第37話 ただの置き手紙をお守りみたいに持ち歩いて
星のない空に賑やかな声が響く。午後十時を回ったというのに、お台場の街は夜景を楽しむ人で溢れている。
真白は公園の隅で足を止め、辺りを見渡す。人が集まるところには幽霊もいる。真白の予想通り、人混みには人ならざる者の姿が交じっていた。
真白は幽霊の足元に目を向ける。少しだけ視線に力を込めると、地面からじゃらじゃらと鎖の花が咲き――
その鎖は、一瞬にして断ち切られた。
真白は驚いて目を見開く。いつの間にか霊の隣には、見慣れた黒服の姿がある。この場所で何度も出会ったその青年は、死神のような大鎌を担いでいた。
「やっほー、真白さん」
「沙斗琉、何その鎌。あんたやっぱり死神なんじゃ……」
真白は沙斗琉の隣に立つ人物に気づく。真白に似た鋭い目つきは、少しだけ寂しげに陰って見える。久々に目にするその姿は、真白の記憶よりも一回り大きく思えた。
「蓮」
「……久しぶり」
少しぎこちないそのあいさつが、離れていた時間の長さを物語っている。真白は諦めたように、目尻を下げて微笑んだ。
「沙斗琉と蓮、知り合いだったんだね」
「そ。オレと蓮は仕事のパートナーだよ。オレが真白さんと会ったのは、本当に偶然だけどね」
「仕事?」
「霊魂管理局。あの世とこの世の魂を管理する機関だよ」
沙斗琉は黒いロングコートの内ポケットをまさぐりながら真白に近づく。沙斗琉はポケットから黒いカードケースのような物を取り出し、慣れた手つきでカードを抜き出した。
「回収課はその中でも、地縛霊を冥界に送り届ける部門。オレが鎖を切って、蓮の扉で幽霊を冥界に連れて行くんだ」
沙斗琉は取り出した名刺を真白に見せる。黒地に赤い明朝体の文字が浮き、骸骨と炎を象ったロゴが真白を睨む。真白は中二病臭いデザインのそれを、少し冷めた目で睨み返す。
「なにそれ。あいつの趣味?」
「うん」
“あいつ”が誰なのかを、沙斗琉も蓮も聞き返すことはない。真白も、わざわざ言わなくても通じるだろうとわかっていた。
「だっさ」
「だよねー。オレも初めてこれ渡すときは勇気いったな。名刺なんて渡し慣れてるはずなのに」
「センス疑うわ。沙斗琉の鎌もあいつの趣味?」
「たぶんね」
「うわー。中二病がすぎる」
沙斗琉は名刺をカードケースに戻し、コートの内ポケットにしまう。生者である真白に、冥界の物である名刺を渡すことはできない。
「場所変えない? ここは人が多いから」
「私を止めに来たんだよね」
真白は沙斗琉の問いを無視し、本題に入る。沙斗琉は眉を歪め、少し寂しげに微笑む。
「止められるようなことをしてる自覚はあるんだね」
「そうじゃなきゃ意味ないから」
真白は沙斗琉と蓮の方へ、まっすぐに歩き出す。蓮は一瞬身構えるが、真白は二人を通り越し、いつものベンチに向かっていく。沙斗琉と蓮は、慌てて真白を追いかけた。
真白はベンチに座らず、海を臨む柵に腕をかけ、その上に顎をのせた。
「あいつを待ってたの。二十五年間、ずっと。でも全然来てくれなくて。あの世に関わる事件を起こしたら、来てくれるんじゃないかと思った」
「その力は、閻魔様にもらったの?」
「知らない。でもあの夜以降使えるようになったから、あいつになんかされたんだと思った。全然使いどころなくて、存在を忘れかけてたけど」
真白の水色のワンピースが風に揺れる。真白の背中を見つめる蓮の目には、スカートは色を失い真っ白に見えた。
「あいつの人の良さそうな笑顔を、信じたいと思った。ただの置き手紙をお守りみたいに持ち歩いて、来てくれるその日をずっと待った。たった一晩過ごしただけの相手に、馬鹿みたいでしょ」
「……そんなことないよ」
沙斗琉は静かに、寄り添うように言う。真白はお台場の夜景に目を向けたまま、振り返る様子はない。
蓮は無意識にポケットに手を入れ、スマートフォンを握りしめる。「ただの置き手紙をお守りみたいに持ち歩いて」いる真白のことを、蓮はとても馬鹿にできなかった。
「病院はどうやって抜け出してるの?」
「鎖で自分を持ち上げて」
真白が自分の足元に目を向ける。するとそこから鎖の花が生え、真白の腰に絡みつく。鎖はそのまま上へと伸び、真白の体が宙に浮いた。
「これで五階の窓から上り下りできる」
「すっご。よくバレないね」
「見たところで、誰も信じないよ。普通の人の目には、人が宙に浮いてるようにしか見えないんだから」
「たしかに」
真白を持ち上げていた鎖が下がり、真白の足が地面に触れる。鎖は真白から離れ、潜るように地面へと帰っていった。
真白はくるりと振り返り、蓮と沙斗琉に向き直る。
「……もう少しだけ、見逃してくれない?」
「駄目だ」
少し遠慮がちな真白の声を、遮ったのは蓮だった。
「あんたがやってることは、人の魂をもてあそぶ行為だ。容認できない」
真白は言い返さずに口を噤む。瞳を揺らす真白を、蓮は鋭い目つきで睨みつける。
「……あいつに会いたいなら、もっと簡単な方法がある」
蓮は何もない空間に手を翳す。蓮の手から広がる金色の光は、四角く壁を張り、大きな金庫のような扉に変化した。
真白は驚いたように目を見開く。蓮が幼いころ、動物が通り抜ける穴ほどの大きさしかなかった扉は、真白の知らないうちに人の身長を超える大きさへと成長していた。
「あんたがあの世に行けばいい」




