第46話 経験値の差
蓮のベッドで横になりながら、晴翔はパソコンに向かう蓮の背中をつまらなそうに眺めている。
蓮は昼食にカップラーメンを食べた後、もうかれこれ四時間は机に向かっている。二枚のモニターのうち左に映るアルファベットの羅列は、晴翔には何が書かれているのか全くわからない。
「ねえ」
「ん?」
「その英語、何が書いてあるの?」
「英語? あー、これか。プログラム……でわかるのか?」
「パソコンでなんか……指示とかするやつ?」
「そんな感じ」
蓮はプログラミング言語が並ぶ画面の説明に悩み、晴翔はなんとなく理解しつつ、何と言ったらいいかわからなかった。しかしお互いに「なんて言ったらいいかわかんないんだろうな」が伝わり、結果的に概ね伝わっている。
再び沈黙が訪れ、時計の音だけが部屋に響く。暇を持て余した晴翔は、そろそろ我慢の限界を迎えようとしていた。
「ねえ」
「ん?」
「出かけたりしないの?」
「しない」
「取引先と会議とか」
「ない。あってもオンラインで済ませる」
「友達の家行ったりとか」
「予定はない」
「晩ごはんの買い物は?」
「出前頼む」
「座りっぱなしは健康によくないよ」
「それはそうだな」
蓮は椅子から立ち上がり、軽く伸びをする。二、三度屈伸をした後、蓮は再び背もたれの高い椅子に座りパソコンに向かう。
晴翔は頬を膨らませ、勢いよくベッドから起き上がった。
「つまんな~い!!!」
幽霊でなかったら近所迷惑になる大声で、晴翔が駄々をこねるように叫ぶ。蓮は気にすることなく、パソコンに向かったまま「そうか」と返した。
「暇!! つまんない!! やることない!!」
「監視なんてそんなもんだろ」
「もっと尾行みたいで楽しいかと思ってた!!」
「尾行も楽しくはないだろ」
「なんか悪いことするのかな~って、わくわくしない?」
「しない。お前は俺の粗探ししたいだけだろ」
「バレてる!?」
「バレるだろ、そりゃ」
晴翔は再び頬を膨らませ、蓮の掛け布団を丸めて抱きかかえる。
「蓮がお兄ちゃんより評価されてるのが気に入らないんだもん」
「そんな三秒で変わるような評価気にしてどうする」
「そうだけどぉ!」
「つか、仕事中だから静かにしてくれ」
蓮が突き放すように言うと、晴翔は抱えた布団に顔を埋め、何か言いたげに唸る。蓮は小さくため息をつき、机の引き出しから金属の輪が二つつながったものを取り出す。
「おい」
「ん?」
晴翔が顔を上げると、蓮は晴翔に向かって輪を投げる。晴翔はそれを両手で受け止めた。
「なにこれ。知恵の輪?」
「暇つぶしにはなるだろ」
そう言うと、蓮は再びパソコンに向かう。晴翔は二つの輪をつまみ、カチャカチャと音を立てて左右に引っ張る。簡単には外れないそれを、晴翔は真剣な表情で観察し始めた。
しばらくの間、部屋には蓮がキーボードを打つ音と、晴翔が輪をいじる音だけが響いた。三十分ほど経ち、静寂を破ったのは晴翔だった。
「外れたー! 蓮、できたよ! 見て見て!」
晴翔がベッドから立ち上がり、自慢げに輪を掲げて蓮に駆け寄る。蓮はちょうど仕事が終わったようで、パソコンをシャットダウンして晴翔に目を向ける。
「おー、よかったな」
「へへ~、すごいでしょ。夢中になるとそれしかしないから」
「監視員としてそれはどうなんだ?」
「う……」
「まあいいけど。それ戻せるか?」
晴翔が二つの輪を近づけると、離れていた輪がするっとつながる。晴翔はつながった輪を手のひらに置き、得意げに鼻を鳴らす。
「仕組みがわかれば簡単だね! 蓮は何分で解けた?」
「三十秒」
蓮は晴翔の手から輪を持ち上げ、机の引き出しにしまう。晴翔はしばらく銅像のように固まっていた。やがて顔が真っ赤に染まり、悔しそうに口を尖らせる。
「何それ! 速すぎ! なんかズルしたでしょ!」
「経験値の差だろ」
「悔しい~!! ねぇ勝負しようよ! なんでもいいからさ!」
「夕飯食ってからでよければ、ゲームするか?」
蓮がスマートフォンを見ながらそう言うと、先ほどの赤みが嘘のように、晴翔の表情が明るくなる。
「やる! ス〇ブラ!」
「わかった」
「やったことないけど!!」
「ないのかよ。じゃあ俺がメシ食い終わるまで練習してろ」
「わぁい!」
牛丼を注文した蓮はスマートフォンを机に置き、机の隣の棚からゲームを取り出しモニターにつなぐ。
それからの時間、いつも静かなその家からは、ゲームの音が深夜まで漏れ聞こえていた。




