第二話 我らの小さき歪(いびつ)な世界
火星統合暦MD:〇一〇四年八月一八日 自由フランス共和国首府軌道要塞『イル・ド・フランス』 政庁都市オロール=パリ 中央行政官区 軍事法務局第三法廷室
この日、裁判官席の煌びやかな制服姿の将官たちの前に、一人の女性士官が被告席に立たされていた。
大きなたれ目にソバカス顔、手入れがおざなりな山吹色のミディアムヘア。
薄い水色の上着に白シャツとネクタイ。同系色のタイトスカートという尉官用典礼服の彼女は、雲の上の存在に等しい面々をやぶ睨みにして控えている。
お世辞にも愛想が良いとは言い難い。
そんな士官の態度なぞ歯牙にも掛けず、将官の一人が書面を見ながら
「当査問委員会は、被告ルナン・クレール海軍大尉に対し以下の決定を下すものとする」と、さも面倒臭そうにその後を続けてだらだらと読み上げる。
被告席のルナン・クレール大尉から見れば、判決文を読み上げる将官以外のお歴々は一様に首をうな垂れ、目はうつらうつら。中には大っぴらに舟を漕ぐ人物までいた。
「え~先の被告により執行された『海賊陽動鎮圧作戦』に関しての、当査問委員会の評価は『不可』と決定された。貴官の行った……あ~いわゆる美人局的な作戦行動はわが海軍の名誉と軍紀を著しく逸脱したものと判断する」彼はここまで読み上げると
「ここまでで、何か異議申し立てする事はあるか?」と、訊ねてきたのを良いことに彼女は
「委細、相違ございませぇぇーん!」と、ここぞとばかり法廷に響かんばかりの大声で返答した。
その途端、心ここに非ずのお偉方は、一斉に席から飛び跳ねるようにして身をのけ反らせた。そして、問題の人物を睨み返す。
判決文を持つ将官もまた居丈高に咳払いの後
「よって本作戦の立案及び指揮にあたった、第二七独立機動艦隊司令ルナン・クレール大尉はその指揮権を剥奪。降格処分として中尉への任官を命ずる。更に減棒一五パーセントを一〇ヶ月とする…以上!」との裁断を下した。
この決定に、ルナン・クレール元大尉は涼しい顔で、居並ぶ将星たちに敬礼して見せた。
◇ ◇ ◇
「レーザー誘導ビーコン受信。軌道要塞『ディジョン・ド・マルス』への入港シーケンス開始します」
手狭な発令所に航法管制オペレーターの野太い声が反響した。
艦内の耐圧隔壁に背を向ける形で据えつけられている艦長席に身を埋めるようにしている仏頂面の女性艦長は一度だけ大きく頷いてみせた。
「クレール艦長へ。『ディジョン・ド・マルス』入港管理局より『無事なご帰還を祝します』との通信在り。返答はどうされますか?」
次に通信担当女性オペレーターの耳通りの良い声音が続いた。
ルナン・クレール艦長は、明快灰色で裾の短いダブルのジャケットにダークグレーのシャツにえんじ色のネクタイ姿。ジャケットと同系色のスカートにクリーム色のパンプスといった儀礼式軍装である。彼女は自分の身の丈には少々不釣合いな大きさの艦長席で両膝をそろえたお姉さん座り。
彼女は耳まで切り揃えた金髪の後頭部を掻いてから、オペレーターに手ごろな返答を委ねんと両手を合わせてみせた。
その姿は正にくたびれたクマのぬいぐるみが居座っているようで、発令所に詰めるクルーたちからはいつも笑いを誘っていた。
ルナンは今年の七月で二五歳を迎えていた。未婚の彼女は妙齢な美女とは言い難いが、その人となりの魅力か、彼女の周囲では明るく気さくな雰囲気が漂っていた。
「今日でオレもここをお払い箱かぁ……」こう呟いて、トロント級軽巡宙艦『コードロン』の船体中央部に屹立する発令所をぐるりと見回した。
その最前列には船外を直接視認できる監視窓が居並ぶ。それ以外にも船外の様子をモニターしている大型液晶モニターが三基、天井部から吊り下げられる形で配置されていた。
艦の進行方向の壁面に据えつけられている二人一組で制御する操舵員ブース。そのすぐ背後にはこの艦の航行を仕切る航宙士官の席とその前に大型卓上ディスプレイがある。
その他に原子炉並びにパルスイオンエンジン制御を始め、モニターしている機器がひしめき合い十名前後の担当兵曹が勤務していた。
照明はやや暗め、各モニターからの淡い光が対面する乗組員らの顔面をほのかに照らし出している。
今、監視窓列には巡宙艦が滑り込もうとしている、火星移民者の末裔の人々が居住できる唯一の人工世界オービット・フォートレスこと軌道要塞の威容が巨大な円形の壁となって迫っていた。
その中心部からは温かなオレンジの光がメイン入城口から洩れて来ていた。そのゲートですら縦、横二〇〇メートルの正方形。スティールと小惑星由来の岩塊で構成された壁に比すればやけに小さく感じられる。
そのゲート周辺には宇宙空間にて停泊せざるを得ない、大型のコンテナを山積みにしているタンカー群が整列していた。
巡宙艦はきれいに整列しているそれらを尻目に、可視化された誘導ビーコンに沿う形で入港口へしずしずと接近していく。
この火星世界においては汎用性の高いトロント級軽巡宙艦の六番艦『コードロン』は、ルナン・クレール元海軍大尉の指揮下にあった第二七独立機動艦隊旗艦としての航宙を終えようとしていた。
そのメガ・ストラクチャー自体はその光を中心軸に円形の壁面をゆっくりと時計回りで回転させ、その中に住まう人々に地球より約十五パーセント増しの人工重力を遠心力で発生させているのである。
『ディジョン・ド・マルス』と呼ばれる軌道要塞はアイランドⅢ型と一般的に称されるスペースコロニーを模している。
日本茶を収めるお茶缶、恐ろしく巨大な茶筒形の人工構造物の全外郭部に牡蠣の殻のような岩塊でおおわれる姿が標準的な外観となる。
『ディジョン・ド・マルス』は円形の直径部分だけで一八・六キロメートル、全長は四二キロメートルに及ぶ軌道要塞。大元はその大きさに類する小惑星をベースに、内部を円筒形にくり抜き残ったその天然素材の部位に人工構造物をぐるりと配置した上で人工世界の建設を執り行う。
一基平均で早くて六年~一〇年の月日をかけて人間が居住できる地球と酷似した擬似世界を火星移民者の子孫たちは百年以上に渡り造り続けて来たのである。
自らの生存と未来の全てを賭けて……。故郷の地球に戻る事を許されず、本来の新天地となる筈の火星本土からも拒絶された人々が窮余の策で必死に造営した人工世界。それが軌道要塞オービット・フォートレスなのである。
「中央ゲートへの進入開始。推力二〇へダウン。艦首姿勢制御スラスター噴射三〇秒後に艦内重力を遮断する」
「メインエンジン及び原子炉停止。補助エンジンへ移行、注意せよ」航法及び甲板・保安担当オペレーターたちは慣れた手順で入城作業を各部署へと指示する中、ルナンは膨大な人工世界からの光に目を細めて思わず手をかざしていた。
「こちらセント・グロワール市航法管制室。『コードロン』は現在の速度と針路を維持せよ。天候は晴れ。日付は八月二〇日。現在時刻は〇七:二〇。中心軸無重量エリアの人工太陽付近には濃霧が発生中。留意されたし」
「『コードロン』了解。今日も暑くなるのかい?」
「こっちのオーゼル島とセント・グロワール市付近の最高気温は三二度まで上がるとの予想だよ。海水浴にはもってこいだな。ラドム海の南西区画ポイントEに着水せよ。その後ゼッケル海軍基地への進入航路をとれ。トパーズ湾とバレアス島の海上、天気晴朗なれども波高し」
「ご丁寧にどうも。『コードロン』オーヴァー」
このやり取りを聞いていたルナン・クレール艦長はここで頭上から鈴なりにぶら下がっている艦内通話用の通称キャプスタンと呼ばれる角ばった古臭いマイクをつかむと
「こちらは艦長だ。全部署へ通達。今一度周囲の備品の固定を確認せよ。毎度のことだが無重量状態からすぐに慣性重力の影響下に入る。重量物に足を挟まれるようなへまはするなよ」と、注意喚起し、監視窓から完全に目を背けた。
『コードロン』はゲートの長いトンネルを抜けて、いよいよ軌道要塞『ディジョン・ド・マルス』の内径世界へと足を踏み入れた。先ず艦全体を霧のヴェールが包み込み、その進行方向の先にはぼんやりと光を放つエネルギー核である人工太陽が出迎えてくれた。
完全密閉型宇宙都市である軌道要塞には回転軸の中心に自然発生する無重力エリアに必ず一基の人工太陽と称される直径五メートル程度のプラズマ光源体が構築されている。それなくして人々の生存は成り立たないのは自明の理であろう。それは光でありマイクロ波を放ちこの世界に全ての生命活動に必須な熱をもたらす唯一の物だからだ。
「船底部スラスター全基噴射開始。本艦は降下に入ります。着水ポイントはカリーニン諸島西方五キロメートルの海上」
「了解した。上手に着水させてくれよ。コイツも大分ガタが来ているはずだ」
ルナンは航法オペレーターにそう返すなり、身体を艦長席から踊り出させた。彼女の身体は無重量状態でほんの数秒間ふわりと浮かんでいたがすぐにゆっくりと足下から発令所の床に着地した。
船体そのものが軌道要塞内に発生している遠心力を元とする重力場に捉えられ始めた証拠であった。
それを報せるための鐘の音が“リンリンリン”と発令所内に響き渡った。
「あぁ~いつ見てもこの光景は壮観だよ……ただいま」ルナンは監視窓列から周囲三六〇度全体に広がる壮大なパノラマに息を呑み、かつ微笑を浮かべた。
船外監視モニターでは軽巡洋艦が降下していく内径世界のほぼ全景を捉えていた。そのほとんどが海洋であった。
波頭を描く群青の海原が内径世界を包み、やや靄のかかる水面の先に人々が居住する島影がぼんやり見えるのみ。それもいくらか内径の外縁に沿って湾曲して見えるのだった。
軌道要塞『ディジョン・ド・マルス』は海洋群島型と呼ばれる形式に属し、全表面積の七割近くを海洋が。残り三割を群島が占める。
その有効内径表面積、茶筒を一枚の紙のように大きく広げて見れば、それは約二四〇〇平方キロメートルに及ぶ。故に『ディジョン・ド・マルス』には居住可能範囲が海洋部を含めて、日本の神奈川県とほぼ同じ表面積を有するということになるのである。
『コードロン』は順調に船底部を海原へ向けて降下していった。
海面まで高度一〇〇メートルを切った時点で噴射を最大に上げ、海面に水蒸気と波頭をまきあげながら遂にフリゲート艦は着水に成功した。一度大きく船体の上部構造物までを水中に潜らせてから波間を掻き分けて浮上したのだった。
「推進器、モーターに切り替え。船外スクリューを回せ! 速度を六ノットに維持せよ」ルナンが指示を下すと各担当オペレーターが復唱。機関区に伝達する。
「展望艦橋へ上がるぞ。気密ハッチを解放してくれ」
艦長ルナンは待ちきれないとばかりに、発令所から、その上部にある吹きさらしの艦橋へ上がるためのハッチの真下でラダーに手を掛けている。
「クレール艦長。ハッチを開けたままにしておいてくれませんか? 外気を味わいたいのです。それと海上の外気温は二〇度前後です。コートを用意した方がいいでしょう」クルーからの要請にルナンは了解の意で手を上げ応えた。
艦長隻のヘッドレストに掛けてあった濃緑色のコート姿で、気密式エアロックを抜けて、階段を上がり展望型艦橋に立ったルナンは一度、大きく伸びをしてから外気を肺に思いっきり取り込んだ。
背後で開け放しているハッチからはこれまでの気密状態で溜め込まれていた体臭と機械の油臭が醸し出すカビ臭い空気が流れ出てきており、入れ替わりに発令所には新鮮で清々しい潮風が流れ込んでいるはずである。
彼女の天上遥かに存在する人工太陽とは、核融合パルス振幅レーザー式でインナーワールドに光と熱をもたらすエネルギー核であり紛い物の太陽だが、それでもそれが生み出す暖かな光は碧き海原を眩くさせ、さらに内径世界の果てまで続く蒼穹をも見事に演出して見せていた。
それを真っ先に肌で直に感じることとなったルナンはもう一度だけ大きく深呼吸。その心地よさに自然と顔がほころびこう呟いた。
「帰って来たぞ。我らが小さき歪な世界よ」




