第31話 合理的にはなれない
「これは……ひどいね」
終電間近、生きた人間がほぼいなくなったお台場で、沙斗琉と蓮は目を疑う光景を前に立ち尽くしていた。
地面に鎖で縛られた複数の霊が、座り込んだり鎖を引っ張ったりしている。一連の事件と関係があることは明らかだが、ずいぶんと数が多い。これほどの量の地縛霊を一度に目にするのは、霊魂管理局に数年勤めている中で初めてのことだ。
「とりあえず、全員の鎖切っちゃうね。一か所に集めたらいい?」
「ああ。頼む」
沙斗琉は大鎌を肩に担ぎ、手近な霊に向かって歩いていく。蓮はその後ろ姿を、ただぼんやりと眺めた。
地縛霊発生箇所は、日に日に範囲が絞られている。閻魔と接触した人間を全員洗うより、活動範囲と思しき場所に複数人で張った方がいいかもしれない。
しかし蓮は、その案を提案せずにいた。理由は、蓮自身もうまく説明できない。
(“あの人”が犯人だったとして、だからなんだって話なんだけどな……)
相手が誰であろうとやることは同じだ。頭ではわかっているのに、心は水を含んだスポンジのように重くなっていく。蓮はまだ、この重みの正体を理解していない。
「鎖切り終わったよー。……蓮?」
沙斗琉に顔を覗かれ、蓮ははっと我に返る。
「悪い。聞いてなかった」
「鎖、全部切ったよ」
「ああ……ありがと」
沙斗琉は蓮の様子に言及することなく、いつも通りの微笑をたたえる。蓮は沙斗琉が集めた幽霊たちの元に扉を出現させ、慎重にダイヤルを合わせる。気もそぞろなときは、ダイヤル設定を間違えやすい。蓮は指さし確認をしてから扉を開けた。
幽霊たちが次々と扉をくぐる。礼を言う者や不満をぶつける者がいたが、どれも蓮の耳には届かない。頭の中は考え事で支配されている。
扉を閉じた蓮は、無意識にため息をつく。沙斗琉はいつもの笑顔のまま、再び蓮の顔を覗き込んだ。
「悩み事?」
「まぁ……そうだな」
「オレには言えない?」
「……俺の中でまとまってない」
「そっか」
沙斗琉はロングコートを翻し、夜景を一望できるベンチへと足を進める。蓮がその背中をぼーっと眺めていると、沙斗琉は振り返り手招きした。
沙斗琉はベンチの左側にどっかりと座る。蓮はその隣に、少し控えめに腰を下ろした。
「蓮は真面目だよね」
「はぁ?」
蓮は訝しげに沙斗琉を見る。蓮は自分のことを、どちらかというと不真面目な方だと思っている。学校の勉強も、赤点にならない程度にしかしなかった。
「真面目なやつは、仕事に私情を持ち込まない」
「そうかな? 私情を完全に忘れて仕事するって難しいと思うけど。そんなことできる人いないんじゃない?」
「いるんじゃね。知らねーけど」
「オレも全人類を知ってるわけじゃないけどね」
蓮は目の前に広がる夜景に目を向ける。定番の夜景スポットらしいが、ビルの明かりも、白く光るレインボーブリッジも、遠くにそびえる東京タワーも、蓮の目には良さがわからない。
「……犯人、かもしれないと思ってる人がいて」
「うん」
「けど、その人じゃなければいいと思ってる」
「……そっか」
沙斗琉は静かに睫毛を伏せる。その声は穏やかだった。
「責めないのか?」
「なんで?」
「なんでって……。私情でしかないから」
「まあ、仕事なら追わないといけないよね」
蓮は無意識に視線を落とす。東京湾に映る光は、波に揺られて歪んでいる。
沙斗琉は空を見上げ、カラっとした笑みを浮かべる。
「でも、オレはそこまで合理的にはなれない。だから、蓮のことも責めないよ」
「……職務怠慢か、俺たち」
「そうかも」
「黒木が聞いたら怒りそうだな」
「怒らないんじゃない? ひなちゃんは、オレよりよっぽど感情に寄り添える子だよ」
「そうか?」
沙斗琉は笑みを浮かべたまま、蓮に流し目を向ける。その表情につられて、蓮の口元が少しだけ緩んだ。
そのまま蓮と沙斗琉は、他愛のない話を続けた。最近流行のゲームのこと、沙斗琉がパンケーキ屋に行ったこと、今までに回収した地縛霊のこと。終電の時間はとっくに過ぎているが、蓮の力があればいつでも家に帰ることができる。二人は時間を忘れて会話を続けた。
小一時間ほどして話題が尽きたころ、沙斗琉はベンチから立ち上がり伸びをした。
「そろそろ帰ろっか。明日も仕事でしょ?」
「俺がいなくても葵がなんとかする」
「ちょっと、社長」
「その分の給料は出してるぞ」
「まあ、葵くんがいいならいいけどさ」
蓮も立ち上がり、目の前の空間に手を翳す。金色の扉は、心なしかいつもより強い輝きを放って見えた。
「冥界まで送るか?」
「ううん。自力で帰るよ」
「そうか」
蓮はダイヤルを回し、自宅に座標を合わせる。先ほど冥界へ繋げたときより、ずいぶんと落ち着いて操作できた。
「沙斗琉」
「ん?」
「……ありがとな」
蓮は扉を開き、足を踏み入れる。振り返らなくても、沙斗琉が笑っていることがなんとなくわかった。
「うん。おやすみ」
「ああ」
蓮は軽く後ろに手を振る。頭は幾分かすっきりとして、同時に心地よい眠気が襲い始めていた。




