第15話 すり抜けるはずの風
日傘をさす人の姿を見ると、沙斗琉は夏が近づいてきたことを認識する。今年も一番嫌いな季節が巡ってきたことに、沙斗琉は小さくため息をつく。少し痛む胸の傷は、七年経った今でも完治することはない。
まだ風が強い五月下旬。すれ違う人々は帽子やスカートを押さえ、時折ふらつきながら前屈みに歩いている。沙斗琉も生前だったら、時間をかけてセットした髪型が崩れると嘆いたかもしれない。
沙斗琉は東京湾を望むベンチに足を進める。陽の光を浴びて本を読む女性が、初めて出会ったときと全く同じ服装で座っていた。
「日傘ささないの? 日焼けしちゃうよ」
沙斗琉はベンチの隣から声をかける。真白は本を持つ手を下げ、沙斗琉を見上げて微笑んだ。
「気にしないかな。綺麗に見せたい相手もいないし」
「待ってる人がいるんじゃなかったの?」
「あいつは人の外見なんて興味ないと思う」
「あ、そう……」
真白がベンチの右側に寄り、沙斗琉は隣に腰を下ろす。真白は本を閉じて足を組み、上目遣いに沙斗琉を見た。
「もう来ないかと思った。映画行こって誘ったのに」
「ごめんね~。ちょっと忙しくて」
「嘘」
真白にじっと見つめられ、沙斗琉の頬が引き攣る。真白の言うように、忙しいというのは嘘だった。
生者と深く関わってはいけない。これは霊魂管理局の規約の一つだ。守らなかった者は解雇され、死よりもつらい責め苦を受けることになる。
しかし例外が認められることはある。対象の生者に幽霊がはっきりと見えている場合、死者がどれだけ避けようと、生者から関わりを持とうとしてくることがあるからだ。沙斗琉はその例外として、真白と関わる許可を申請していた。
しかし沙斗琉は許可が下りた後も、真白と会うことを避けていた。真白には不思議な居心地の良さがある。彼女の余命が尽きた後、心にぽっかりと穴が空いてしまいそうで怖かった。
それでも結局は、こうして会いに来てしまったわけだが。
「なんで嘘だって思うの?」
「言い慣れてそうだから。そうやって何人の女の子悲しませてきたの?」
「いやー……。悲しませるつもりじゃなかったんだけどね~」
沙斗琉はふと、真白が手にしている本に目を向ける。沙斗琉の生前に流行っていたそのライトノベルは、数日前に蓮が購入していたタイトルだった。
「それ、結構前にアニメ化したやつだよね」
沙斗琉が逃げるように話題を変え、本を指さす。真白は読みかけのページに指を挟んだまま、本を持ち上げて表紙を見た。
「そうらしいね」
「好きなの?」
「ううん。最近読み始めた。沙斗琉は読んだことあるの?」
「あるよ~。女の子の間で話題になってるものは一通り読んだ」
「ふーん」
なぜ女性の間で話題の作品を、男性である沙斗琉が読んでいるのか。ということに、真白が触れることはなかった。真白は表紙のそでを読みかけのページに差し込み、ぱたりと本を閉じる。
「パンケーキ食べようと思うんだけど、沙斗琉も行く? やっぱり見てるだけはつらい?」
「んー」と、沙斗琉は視線を空に向ける。「葵がいるときに」という話を蓮としたが、先に他の人と行ってもいいものかと悩んだ。
「……真白さんが映えるやつ食べてくれるなら、行こうかな」
「映えるやつ?」
「うん。食べられない分、目で楽しみたいなーって」
既視感のあるリアクションに、やはり最近口にした気がする言葉を返す。真白は少し眉間にしわを寄せ、本をスカートのポケットに入れて立ち上がった。
「いいよ。でもどれが映えるかわかんないから、沙斗琉が選んでね」
「えっ……。いいの?」
表情から断られると予想していた沙斗琉は、思わずぽかんと口を開けた。
「いいよ。アレルギーないし、好きなの頼んで。食べきれるかわかんないけど」
真白は沙斗琉に背を向け、強風をものともせず歩き出す。沙斗琉は慌てて立ち上がり、その背中を追いかける。
すり抜けるはずの向かい風をかき分けながら、沙斗琉は真白と共に商業施設の自動ドアを潜り抜けた。




