第13話 入れ違いのままで
蓮の会社の休業日は、沙斗琉と二人で出かけることもある。最初は“任務を円滑にこなすためのコミュニケーション”と思っていた蓮だが、蓮にはない視点を持つ沙斗琉の意見は興味深く、いつしか普通の友人のように出かけるようになっていた。
蓮はワイヤレスイヤホンを一つだけケースから取り出し、左の耳に入れる。充電をしていないイヤホンからは何も聞こえず、ほんのわずかな静寂をもたらすだけだ。蓮はケースを無造作にポケットに入れ、沙斗琉と揃って家の玄関を出た。
「今日の用事は古本屋だけ?」
「ああ。沙斗琉は行きたいとこあるか?」
「そうだなぁ……。あ、お台場のパンケーキの店まだ見てない」
「食えねーのに食べ物屋行くのか……。せめて葵がいるときにしてくれ。甘いの苦手だ」
「ちぇー」
蓮は正面を向いたまま、沙斗琉の方を見ることはない。一人で話しているように見えるのか、道行く人々はちらりと蓮の方へ目を向ける。しかしイヤホンを見て、納得したように目を逸らす。こんな視線は、蓮にとっては日常でしかない。
古本屋に入ると、蓮はゲームコーナーに足を向ける。アニメグッズも展開している店内は、耳に入る言葉の半分近くが外国語だ。
「本買いに来たんじゃなかったの?」
「本も買う」
声をひそめる蓮は、短く簡潔に答えを返す。店内では外と違い、電話をしていると思われるのはマナーとして良くない。
蓮はゲームソフトを三本選び、レジに向かう。特に探していたゲームではないのだが、蓮はゲームに関して、財布の紐が少し緩い。
会計を終え、エスカレーターを上り本のフロアに到着する。文庫本コーナーに向かうと、蓮は直感で気になったタイトルの本をいくつか手に取った。
「ミステリー好きなの?」
「知らん」
「へ?」
「俺が読むわけじゃない」
沙斗琉は「ふ~ん」と顔を上げ、店内を見渡す。
「ラノベとか読まないの?」
「……持ってってみるか。おすすめあるか?」
「オレが知ってるタイトルって女性向けだけど、大丈夫?」
「ああ」
沙斗琉の案内で、二人はライトノベルのコーナーに向かう。沙斗琉が指をさす本は、どれも乙女ゲームのように華やかな表紙をしていた。
会計を終えた本を、蓮は背負ってきたリュックサックに詰める。カバンの中を整理しなければ、全二十巻のライトノベルは入らない。これだけあれば、一週間では読み終わらないかもしれないと蓮は思った。
店を出ると、生暖かい風が肌にまとわりつく。夏の気配を感じながら、蓮は自動販売機のボタンを押した。
道の端で立ち止まり、ペットボトルの蓋を開ける。じんわりと汗をかきながら、蓮は冷たい水をゆっくりと口に流し込んだ。
「買った本、誰が読むの?」
「母親」
「へぇ。蓮のお母さんの話って聞いたことないかも。なにしてる人?」
沙斗琉に問われ、蓮はペットボトルを口から離す。そういえば話していないかもしれないと思いながら、やわらかく凹むペットボトルの蓋を閉めた。
「病院で入院してる」
「あ、そうなんだ……。聞かない方がよかった?」
「別に。気ぃ遣うことでもないだろ」
蓮はリュックサックの横のポケットにペットボトルを入れて歩き出す。くたびれたスニーカーが、コンクリートに噛んだ砂を踏んでざりざりと音を立てた。
「お見舞い用の本だったんだね」
「暇だろうから」
「いいねぇ。お母さんと仲いいの?」
「全然」
「えっ」
沙斗琉は思わず蓮の顔を覗き込む。伏せた蓮の目元には、前髪の影がほの暗く落ちていた。
「ほとんど話したことない。あの人夜の仕事だったから、入れ違いが多くてな」
そう話す蓮の声色に、陰りは見当たらない。沙斗琉は顔を上げ、遠くに輝く赤信号をぼんやりと眺めた。
「……そっか」
沙斗琉はそれ以上、母親の話を聞くことはなかった。ただ「ほとんど話したことがない」と言いながらも本を買う、蓮の本心に思いを巡らせた。
「今日暑いな……」
信号を待ちながら、蓮はパーカーの首元を掴みぱたぱたと揺らす。沙斗琉は両手をぱんと合わせて笑みを浮かべた。
「暑いならアイス食べてよ。映えるやつ」
「映えるやつ?」
「そう! あるじゃん、クッキーとかたくさん刺さったやつ。オレは食べられないから、せめて目で楽しみたいな~」
「甘いもの食えねぇ……」
他愛のない話をしながら、青信号に変わった横断歩道を歩く。一つの影を濃く揺らしながら、二人は人混みの中へ溶け込んでいった。




