得したように一人うなずく。
(なんだ、幽霊か)
初めて見る光景ではある。しかし幽霊に見慣れ、特殊な扉を開く友人がいる葵にとっては、「そんなこともある」程度のものだった。
葵はその場を去ろうとする。しかし一瞬目が合った白い青年は、葵が見えていることに気づいたようだ。
「あの、すみません!」
青年に呼び止められ、葵は条件反射で立ち止まる。青年の方へ目を向けると、後ろにあったはずの門が消えており、葵は青年の白髪が光の加減ではなかったことに気づく。
蓮がこの場にいたら「立ち止まるな」と怒られるかもしれないが、止まってしまったものは仕方がない。葵は青年の方へ体を向け、いつも通りへらへらと笑う。
「あー、すいませんじろじろ見ちゃって」
「いえ、あの……。やっぱり見えてますよね」
「まあ、見えますけど」
葵がうなずくと、不安げだった青年の表情が一気に明るくなる。
「すごい! 初めて会いました、大人で霊がはっきり見える人! あ、僕、天野 夕樹といいます」
「はぁ、どうも」
夕樹は握手を求めるように手を伸ばすが、葵はその手を取らずに会釈する。葵は幽霊に連れて行かれそうになった日から、なるべく霊に触れないように気を付けていた。
夕樹は少し残念そうな顔をする。しかしすぐに笑みを取り戻し、もじもじと両手を合わせる。
「実は、生きている大人の方にお聞きしたいことがあるんです。少しでいいので、お話を伺えませんか?」
夕樹は白いダッフルコートのポケットから、手帳とボールペンを取り出す。コートの前をきっちり閉じた服装や、ちらりと見えた字の綺麗さから、夕樹の丁寧な性格が窺える。しかし同時に融通が効かなそうな予感もして、葵は返答に非常に迷った。
(断ったら放してくれそうな気もするけど、また会ったときに同じことになりそうだよなぁ……)
「えっと……。すみません、今日はもう帰らなきゃいけなくて……」
葵は頭を掻き、困ったように微笑む。実際に遅い時間であり、疑われるような理由ではないが、ずいぶん古典的な断り方だと心の中で笑った。
夕樹は寂しげに眉を下げ、手帳とペンを持った手を下ろす。
「そうですよね……。すみません。人は睡眠が必要だと、すっかり忘れていました。死んでから眠ることがなくなったもので……」
理解を示されたことに、葵は心の中でほっと胸をなでおろす。しかし安心したのも束の間、夕樹は再び勢いよく手帳を構えた。
「では、明日はどうですか? 明後日でもその先でも、僕はいつでも空いていますから!」
「えーっと……。そうですねぇ……」
葵は心の内を顔に出さないよう、意識して笑顔を作る。「いつでもいい」ほど答えに困る言葉はない。
(さすがに「ずっと空いてません」は無理があるもんな……。答えてあげたくはあるんだけど……)
夕樹の表情はどこか必死に見え、葵は断ることを心苦しく感じている。しかし蓮からは「幽霊に関わるな」と再三言われ、それが葵を守るためであることも理解している。実際、夕樹が安全な霊である保証はない。
(いっそ蓮にも来てもらうか? それが一番安全かも)
そうひらめいた葵は、頭の中で次の休みまでの日にちを数える。この日は日曜日で、次の休みは六日後だ。
「じゃあ、次の土曜日でもいいですか? あと、友達も連れてきたいんですけど大丈夫です? そいつも見えるんで」
葵がそう言うと、夕樹の表情が目に見えて明るくなる。夕樹は屈託のない笑顔で手帳にペンを走らせた。
「はい、もちろん! 次の土曜日……六日後ですね。時間と場所はどうしますか?」
「うーんと、友達に確認してから……あ、連絡手段がないのか」
「前日までに、ここにメモを置いていただければ大丈夫ですよ」
夕樹はその場にしゃがみ、雑居ビルの壁と排水管の隙間を指さす。そこは屋根の下で雨が当たりにくく、人目にもつきにくそうだ。
葵は夕樹の指の先を見ながらうなずく。
「わかりました。もし土曜日が難しくなったら、そのときもメモ入れときますね」
「はい! よろしくお願いします!」
夕樹が深々と頭を下げる。葵もつられてお辞儀をして、その場を後にする。
路地裏からだいぶ離れたところで、葵は前髪をかき上げながら自嘲気味に微笑む。
(蓮になんて説明しよう……)
怒られる未来を想像し、葵は小さくため息をついた。




