第99話 鏡の中の父
薄暗い部屋の中、蓮は一人でベッドの上にあぐらをかく。思えば、夜に部屋で一人という状況は久しぶりだ。回収の仕事をするようになってから、この時間はいつも隣に沙斗琉がいた。
(後悔しないか、か……)
そう言われると、蓮はすでに幾度も後悔している。その最たるものは母である真白との関係で、真白の死に際になって「もっと早く言えばよかった」と思う言葉がたくさんあった。
蓮は真白のことをほとんど知らなかった。同じように、いやそれ以上に、父である閻魔のことも知らない。
おそらく蓮は閻魔について、他の回収課の面々と同じくらいの情報しか持っていない。天然、親バカ、見栄っ張り、気が弱い、調子に乗りやすい、ロマンチスト、お人好し。そんな表面的な性格しか、蓮は理解していないのだ。
(閻魔は夕樹に何をさせる気だった? 冥界を通さず天道に幽霊を集めて何になる。それとも天道である意味はないのか? 黒木に与えようとした力も天道か? いや、麗奈を恨んでる黒木が、天道の門なんて持っても使わないだろう。違う門の力を渡すつもりだったのか? それとも門じゃない別の力か? 母さんの鎖の力も、本当は意図的に与えたものだったとしたら? 俺の力は偶然受け継いだだけか?)
一度疑心暗鬼になると、全てのことが疑わしく感じてしまう。しかしどれほど考えても、結論にはたどり着かない。蓮は目を覆い、はぁとため息をつく。
(俺が見てきた親父は、どこまでが本当だったんだろうな……)
蓮の記憶の中で、閻魔は一貫して「天然なお調子者」だった。冥界の理を曲げるなど、そんな大きいことができる人ではない。いや、人間ではないのだが。
蓮はぼんやりと、初めて閻魔に会った日のことを思い返す。それは蓮が小学校三年生のとき、学校が終わり、いつものようにスーパーで買い物をして帰宅したあとのことだった。
蓮は買ってきた食材を台所に置き、そのままシンクで手を洗う。食材を冷蔵庫に入れ、宿題も終え、やることがなくなった蓮は風呂場を掃除することにした。
脱衣所の棚から洗剤を取り出し、換気扇をつける。浴室に入りシャワーの蛇口を捻ろうとしたとき、蓮はふと鏡に違和感を覚える。
深く考えず鏡に目を向けたとき、蓮は我が目を疑った。
「……え?」
鏡は、蓮の姿を映していなかった。
代わりに映るのは、見知らぬマッシュヘアの青年だ。青年は人のよさそうな笑みを浮かべ、蓮に向かってひらひらと手を振っている。
『あ、気づいた! こんにちは~』
蓮は青年を幽霊だと思った。鏡に映る幽霊を見たことはなかったが、絶対にないとは言い切れない。
幽霊ならば、あまり関わらない方がいい。言葉を交わしたら、鏡の中に連れ込まれてしまうかもしれないと蓮は思う。
蓮は青年を無視し、シャワーを浴槽に向けて蛇口を捻る。青年は慌てたように身を乗り出すが、鏡を越えてくることはない。
『えっ、今気づいたよね!? なんで喋ってくれないの、蓮くん!』
蓮はぴたりと手を止める。名前が知られているということは、青年は偶然この鏡を覗いたわけではない。
(……どうしよう)
蓮は偶然居合わせた幽霊の対処法しか知らない。母はすでに仕事に向かい、頼れる人間は誰もいない。
蓮は恐る恐る青年を見る。再び蓮と目が合うと、青年は安心したように笑みを浮かべる。
『やっぱり見えてるね! よかった~。ちゃんと接続できたんだ』
「……どちらさまですか?」
蓮は眉間にしわを寄せる。その不機嫌とも不安とも取れる表情に気づいていないのか、青年は照れるように頬を染める。
『いざ名乗るとなると緊張するなぁ~』
青年はわざとらしく咳払いをして、鏡の向こうで姿勢を正す。
『はじめまして。僕は閻魔。きみのお父さんだよ!』
「……は?」
蓮は言葉の意味を理解できず、ぽかんと口を開ける。蓮は危うく、シャワーを手から落としかけた。




