第105話 世界を変えてでも
光り輝く金庫扉を抜け、蓮は無機質な地下牢の前に降り立つ。剥き出しの岩肌に覆われたそこに明かりはなく、扉を消すと真っ暗な闇に包まれる。だが一瞬格子越しに見えた人物は、蓮に驚きの表情を向けているように見えた。
蓮はスマートフォンを取り出し、ライトをつけて格子に向ける。その向こうの人物は、「ぎゃっ!」とアニメのように大げさに両目を覆う。
「目がっ……目が~~~~っ!」
「似てねぇ」
「だって本家聞いたことないもん」
「冥界でラ〇ュタは流れねーか……」
大の大人が子供のように頬を膨らませる姿に、蓮は「なぜこれに会いたかったのか」と自問自答する。しかしそう思ったところで、来てしまったものは仕方がない。
閻魔がいる牢の中は、ずいぶんと殺風景だった。広さはあるものの、岩を砕いたような椅子が一つあるだけで、他には何もない。鉄のような金属でできた格子は頑丈そうで、幅が狭く、腕を通すこともできそうにない。
蓮はきょろきょろと辺りに目を向ける。そこに見張りはおらず、他の牢は一つもない。どうやらここは特別な人を閉じ込めるための、特別な牢のようだ。
「霊魂管理局にこんな地下牢があったんだな。知らなかった」
「知らずにどうやって座標合わせたの?」
「マップ見たときに不自然に空いてるスペースがあったから、そこだろうと思った」
「推測だけで来たの? すごいね~」
「こういうとこは、だいたい隠し部屋か追加マップがあるからな」
「ゲームの知識だったかぁ……」
へらへらと笑う閻魔は、捕まったことを全く気にしていなさそうに見える。蓮は閻魔に向き直り、いつもより少し真面目な表情を向ける。
「単刀直入に聞く。お前の目的はなんだ?」
「目的?」
閻魔はとぼけた顔をするが、蓮は逃がす気はない。蓮は眉間にしわを寄せて閻魔を睨む。
「夕樹に天道の門を与えたのはお前だろ。理由を言え」
閻魔は照れるように笑い、ぽりぽりと後頭部を掻く。
「ばれちゃったか~」
「否定しないんだな」
「もう父上と十王にはバレてるからね。浄玻璃の鏡に全部映っちゃうんだもん」
「あぁ……」
浄玻璃の鏡は全ての罪を映す鏡だ。罪は閻魔を継ぐ者にしか見えないが、初代閻魔に全て見られてしまったのだろう。
しかしそれ以上答えない閻魔に、蓮は少し苛立ちながら質問をぶつける。
「冥界を通さず、天道に幽霊を集めて何をするつもりだった。それとも天道である意味はないのか? 母さんの鎖も、俺の扉も、本当は意図的に与えた力なのか?」
「質問がいっぱいだね~」
閻魔は緊張感のない笑みを浮かべ、岩の椅子に腰かける。微笑む口元とは裏腹に、黒い瞳はどこか憂いを帯びている。
「どこから話そうかな……。やっぱりきっかけかな」
閻魔は膝の上で指を組み、懐かしそうに目を細める。
「始まりは、本当に大したことじゃなかった。毎日死者の罪状を読み上げる生活に疲れて、ただ休みが欲しかった。でも冥界では休みがないのが普通で、何千年も同じ仕事をすることに誰も文句を言わなかった。まあ、休んだところでやることないしね~」
閻魔はおかしそうにへらへらと笑うが、蓮は表情筋を一ミリも動かさない。リアクションをしない蓮を、閻魔はあまり気にしていないようだ。
「状況が変わったのが、二十五年……か六年前。父上がWSAに引き抜かれて、浄玻璃の鏡を使える僕が、次の閻魔になることになっちゃった。でも、僕はそれが本っっっ当ーに嫌でね。今よりもっときつい仕事を、さらに責任まで背負わされなきゃならないなんて、地獄に落ちる方がまだマシだと思った。だから冥界から逃げたんだけど……っていうのは知ってるよね」
「ああ」
蓮はその話を、幼いころに何度か聞いている。さらにこの話に続く真白との馴れ初めは、耳にタコができるほど聞かされた。
蓮はまた馴れ初めを聞かされるのかと思ったが、口を挟まず閻魔を見つめる。閻魔はうっとりとした様子で頬を染める。
「何度も話したかもしれないけど……逃走先に選んだ人道は、僕にとって本当に魅力的な場所だった。優しい人がたくさんいて、悪い人もたくさんいて、新しいことが次々に起こる、綺麗で汚い場所。こんな愉快な世界で、僕は過ごしたいと思った」
聞き慣れた馴れ初めは、少しだけ切り口が違っていた。真白のことだけではない、人道全体の話を聞くのは初めてかもしれないと蓮は思う。
閻魔は再び、憂いを帯びた表情を浮かべる。
「でも僕は一人で、頼れるものなんて何もない。そう思ってたとき、まーちゃんに会ったんだ。出会ったのは本当に偶然で、僕自身、こんなに惹かれると思ってなかった。僕はどうしても、まーちゃんと生きたかった。でも僕は冥界の住人だからって連れ戻されちゃった。このときからかな、本気で行動しはじめたのは」
閻魔は「ふふっ」と柔らかい笑みを浮かべる。
「まーちゃんの力は、特に未来を見据えて与えたものじゃなかった。どちらかというと、まーちゃんに僕を縛ってほしいっていう願望の具現化かな。無意識に近いかも。結果的に地縛霊を縛ってくれて、このまま世界が変わるかなーって期待したけど、そんなに甘くなかったね」
蓮は眉毛をぴくりと動かす。しかし一旦話を最後まで聞こうと、横やりを入れたい気持ちをぐっとこらえる。
「夕樹くんの門はね、別に天道じゃなくてもよかったんだ。魂のバランスを崩せるなら、何でもよかった。ただ、夕樹くんに適性があるのが天道だっただけ。僕は適性のない力は与えられないからね。夕樹くん以外にも門を与えた子はいるけど、そんなに使ってくれないんだよねぇ。バレない程度に使ってる子もいるけど。びびって使わない子の方が多いかな?」
蓮はパーカーのポケットに入れた左手をぐっと握りしめる。犯した罪の話をしているのに、閻魔の口調はいつもの「とぼけた閻魔」とほとんど変わらない。
(本当に、とんだ狸だな)
沙斗琉の言葉に、蓮は今更ながら同意する。ここまで聞いていても、どこまでが演技なのか蓮には全くわからない。
蓮はいまいち先の見えない話をまとめようと口を開く。
「魂のバランスを崩すことが、お前の目的なのか?」
「うーん……手段の一つかな。ただ僕に与えられる力でできそうなことがそれだっただけ」
閻魔は椅子の上に足を乗せ、拗ねるように膝を抱える。今までの「とぼけた閻魔」の色が薄まり、閻魔の目元に影が落ちる。
「父上の親知らずからできた僕には、死という概念が存在しない。地球が終わるまで、もしかしたら地球が終わっても、僕は冥界に存在し続ける。この先何千年も何万年も、毎日毎日、死者の罪を裁き続ける。大切な人と過ごすことも、後を追って死ぬこともできない。そんなの耐えられないし、耐えたいとも思わない」
閻魔は立ち上がり、つかつかと蓮に近寄る。閻魔は蓮と自分を隔てる格子にそっと触れる。
「だから、世界そのものを変えてしまおうと思った。世界が変われば、僕にも死が訪れるかもしれない。あるいは、今まで死の概念を持っていた生物から、死が失われるかもしれない。人間から死がなくなれば、蓮くんも僕と同じように永遠を生きることになる。僕は蓮くんと一緒に過ごせるようになる」
閻魔は苦しげに顔を歪める。それはいつものとぼけた仮面ではなく、きっとこれが、本当の“紫蘭”の表情なのだと蓮は思う。
「僕はね、蓮くんたちと同じ時間を生きたいんだ。世界の理を曲げてでもね」




