第29話 たまには馬鹿になろうよ
商業施設内を歩きまわった後、真白はクレープを頬張りながら海辺を歩いた。その隣を歩く紫蘭は、真白を温かい瞳でじっと見つめている。
「なにジロジロ見てんの?」
「ん? よく食べるな―っと思って」
仏頂面の真白に対し、紫蘭は終始にこにこと笑っている。いったい何がそんなに楽しいのだろうか。
しかし一番わからないのは、そんな紫蘭の隣を心地よく感じ始めている自分の心だ。
(こいつの何がいいんだろ……。ちょっと顔がいいだけじゃん?)
真白はちらりと紫蘭の顔を覗き見る。爽やかで整った風貌は、服装が普通であればそれなりにモテるように思う。
「真白さん、口にクリームついてるよ」
紫蘭が自分の口元をトントンと指で叩く。子供を相手にするような言い方に、真白はイライラしながら乱暴に口元を拭った。
「ああっ、そんな乱暴にこすらなくても……。ほら、ティッシュあるよ」
紫蘭が服のポケットから、駅で配っていたと思われるポケットティッシュを取り出す。紫蘭は少しもたつきながらティッシュを一枚取り出し、真白の口元へと手を伸ばした。
「ちょっ、自分でできるから……」
「クレープ持ってると拭きづらいでしょ?」
「親じゃないんだから」
実際には、真白に世話を焼いてくれる親などいない。きっとあの親ならば、真白がクレープを買っている間に真白を置いて移動するか、真白のクレープを奪って食べるのだろう。
紫蘭のような親の元に生まれたら、自分も少しはまともな人間になれたのだろうかと真白は思う。
「よし! きれいになった!」
紫蘭の美しい顔が、至近距離で微笑んでいる。その様子はまるで少女漫画のようで、真白は急に恥ずかしくなった。
真白は紫蘭の顔を視界から隠すように、クレープを紫蘭の顔に近づける。
「ん? どうしたの?」
「……少しだけなら、食べていいよ」
「本当!? ありがとう! ずっと気になってたんだよね~」
紫蘭はクレープを持つ真白の手に自分の手を重ね、心底嬉しそうにクレープをかじる。わざわざ手を重ねるのは、天然なのか、それともやはり下心があるのか。
「おいしい~! やっぱり此岸はいいところだなぁ」
「シガン?」
「え? あー……あはは……」
紫蘭はあからさまに視線を泳がせる。シガンという言葉を真白は知らないが、どうやらあまり口にしてはいけない言葉だったらしい。
(こいつにも秘密とかあるんだな)
失礼なことを思いながら、真白は先ほど紫蘭がかじったクレープに口をつける。生クリームの甘さといちごの酸味は、少しくどさを感じ始めていた。
「ねぇ、真白さん」
「“さん”とかつけなくていいよ」
「えっ。僕、呼び捨てってちょっと苦手で……。あだ名でもいい?」
「好きにしたら」
「じゃあ、まーちゃん」
紫蘭はにこにこと安直なあだ名を呼ぶ。あだ名で呼ばれることなど珍しくもないのに、真白の耳には特別な響きを帯びて聞こえた。
「まーちゃんは、なんでここに一人でいたの? ここ、ご家族とか恋人ばっかりだよね」
「近所で仕事があった」
そう口にして、真白は数時間前の悪夢を思い出す。温かくなり始めていた心が、紫蘭に出会う前の温度まで急降下した。紫蘭を誘ったのは無意識だったが、おそらく他のことで思考を塗りつぶしたかったのだろう。
紫蘭は真白の様子を察したのか、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「……ごめん。なんか、嫌なこと言っちゃった?」
「別に。あんたのせいじゃない」
真白は拗ねた子供のように、最後のクレープを口の中に放り込む。そのとき、真白の頭に暖かな温度が触れた。
「何があったのかはわかんないけど……。お仕事、頑張ったんだね。偉い偉い」
紫蘭の大きな手が、真白の髪をふわりと撫でる。周囲の大人に恵まれなかった真白には、この優しさの受け取り方がわからなかった。
「こっ、子ども扱いすんな!」
真白は紫蘭の手を振り払い、丸めたクレープの包み紙を投げつける。紫蘭は最小限の動作で包み紙を受け止め、へらへらと笑った。
「も~、照れちゃって。ごみはごみ箱に捨てないと、死後の裁判に響くよ?」
「知るか!」
真白は紫蘭に背を向け、駅の方角へずんずん歩きだす。紫蘭は包み紙をきれいに畳みながら真白を追いかけた。
「もう帰るの?」
「移動するだけ。この辺はもう店閉まるから。あんたは帰んの?」
「うーん。帰る場所ないんだよね」
真白はぴたりと足を止める。真白は勝手に、紫蘭には温かい家族が待っていると思い込んでいた。しかしよく考えたら、家族を持つ男性がお台場に一人というのは少し不自然だ。
「ホームレスなの?」
「どうなんだろ。今朝家出したばっかりだから」
真白は紫蘭が金を持っていないと言っていたことを思い出す。自分が家出をした日を思い出し、真白は一人納得した。真白が家出したときも、一円も持っていなかった。
(心細いから、話しかけてきたのか)
「……一緒にホテル行く?」
「えぇ!?」
紫蘭は顔面を真っ赤にして狼狽える。紫蘭は純情そうに見えるが、真白の言葉の意味が分からないほどではないようだ。
「えっ、あっ、でも、普通に泊まるだけだよね? ごめん、ちょっと、勘違い……」
「いや、そういう意味だけど」
「ええぇ!!?」
「二人ならビジホよりラブホの方が安くない?」
「そういう問題!? あ、そっか。僕がお金ないから……。でも、ラブホテルだからそういうことしなきゃいけないってわけじゃないからね!? 自分こと大事にしよ!?」
「嫌なの?」
紫蘭は忙しなく動かしていた手をぴたりと止める。茹でだこのように真っ赤になった顔からは、煙が立っているように見えた。
「いやでは、ないです……」
「じゃあいいじゃん。行こ」
真白は再び駅に向かって歩き出す。真白自身、なぜこのような提案をしたのかわからない。これから紫蘭と行おうとしていることと、数時間前に客にされたことは、本質的には同じことだ。しかしだからこそ、紫蘭に記憶を塗り替えて欲しいのかもしれない。
紫蘭はまだ何かもごもごと言っているが、大人しく付いてきているようだ。
「でも、邪淫の罪は結構重い罰になるから……」
「地獄の裁判の話? いいじゃん、死んだ後のことなんて。たまには馬鹿になろうよ。せっかく家出したんだしさ」
振り返った真白がどんな表情をしていたのか、真白自身にはわからない。けれど頬を染めた紫蘭の様子に、真白は不思議と満足感を覚えていた。




