第101話 報酬は賄賂
閻魔が現れるのは年に二回ほどだった。いつも決まって風呂場の鏡で、体を洗っている途中に現れたこともある。蓮は閻魔のデリカシーを疑った。
「まーちゃんに会えない」とぼやいていたので真白が家にいる時間を教えたが、その時間は空けられないと嘆いていた。
蓮は閻魔から扉の使い方を教わった。閻魔の教え方はそんなにわかりやすくなかったが、蓮は頑張って理解して練習した。使ううちに力に対する恐怖はなくなり、日常生活でもたまに使うようになった。主に学校に遅刻しかけたときだが。
しかし年が経つにつれ、閻魔が現れる回数は減った。中学生の時には年に一度、高校に上がると一度も姿を見せなくなった。
(忘れられてんのかな……)
頬杖をついて黒板を見ながら、蓮はぼんやり考える。閻魔はもともと約束を守るタイプにも見えず、突然『忘れてた!』とひょっこり現れても驚かないだろうと蓮は思う。
結局閻魔に会わないまま、蓮は高校を卒業して実家を出た。「実家を出たら閻魔が蓮の居場所を捕捉できないのでは」と思ったが、どうせ来ないのだから関係ないと思った。
そんな閻魔が再び姿を現したのは、二十一歳の秋のこと。冬に差し掛かり、パソコンのキーボードを打つ手がかじかんでくる季節だった。
蓮は仕事も夕食も終え、歯を磨こうと洗面所に来た。そのとき突然鏡が白く濁り、晴れたときには閻魔の姿が映し出されていた。
『蓮きゅ~ん!! 助けて~!!!』
「キモッ」
数年ぶりの再会にも関わらず、蓮の第一声はひどいものだった。蓮の中で「気の置けない仲」という認識が残っていたのはあるが、それよりも「蓮きゅん」が気になりすぎてしまった。
閻魔は大の大人がするとは思えない、わざとらしい泣きまねをする。
『え~ん。蓮きゅん辛辣~』
「いや、普通にキモいだろ。なんだその呼び方」
『かわいくない?』
「かわいくない。つか、よく家の場所わかったな。言ってないのに」
『本当だよ! 久しぶりに会おうと思ったらいなくなってるんだもん! 探すの大変だったんだよ~。扉の反応もないし』
「使ってたけどな」
『現世から現世の移動は反応出ないんだよぉ』
「そうなのか。で、『助けて』ってなんだ?」
閻魔は邪険にされていることを気にする様子はなく、困ったように眉尻を下げる。
『どこから説明したらいいかなぁ……。まず、冥界には霊魂管理局っていう組織があってね』
「なんだそれ」
『霊魂を管理する機関』
「そのままだな」
『うん。で、僕はその霊魂管理局の仕事の一つで、現世の地縛霊を回収する仕事があるの』
「回収がいるものだったのか」
『うん』
蓮は閻魔の話を聞きながら、当初の目的である歯磨きを始める。鏡が使えないのは不便だが、できないことはない。
閻魔は蓮の行動を気にすることなく話を続ける。
『現世に収容できる魂の数は決まってるから、溢れないように減らしていかなきゃいけないんだ。その“魂の数”には生者も含まれる。日本は人口が減ってるけど、世界の人口は増えてるから、バランスを取らなきゃいけないの』
「ふーん」
『なんだけど、その回収担当者に欠員が出ちゃってね……。適合者がすぐ見つかるものでもないし、見つかってもしばらく研修が必要だから、即戦力になる人を探してて』
「俺の扉が使いたいと」
『そう!』
閻魔は姿勢を正し、勢いよく頭を下げる。おかげで鏡から閻魔の姿が消え、趣味の悪い豪奢な室内が映し出される。
『お願いします! 回収課に入ってください!!』
「報酬は?」
蓮は涼しい顔で、間髪を入れず尋ねる。顔を上げた閻魔は、おろおろと目を泳がせている。
『えっと……。死後の裁判で罪を軽くするとか』
「賄賂か」
蓮はしかめっ面をしながらも、即答して断ることはない。関わると面倒だと理解しているが、蓮の中のある思いが、断る選択肢を遮っている。
(断ったら、もう閻魔に会うことはないんじゃないか……?)
閻魔は数年間姿を現さなかった。それが閻魔の意図によるものか、ただのうっかりなのか、周りからの圧力なのかはわからない。しかし今回現れたのは困りごとのためであり、それがなければ現れなかったことは察しがつく。
端的に言えば、蓮は父親に会いたかったのだ。
しかし軽率に受けることができない。いつだったか、閻魔は『“閻魔”は父から受け継いだ』と言っていた。蓮も閻魔の父、蓮から見たら祖父に当たる者と鏡越しに会い、その情報が真実だと確認している。
もし蓮を冥界に関わらせることで、将来蓮を“閻魔”にするつもりでいるなら、それは絶対に避けたいことだ。蓮には、報酬もなく毎日亡者の裁判をするモチベーションはない。
(閻魔にされる可能性があるのは死後か……)
蓮はうがいをして歯磨き粉にまみれた口をすすぐ。歯磨き粉の清涼感のおかげか、頭の中まで少しさっぱりしたように感じる。
「……条件がある」
閻魔が目を輝かせる。無下に断られると思っていたのか、その顔は安心と期待に満ちている。
蓮はいつもより真剣なまなざしで、まっすぐに閻魔を見据える。
「俺が死んだら、他の人間と同じように転生させろ」
『えっ』
あからさまに嫌そうな閻魔の声に、蓮はこの条件が正解だと確信する。閻魔は腕を組み、あらゆる方向を向いて「うーん」と唸る。
『……わかったよ。蓮きゅんがそう望むなら……』
閻魔は落ち込んだ様子で言う。罪悪感を誘うその顔に屈することなく、蓮はしっかりとうなずく。
「なかったことにされると困るから、契約書書くぞ」
『しっかりしてるね……。わかった。用意するから、冥界まで来てくれる? 僕は一回脱走してるせいで、冥界から出られなくて……。蓮くんの扉なら出入りできるし、肉体にも影響はないはずだから』
「噓だったら協力しないからな」
『わかってるよ!』
こうして蓮は、初めて鏡越しではない父親と会うことになった。




