第40話 未練はもうない?
「もうすっかり元通りね」
蓮のパソコンのモニターを大人数で囲みながら、ひなが弾む声で言う。地縛霊には体温がないはずだが、不思議と人混みのような蒸し暑さを蓮は感じていた。事件の山場のころには騒がしいくらいだったセミの声は、いつの間にかまばらになっている。
蓮は頬杖をつきながらうなずき、からからと画面をスクロールする。
「それでも全国的に見たら、東京と神奈川は多い方だけどな」
「人が多いからねー」
沙斗琉が蓮の後ろから画面を覗き込み、岳も無言で小さくうなずく。
「でも、解決してよかったなー!」
ローテーブルの脇でスナック菓子を食べながら、葵が明るい声で笑う。葵の腕はまだ完治していないが、骨は完全にくっつき、もうギプスは必要ない。全治までは、あと一カ月ほどかかる見込みらしい。
沙斗琉はにこにこと「そうだね」と返事をする。
「葵くんも、骨くっついてよかったね」
「なー! きれいに折れたから、くっつくのも早かったってお医者さんが言ってた」
「でも無理しちゃダメよ。あたしも昔ステージから落ちて骨折したことあるけど、無理してライブしたら悪化したから」
「あれ後から骨折してたって知って、マジでびっくりした! ひなちゃんいつも通りすぎてさ! ライブ映像見返しても、全然折れて見えねーの!」
「まっ、プロだからね!」
ひなが得意げに鼻を鳴らし、葵が肯定するように何度もうなずく。
この日は本当はひなが来る予定はなく、葵がいたために蓮は焦った。しかし葵は友人のようにひなに接し、ひなも素の態度で葵と話し始めた。二人の中でどのような変化があったのか、蓮にはよくわかっていない。
葵は最後のスナック菓子を口に入れ、袋を縛り始める。
「蓮は、もう仕事復帰して大丈夫なのか? 押しかけといてなんだけど、まだ三日だろ?」
葵が蓮の心配をするのは、決して蓮が怪我や病気をしたからということではない。蓮はいたって健康である。三日というのは、真白がこの世を去ってから経過した日数だ。
蓮が「クレープを食べたい」とわがままを言ったあの後、真白はすぐに蓮と自分のクレープを購入した。蓮はレタスとチキンの、真白はいちごと生クリームのクレープを選んだ。
クレープを頬張りながら、二人は今まで隠してきた本音を語り合った。一緒に食事を取りたかったこと、学校行事に行きたかったこと、たまには喧嘩もしたかったこと、ただ寂しかったこと。
考えていたことはだいたい同じで、「もっと早く言えばよかった」と笑いあった。
閻魔が真白にあてた手紙は蓮も読んだ。予想通り言い訳も書いてあったが、半分以上は重すぎる愛の言葉だった。真白は「胸焼けがする」と呆れていたが、まんざらでもなさそうだった。蓮はこの時初めて、閻魔が「閻魔」になる前の名前を知った。
その日以降、蓮は沙斗琉と共に、真白の元へ足繁く通った。真白は病院から脱走しなくなった。蓮と真白は今までの時間を埋めるように、くだらない話に花を咲かせた。
余命一カ月と見込まれた真白は、二カ月生きた。穏やかな、眠るような最期だった。
蓮はモニター画面をスクロールしながら、いつもの調子で返事をする。
「休んでてもやることないしな。家の賃貸契約は、母さんが入院するときに解約したみたいだし。葬儀もしなかったから」
「しなかったんだ」
葵が折りたたんだスナック菓子の袋を、蓮の部屋のごみ箱に放り込む。
「母さんの希望。親に来てほしくないって」
「あー……。なんか、複雑なご家庭っぽいもんね」
沙斗琉は言葉を濁したが、単純に真白は両親と仲が悪かったのだと、蓮も沙斗琉も理解している。実際、蓮は祖父母に会ったことがなく、行方も連絡先も知らない。
葵は納得していないように眉尻を下げる。
「まあ、蓮がいいならいいんだけどさー。あんま無理すんなよ」
「あんた、何人に「無理するな」って言われてるわけ? 少しは心配かけないようにできないの?」
「お前も心配してんのか?」
「そっ、そんなわけないでしょ!?」
ひなが顔を真っ赤にして吠えるが、蓮は無視してパソコンをシャットダウンする。
「そろそろ回収だろ。早く行け」
「え、もうそんな時間? 岳、行こ!」
ひなが携帯電話で時間を確認し、岳に目を向ける。岳は静かにうなずき、蓮に一礼する。
「邪魔をした」
「いえ。うちでよければ、いつでもくつろいでください」
「あたしと態度違いすぎない!?」
ひなは文句を言いつつ、ベランダから外に出ていく。岳もひなの後に続き、暗くなった街を駆けて行った。
蓮はパソコンの周辺機器の電源を切り、棚にかけた家の鍵を手に取る。
「葵もありがとな。送ってこうか?」
「ううん、大丈夫! 蓮も、無理せず仕事休めよ」
「大丈夫だって」
しつこく休みを促す葵を玄関から送り出し、蓮は小さくため息をつく。しかし、その口元は笑っていた。
蓮は部屋に戻り、スマートフォンをポケットに入れる。再び玄関に向かい、スニーカーに雑に足を通す。
沙斗琉はそんな蓮の背中を、穏やかな笑みを浮かべて眺めていた。
「未練はもうない?」
「全然」
蓮は沙斗琉の方を見ずに即答する。
「けど、何もしないよりはずっとよかった」
「……そっか」
蓮はドアノブに手をかけ、玄関のドアを開く。蓮と沙斗琉は一つの足音を鳴らしながら、日常の闇の中へと繰り出していった。




