第16話 遺言はアカペラ
「女?」
目の前で眼鏡をクイクイと上下させる霊を見ながら、蓮は眉間にしわを寄せた。
生徒も教師も帰宅した夜の学校。そのグラウンドの、中央から少しずれた中途半端な場所に男は縛られている。元教師であるこの男は、数日前に戸締りの確認中、併設されているプールに落ちて溺死したらしい。
「そーうです! 女が私をじーっと見たと思ったら、いーきなり足に鎖が絡まったのです! これはぜーったいに、あの女の仕業に違いあーりません!」
話している間も、艶やかな長い髪の男は眼鏡を上下させ続ける。沙斗琉は口元を手で覆い、肩を震わせて顔を逸らした。
「ちょ、ごめんっ。もう一回言ってもらっていい? 眼鏡が気になって、話が入ってこないんだけど……っ」
「なーんですか!! 人が真っ剣に話しているというのに! こーれだから最近の若い人は!!」
「沙斗琉は言うほど若くねーぞ」
「いや、生まれてからまだ三十三年だよ。若い若い」
「いーいですか? もーう一回だけ言いますよ!!」
「眼鏡より話し方が気になるな……」
「いや、どっちも癖強すぎでしょ!」
蓮はスマートフォンで男の詳細情報を確認する。音楽教師だったと書いてあるが、この話し方で授業をされたら集中できないかもしれない。もっとも、蓮は音楽の授業を真面目に聞いたことはないのだが。
男は再び眼鏡を激しく上下させた。
「女が遠ーくから私を見ーていたのです! まーだ死んだと自覚していーなかった私は、人に見ーられた、つーまり死んでいないんだ! と、うーれしくて女に近づこうとしたのですよ! そーうしたら急ーに足がひっかかって、見ると鎖が絡んでいたのです!!」
「見られただけか? 特に接触はされてないんだな?」
「えっ、蓮なんでそんな普通なの!? オレちょっともう、耐えられそうにないんだけど……っ」
沙斗琉が笑いながら、腹を抱えてうずくまる。蓮は沙斗琉の様子も男の眼鏡も無視して、話だけに耳を傾けた。
「そーうです! 触れるどころか、近寄ってもいーないのですよ! 五メートルは離れていーました!」
「近寄ろうとはしたけど、近寄る前に縛られたんだな?」
「そのとおーり!!」
男は力を込めて人差し指を立てる。沙斗琉がついに地面に膝をついたが、蓮は淡々と男に質問を投げかける。
「その女が幽霊か、生きた人間かはわかるか?」
「最初は人間だーと思いまーしたが、あれは幽霊でしょーう! 髪が長ーく、白ーいワンピースを着て、いかーにも幽霊らしーい出で立ちでしたから! 足もあーりましたよ!」
「あんたも足あるだろ」
男が自分の足元を見る。先ほど鎖を切った足の先は、よく手入れされた革靴が光っている。
男は有名な絵画のように、丸く口を開け、両手で顔を挟んで叫んだ。
「なな、なーんということでしょう!! 幽霊にも足があーるのですねぇぇぇ!!?」
男の表情に沙斗琉が笑い転げる。人工芝のグラウンドで砂が付くことはないが、それ以前に幽霊である沙斗琉が砂にまみれることはない。
蓮は表情を変えることなく、男の証言をスマートフォンのメモ帳に入力した。
「その女の声は聞いたか?」
「いーえ……」
「身長は」
「あなたと同じくらいだったと思いまーす」
「影があったかはわかるか?」
「暗かったのでわーかりませーん」
蓮は自分の足元に目を向ける。街灯のないグラウンドでは、影は全くと言っていいほどできない。
(平均身長以上の女性か、中性的な男性の可能性もあるか……。外見の特徴がわかっただけマシだな。死者か生者かは不明と)
メモ帳を更新し、蓮はスマートフォンの画面を閉じる。
「冥界に行く前に、やっておきたいことはあるか?」
男は大きく胸を張り、手をどんと胸に置いた。
「私の歌を! 聞いてくださーい!!」
「歌? いいけど」
男は音楽教師だった。歌が好きで選んだ道だったのかもしれない。
蓮は立ったまま、沙斗琉はグラウンドにあぐらをかいて男を見る。男はさらさらとした髪をなびかせ、大きく息を吸った。
男が口を開けた途端、高らかな歌声がグラウンドに響き渡る。震えるはずのない空気が、大きく波打っているように感じられた。
蓮には男が歌っている曲も、音楽の良し悪しもわからない。けれどその歌声には、強い生命力が宿っているように思えた。
(……怪談って、こうやって生まれんのかな)
蓮は幽霊が見えるにもかかわらず、心霊現象をあまり信じていない。騒ぎ立てるのはいつも“見えない”人々だからだ。しかし男の声には、その考えを覆すだけの力を感じた。
歌が終わり、蓮と沙斗琉は無意識に拍手をする。男は得意げな笑みを浮かべた。
「どーうですか、私の歌は!」
「……人は見かけによらないんだな」
「ね~」
「失礼ですよー! あーなたたち!!」




