第100話 また会える?
蓮は自分の父親は死んだか、もしくは誰かわからないのだと思っていた。母である真白が父について語ることはなく、蓮もなんとなく聞いてはいけない雰囲気を感じていた。
それが突然現れて、しかもこんなへらへらとしたやつだとは、蓮はとても信じられなかった。
蓮は浴槽をスポンジで洗いながら、話し半分に閻魔の言葉を聞く。
『僕、こう見えて冥界の……えっと、冥界ってわかるかな? あの世とか彼岸……はもっと難しいか。死んじゃった後に来る場所なんだけど』
「わかる」
『わかるんだ! 物知りだね! で、冥界の王様みたいなことをしてるんだけど、本当はとってもやりたくなくて、我慢できずにそっちの世界に逃げ出したときに、まーちゃんに会ったんだ』
「まーちゃん?」
『真白さん。蓮くんのお母さん』
「あぁ……」
自分のことだけでなく、母のことも知っている。それでも蓮はまだ、鏡の向こうの男が自分の父親だと信じきれない。理由は単純に、怪しすぎる。
閻魔は蓮が話をほとんど聞いていないことに気づいていないのか、真白との馴れ初めを話し続けている。
『まーちゃんとは夜のお台場で会ってね、一目惚れだったんだ。ベンチに座って海を眺める横顔が綺麗でね、この人とずっと一緒にいたいなって思ったんだ。お台場って行ったことある?』
「ない」
『楽しいとこだよ! 遊んだり買い物したり、ぼんやり海を眺めたりして。まーちゃんはクレープ食べてたなぁ』
「へー」
『でも仕事から逃げてきたから、すぐ連れ戻されちゃって……。人間じゃないからそっちに行くのも禁止されちゃって、一緒に暮らすどころか会いに行くこともできないんだ』
そう言って落ち込む閻魔は、本気で悲しんでいるように見える。しかしすでにひねた子供だった蓮は「演技かもしれない」と思いながら、浴槽をシャワーで流す。
閻魔は顔を上げ、飛び跳ねるような笑みを蓮に向ける。
『今日はちょっと時間が取れてね! 蓮くんの顔が見られて嬉しいよ! しかもお話しできるなんて、夢みたいだ!』
「なんで名前知ってるの?」
『今までにも、何回か覗いてるから』
(気づかなかった……)
これからこの男と会わないようにするには、鏡を隠すしかないのだろうかと蓮は考える。蓮の中ではまだ、閻魔は不審幽霊と認定されている。
しかし次の閻魔の言葉が、その認識を一気に覆した。
『蓮くんさ、空間を繋ぐ力を持ってるよね。その家から地獄の反応が出たことがあるんだけど』
蓮は驚いて閻魔を見る。蓮が三歳のときに開けた金色の扉は、恐ろしくてあれから一度も開けていない。
「なんで、知って……」
『反応の正体を調べたら、蓮くんが門を開いたってわかったんだよね。で、その力なんだけど……たぶん、僕からの遺伝だと思うんだ』
「そう……なの?」
『うん。僕の力が二つ混ざった感じかな。今蓮くんと話してる“鏡で時空を映す力”と、“六道の門を開く力”が合わさった感じ』
「りくどう?」
『世界が六つに分かれてると思ってくれたらいいよ。蓮くんは昔、六道の一つである地獄道を、きみの世界と繋いじゃったんだ』
蓮は閻魔の言葉をなんとなく理解する。閻魔が鏡から話しているのが蓮の力と似たものならば、蓮が閻魔の息子であるというのも納得はいく。というか、蓮が普通の人間である方が、力の説明がつかない。
(やっぱり、あれはおれの力なんだ……)
蓮はぼんやりと自分の手を見つめる。薄々気づいていたとはいえ、できれば知らない幽霊の仕業であってほしいと蓮は思っていた。
「あんたは、おれをどうするの?」
蓮は微かに震える声で閻魔に問う。わざわざ力のことを尋ねたということは、蓮の力に用があるのだと考えたのだ。
殺されるのか、冥界に連れていかれるのか。不穏な想像ばかりが蓮の脳内を巡る。
しかし閻魔は、きょとんとして首をかしげる。
『どうもしないよ?』
「え?」
今度は蓮がきょとんとする番だった。閻魔は心底幸せそうに、満面の笑みを浮かべる。
『ただ、蓮くんとまーちゃんに会いたかっただけ! まーちゃんには会えなかったけど……蓮くんが元気そうでよかった!』
後から思えば、蓮はこの笑顔に絆されたのだろう。蓮は閻魔への警戒心を完全に解いてしまった。
閻魔が父親だと完全に信じたわけではない。けれど、そうだったらいいと思ってしまった。
鏡の向こうから閻魔を呼ぶ声が聞こえる。閻魔は慌てた様子で、無意味に手をばたつかせる。
『ごめん! もう戻らないと……。今日はありがとう! じゃあ……』
「まって!」
蓮は無意識に閻魔を引き留める。閻魔は動きをぴたりと止めて蓮を見る。
蓮はシャツの裾をぎゅっと握りしめる。
「また、会える?」
閻魔は一瞬目を開き、すぐに照れたようにはにかむ。
『うん! 頑張って時間作るね! 今度は力の使い方も教えてあげる!』
「……! うん!」
蓮がうなずくと、閻魔は蓮に大きく手を振る。しかし蓮が振り返す前に、閻魔の姿を靄が包み、鏡から消えてしまう。気づいたときには、鏡には見慣れた蓮の姿が映っていた。
蓮はまだ少し信じられないような気持ちだった。しかしどくどくと高鳴る鼓動は、また閻魔に会える日を楽しみに思っていた。




