第38話 紙じゃ未練は癒やせない
「蓮! ちょっと待って!」
淡々とダイヤルを合わせる蓮に駆け寄り、沙斗琉は手を伸ばす。しかし自分が霊体であることを思い出し、沙斗琉は蓮に触れることなくその手を引っ込める。
「蓮、言わなくてもわかってると思うけど、殺人は犯罪だよ。扉を使えば現世ではバレないかもしれないけど、冥界では必ず暴かれる。しかも、殺人は裁判結果を大きく左右するほどの大罪だ。ていうか、そもそも穏便に済ますために閻魔様に手……」
「じゃあ一カ月待つのか」
「手紙」と言いかけた声は、蓮の強い言葉にかき消される。
「どんな事件を起こそうが、「閻魔王」になったあいつが現世に来ることはない。余命が尽きるまでの間、何もせずに死を待つのが正しいのか?」
「それは……」
沙斗琉は「正しい」と即答できなかった。常識的な倫理では、当然余命が尽きるまで待つ方が正しい。けれど当人にとって、それが必ずしも正しいとは限らない。何もできないまま力尽き、未練を残した地縛霊を、沙斗琉は幾度も見たことがある。
沙斗琉は苦々しく顔を歪める。
「……絶対に正しいとは言い切れないよ。でも少なくとも、蓮が真白さんを死なせるのは間違ってる!」
「なら、ただのお気持ち表明でしかない手紙を渡して、それを拠り所に寿命を待つのか?」
「そうだよ!!」
聞いたこともない沙斗琉の叫び声に、蓮は驚いて口を閉じる。沙斗琉に目を向けると、沙斗琉は肩を震わせ、両手の拳を握りしめていた。
「蓮が提案したんじゃん、手紙書こうって。いい案だと思った。閻魔様の状況とか気持ちとか伝えられるし、真白さんが忘れられたわけじゃないって、真白さんにも理解してもらえる。約束は果たせなくても、すれ違いの解消はできると思った。内容見てないから知らないけど、真白さんの二十五年間が報われる可能性だってないとは言えないでしょ? ここで渡さないなら、閻魔様は何のためにその辞書みたいな手紙を書いたの!?」
閻魔が書いた便箋の数は相当なものだった。まるで辞書のような分厚さになった封筒は、蓮のパーカーのポケットの中でずっしりと眠っている。
蓮は静かに目を伏せ、小さくつぶやく。
「……俺も、さっきまではそれが最善だと思ってた。けど、紙じゃ未練は癒やせない」
「中身を見てもいないのに、なんでそんなことが言えるの? 見てからでも遅くないじゃん。それとも、紙で癒やせない未練があるのは蓮の方?」
再び扉のダイヤルを回そうとした蓮の手が止まる。蓮を見る沙斗琉の瞳は、先ほどまでより冷静だった。
「蓮はいつも聞くよね、「冥界に行く前に、やりたいことはあるか?」って。オレは地縛霊のほとんどが未練を理由に縛られてるから、それを解消してあげたいっていう蓮の優しさだと思ってた。でも、本当は違うの? 蓮が自分を地縛霊に重ねて、抱えた未練を昇華してるだけ?」
沙斗琉はじっと蓮を見つめる。蓮は口を閉ざしたまま沙斗琉の方を見ようとせず、ダイヤルにかけた手は止まったままだ。
沙斗琉はまぶたを閉じ、細く息を吐く。
「……どうしても真白さんをあの世に連れていきたいなら、オレがやってあげる」
「……は?」
蓮は目を見開いて沙斗琉を見る。気づけば沙斗琉は大鎌を掲げ、その刃は明らかに真白を狙っていた。
鎖を切る鎌は、生死に関わりなく魂に干渉する。沙斗琉が真白を斬れば、真白の魂は肉体から切り離される。つまり、死ぬということだ。
沙斗琉は天気の話でもするように、軽い調子で笑った。
「真白さん、なに言ってるかわかんないよね。置いてけぼりにしてごめんね~。でもオレたち、真白さんの願いを叶えようとしてるだけだから」
真白は理解しているのかしていないのか、瞬きをしながらぼんやりと沙斗琉を見ている。逃げる様子はなかった。
沙斗琉が容赦なく大鎌を振り下ろす。蓮は無意識に、真白に向かって走り出していた。
「母さん!!」
蓮は沙斗琉と真白の間に入り、真白の体を抱きしめる。大きく見えたその体は、想像よりずいぶんと細かった。




