第一話 黒いサーベルタイガー
「全弾命中!効果甚大。敵艦隊は転針する模様。まるで尻に帆を掛けるようであります」砲撃管制士官の嬉々とした報告が艦橋内の空気をふるわせた。
「詩的表現なぞ無用である!」その声に被せるようにして発せられた、低く凛然たる声音は刃が如くに士官の喉元に突きつけられ、彼は一瞬で身を凍りつかせた。
全長六〇〇メートル、淡い水色と濃紺の迷彩が施されたアトランティア連邦屈指のカエサル級巡洋戦艦の三番艦『ハンニバル』。
その中央にそびえるパゴタ型艦橋にあって、艦を統括する士官及び十数名の乗組員らは一様に背筋を伸ばし、担当部署のモニター画面に集中するのみ。誰一人声の主を見ようとはしなかった。
「はっ! 我がヴァルデス・フリートの戦果は……」
「さにあらず。尻尾を巻いた不躾な犬どものことを聞いている」
「ア、アルジェリー級高機動型巡洋艦二隻、トロンプ級軽巡洋艦二隻、C級フリゲート艦三隻の計七隻であります」士官は声を上ずらせその場に直立した。
「無様也……。これが精強とうたわれた自由フランス海軍とは。アルジェリー級巡洋艦を活かしきれずこの体たらくか!」と、主は吐き捨てるように言うなり艦橋最前列の監視窓列から振り向いた。
アトランティア連邦海軍、第五〇二独立遊撃艦隊。
通称ヴァルデス・フリートの司令官は女性であった。名をゲルダ・ウル・ヴァルデス。
二メートル近い長身に褐色の肌。体躯は豪壮なれど四肢は流麗にして優雅。背中まで伸びる髪はウェーブのかかった赤味を帯びるブラウン。
大きく研ぎ澄まされた眼は茶褐色。見る角度ではやや赤味を帯び、一度見開かれると猛虎を思わせ誰もが射すくめられた。
その容貌は鼻筋の通ったヨーロッパ系の流れを汲んでおり、何より特徴的なのは生まれ付いて犬歯が異様に大きい。笑みを浮かべれば上唇から牙のように覗かせるのだった。
ゲルダの他を圧する存在感は一様にこう評された。
”黒いサーベルタイガー”と。ある者はその異形に畏怖し、ある者は背筋をぞくぞくさせるような羨望を覚えた。
ゲルダ・ウル・ヴァルデスが今一度振り返れば、サーベルタイガーの奇襲によって大打撃を受けた敵艦隊が、一斉に青白いエネルギーの奔流を放ち、為すすべなく撤退する様が見て取れる。
その光点群の遠望に人類の新たな新天地になるはずであった惑星の姿がテニスボールほどの大きさで宇宙の帳の中、錆色に滲んでいた。
「……火星か。我らが故郷。誰一人として地上に降りる事叶わぬ忌まわしい惑星……」と、彼女は少し目を伏せ呟くと、艦橋のほぼ中央に据えられた指揮官席へと足早に歩を進めた。
その大股で颯爽と歩む姿はランウェイを行くファッションモデルを彷彿させ、女性士官らをうっとりとさせるほどであった。
頑健な造りの指揮官席を前にしたゲルダの右傍につぅっと一人の女性士官が歩み寄り
「ゲルダ様、その出で立ち無駄になりそうでおますなぁ」と、言った。
「それは早計であろう。カナンよ」と、ゲルダは紺色を基調とした詰襟型軍服にタイトスカート姿の士官に微笑んで見せた。
今、ゲルダは艦艇制圧戦と呼ばれる艦内近接戦闘に特化した装備、特殊強化装甲服。俗称で“動甲冑”をまとい艦橋にあった。
それは白をベースに黒の縞模様を配した豪壮な造りで、虎の頭部を模した肩甲と膝当て。分厚い胸部装甲には黒地に赤、黄で彩られた不気味な魔獣を連想させるようなヴァルデス家の紋章があしらわれている。
多くの指揮官が艦橋に根を張ったように動かぬのに比し、彼女は自ら制圧戦の陣頭に立ち、突入隊を鼓舞しては敵兵を薙ぎ払った。その姿正に猛虎。まとう動甲冑『白虎』に相応しい戦いぶりに数多の強者が恐怖した。
「指揮官御自ら動甲冑をまとうて、戦場で刃を振るうなぞお控えくださいますよう」と、やや腰を折る姿勢で苦言を呈するカナンと呼ばれた士官は続けて
「実験艦艇『モビィディック』には然るべき者共を送り込んでおります。そろそろ片が付きますやろう」と、言い銀縁メガネを差し上げながら笑みを返し、指揮官席の左に控えた。
「とは申せ、これでは我が『白虎』は埃をかぶるばかりではないか……なぁマリウス」ゲルダは軽やかに身を翻して、彼女専用に誂えられた甲冑を覆う白いマント姿のまま体躯を席に預けた。
「せっかく君が入念に手入れしてくれたのにねぇ……」と、ゲルダはカナンの反対側に無言で直立不動、胸前にやはり虎の頭部を象った『白虎』の兜を抱えている少年兵のふっくら上気した頬に、手甲の指を伸ばしつぅっと顎の先まで滑らせた。
“ひゃう!”と、男子にしてはかん高い奇声を上げた、年の頃なら十三、四ほどのマリウス少年兵は耳たぶまで真っ赤に、いっそう身を硬直させ見開かれた眼は前のみへ向けられている。
ゲルダはまっさらな紺色の制服の少年が見せる、感情の色どりを楽しむかのように口の端を上げると、左からわざとらしい大きな咳払いを聞いた。
「ゲルダ様、まだ報告案件が残ってますよってに」と、席の左に控えていたはずの副官、カナン・東雲中尉が身を乗り出すようにして睨んで来ていた。
「で……あるか⁈」と、ゲルダも剣呑な目つき、男のような声音で返すと
「マリウス、下がってよろしい。兜を鎧櫃に収めておくように。お願いね」今度は打って変わって、優しい姉様のような声色で硬直している少年兵へ笑顔を向けた。
マリウスは「はい」と、小気味よい返答の後よく仕込まれた回れ右を。いそいそとその場を後にした。
極東アジア系の血筋を受け継ぎ、艶やかな黒髪をおかっぱ頭に切り揃えているカナンは彼のまだ子供っぽい背中を一瞥すると、ねちっとした黒い円らな瞳の顔をぐっとゲルダに寄せて
「まさか、あの坊やに手ぇ出してまへんやろなぁ」と、周囲に気取られぬよう囁いた。
「人聞きの悪いことを申すでないわ! 少しからかってみただけだ」と、ゲルダが少し頬を染めてから
「あと、二、三年すれば良き若衆となろう。今が可愛い盛りではないか?」持ち前の牙のような犬歯を覗かせる。
「お気をつけなされませ。我が艦隊にも総省の狗は入り込んでおります。奴らはあんさんの落ち度を血眼であさっとります。未成年の少年を褥にでも誘えば……」
「国防総省に居座る暴君、アデル・ケイリーに更迭されるか?」
「更迭ならまだましどす。下手をすればあなた様の首が落ちまするぞ」
これを受けた、黒いサーベルタイガーは牙をさらに覗かせ、獰猛かつ獲物を狙う眼差しを副官へと向け
「私に戦を挑むというなら、望外の喜びぞ! かの者を討ち取りこの惑星に覇を唱えるは我である!」と、周囲も憚らずに大音声を上げたのだった。
「なれば、御身の手綱しっかと握りなされ!」こう負けじと返すカナン・東雲からゲルダは目線を外し
「あい分かった」と、ふくれっ面である。
二人の間に暫しの沈黙。そしてゲルダが報告を為せと指示した。
カナンは今の遭遇戦により、前哨戦を担ったパトリシア・ラングレー少佐座乗の旗艦「パーツィバル」が被弾。その他駆逐艦二隻が中破程度の損傷を受けたことを報告すれば、ゲルダはその三隻以外にも損害を被った艦艇も併せて、ヴァルデスフリートの根城である軌道要塞『マルス・ベクター』向け帰還軌道への転進を許可した。
次にゲルダが報告を受けたのは、このトロヤ群なる辺鄙な宙域まで艦隊を率いてきた本来の目的、実験艦艇『モビィディック』。自由フランス側で猟犬、『ベーオウルフ』と呼称された新鋭艦の処遇に関してであった。
二人が艦橋前列の監視窓から垣間見える、画期的な新装備を有して外注業者なる元海賊団の操船のもと単艦出撃したのがつい昨日とは思えない程の痛々しい姿を宇宙空間に晒す『モビィディック』にカナンが
「まるで一個艦隊と戦争したみたいどすなぁ」と、ため息混じりに呟けば
「これが、あの旧式フリゲート一隻による反撃とはな……確か『ルカン』であったな。指揮官は誰か?」と、ゲルダが問うた。
カナンは素早く指揮官席に備えられたタブレット端末を操作し、液晶画面に表示された情報に目を通し
「アレクセイ・ムーア少佐どすなぁ。情報が正確なら現在五四才。堅実な方らしく実直な軍務経歴どす。目立った武功はあらへんようどすなぁ」と、読み上げると
「違うな……」と、ゲルダが声を細めた。
「規則、軍令に忠実なだけで無く、強靭な意思と戦闘に対しての執念……あるいは激しい恩讐を覚える」と、彼女も新造時、ステルスシールドを発生させた白亜の装甲と船腹に伸びていた水牛の角を思わせる、雄大な二門のレールキャノンすら見る影なく、黒ずんだ無残な残骸を視線に捉えた。
「もはや曳航も叶わぬか⁈」
「はい。原子炉は臨界状態。冷却システムが致命的どした。突入隊の一次報告では汚染が広がっている様でおますわ」と、告げた後、カナンは上官と言うより己が主の耳元で
「砲撃による自沈処理が宜しかろうと存じます」と結んだ。
「致し方無し。して、エルザ・シュペングラーの身柄は確保したのであろうな?」と、もう一つの不安材料に言及すれば、これにもカナンは
「幸いあの魔女は被爆を免れ、先ほどこちらに収容。医務室で処置を受け取ります」と、的確に答えて見せた。
「まだ使えるのか?」
「卒倒して泡を吹いとります。じきに復職できるやろうが……」と、意地の悪そうな含み笑いでそっぽを向く。
「申せ」
「魔女が脳幹を預けるDCシステムの端末“オヴァール”も更なる改良が必要でっしゃろなぁ」
「その件は我が義父ブライトマン局長とユリエ・ヴァファノフ教授の問題。我らは後始末に徹するほか無い」と、ゲルダが今一度立ち上がりもはや骸と成り果てた『モビィディック』への最終措置を下令せんとした時
「ヴァルデス司令へ。突入艇〇七より通信有り」との報告が上がり、カナン・東雲中尉はその担当者に向けて、人差し指をくぃくぃと曲げ指揮官席に廻すよう指示した。
すぐに液晶画面が切り替わり、ある人物が映し出されると、カナンは眉間に皺を寄せ、嫌悪の面持ちを浮かべた。そして汚い物でも触るように人差し指だけで、モニターパネルをゲルダの方に向けた。
「こちら突入隊。ヤヨイ斑鳩であります。掃討令第一七号完遂いたしました」と、報告する画面の人物を見るやゲルダは
「斑鳩殿か⁈ 大儀である」と、笑みを浮かべた。
「ふん! “黒紋持ち”には似合いの汚れ仕事やで」左脇に控える副官の言を耳にしたゲルダは相手に気づかれぬ小声で“これっ!”と窘め再び席に座した。
掃討令第一七号とは、艦艇制圧戦における徹底した敵勢力の排除を企図し、一切の捕虜、投降を認めず排除する云わば皆殺し作戦。一般には“なで斬り”とも恐れられる非情な作戦である。
優雅に足を組むゲルダの目に、赤と言うより小豆色の動甲冑姿となる日本系美女の容姿が映り込む。
きれいな卵型の輪郭と透き通るような白い肌。きりりとした細い黒眉の下にはやや吊り上がり気味の眼である斑鳩。鼻筋も通り、唇は僅かに紅をさしていた。
そのたおやかな相貌の下半には、同系色の頬当てに三枚通しの喉輪。上半身を優美な女性らしい曲線を描く肩当てに胴丸を装備した女武者へゲルダが
「その『紅鷹』も見納めか。これまで我が隊を鍛えてくれた事、礼を申す」と、これまでの働きを労えば
「はっ。名にし負う剣豪ヴァルデス様との戦にて数々の剣技の妙、堪能させていただき我が誉れにございます」と、慇懃に礼を返した彼女は続けて
「つきましては、今回にてお役御免の私めに代わる国許よりの派遣傭兵二名連れ立ってございます。お目通り願いたく」と、頭を垂れ数歩下がった。
「それは念の入った事。許す」と、ゲルダが言うや否や、その二人が滑るように斑鳩の前に立った。黒づくめの動甲冑、彼女らの故国スサノオ連合皇国では標準的な九七式と称される官給品を装備していた。
二人の兜はヤヨイの真紅の烏帽子型とは異なり、桃成り型で錣が幾重にも重なる。厚めの庇下にはアイスブルーに輝く暗視ゴーグル、鴉の嘴のようなガスマスクが目を引いた。彼女らの故国では“夜叉鴉”とも呼ばれている。
「これっ! 指揮官の御前である。兜を降ろさんか」静かだが、有無を言わせぬ姉武者からの叱責に二人は慌てて、夜叉鴉の顎紐を解き素顔を顕わにさせた。
ゲルダから見て左側には、明るい栗毛色の髪をポニーテールに、前髪をくっきりとした太眉の上で切り揃える少女が歯切れの良い声で
「お初にお目にかかります。スサノオ連合皇国『加賀府』第三〇三強襲大隊、抜刀隊『初椿』所属。雷電軍曹であります」と名乗り、続いて
「同じく飛燕上級兵曹であります」と、隣の銀髪ショートヘアに、前髪で顔の左側をかくれ目にしているヨーロッパ系の少女が声を挙げた。そして、きびきびした所作で二人はゲルダへ敬礼を送った。
それを受けたゲルダは満足そうに、新参の女武者らを見定めるかのように見つめ
「両名とも大儀である。船内の様子が如何な具合であったかを申せ」と、二人へ問えば
「はっ!某が実際に刃を交えたるはほんの数名。すべて討ち果たしましたが……」と、雷電が答えた。
彼女は東雲と同じ日本系血筋であるが、血色の所以かやや肌色が濃い。太眉の下、円らで大きな瞳も濃い茶色。唇もふっくらとし紅も注さぬのに色味が良い。そして顔の下半には艶消しブラックの頬当てと二枚通しの喉輪。
年頃の女子よりもがっしりとした肩幅に、そこから延びる両腕も頑健そうである。それを物語るようにまとう九七式の肩甲と豊満なバストを覆う胸甲の張り出しが顕著であった。
「うちらが踏み込んでも、被爆がえげつのうて逆にとどめを刺してくれと頼まれるあり様で、大方は火ぶくれしとったり、黒焦げの亡骸ばっかりで後味の悪い作戦でおました」こう姦しい声ではつらつと答えたのは飛燕と名乗った銀髪かくれ目の少女。彼女は片側の眼を爛々とさせ嬉々としている。
そこへ相棒の雷電が軽くひじ鉄を喰らわせた。“方言を使うな”の意であろう。
「なんやねん! 出てもうたもんはしゃあないやんけ」と、飛燕がつっかかれば
「ええかげんにせえや。上役の前では“侍言葉”を使うんが礼儀やねん。知ってるやろ?」雷電が頭一つ上から圧し掛かるように迫る様子に、ゲルダが軽やかに笑った。
ゲルダから見れば、なるほど雷電の方が飛燕の頭半分ほど上背がある。二人が並べば、飛燕がやや華奢に見えるが、かくれ目の戦士も甲冑の下は相当鍛え上げられているとサーベルタイガーは見て取っていた。
「よい! 二人とも我が前にてもお国訛りを気にするでない。あと船内設備に関してはどうか?」と、再度問えば
「はい。あたり一面が白う煙っとりまして、配線の被膜が焦げた匂いがえげつなかったでんなぁ」と、遠慮なく飛燕が答えれば
「某の見立てでは、強烈な放射熱を浴びた痕跡が随所に。艦艇のメインエンジン噴射を至近距離で浴びせられた物と推察する所存」と、雷電。
「それが因で、冷却システムがオシャカになってますさかいに、もはや生存者は見込まれへん思いますわ」こう飛燕が報告を結んだ。
「なるほど。あい分かった! 両名とも今後は私を親元と思い、何なりと申すがよい。鍛えてやろう。心せよ」と、ゲルダが言った。
「宜しい。下がれ」と、背後からの姉武者の声に、二人は背筋を伸ばし、ゲルダに一礼してから画面を外れた。
「失礼いたしました。何分若輩者ゆえご容赦を」と、へりくだったままの歴戦の女武者にゲルダは
「いや、将来有望な戦士をよこしてくれた。私の近衛に欲しいくらいだ」と、二人を褒めそやした。
これを聞いた斑鳩は少し面を上げると
「あの者らはこちらの任期明けに、国許の士官候補生に上奏いたします。その際には何卒お口添えのほどお頼みもうします」と、再び頭を垂れた。
「心得た。して、貴殿はこれからいずれに?」
「はて? 私めはしがなき流れ者ゆえ……」
今後の身の振り方を問われ、言葉を濁す戦功者に黒いサーベルタイガーは猛虎の面持ちを浮かべ
「なれば、いずれかの戦場にて相まみえるやも知れんな? その際にはお手合わせ願おうか」と挑むように身を乗り出した。
これに紅の鷹も姿勢を崩さずに猛禽の眼差しを上目使いで
「それはご勘弁願いとう存じます」と、睨み返してきたのも束の間。すぐに目を伏せ
「それでは私めはこれにて。ヴァルデス様のご武運お祈り申し上げます」と物静かに応じて見せた。
「返す返す大儀であった。息災であれ」
この後、通信は途切れた。
「きさまごときの口添えでは、国許じゃ誰も動きはしいひんやろうな!」
暗くなった液晶画面に向け、言葉も選ばず吐き捨てる副官にゲルダが
「カナンよ、君の言う“黒紋持ち”とは如何なる意味か? 何やら遺恨がありそうだが……」こう問えば、彼女は指揮官と目を合わせずに
「……それは、いずれ……」と、やや声を潜めた後に続けて
「ヴァルデス様、そろそろ急ぎませな。現宙域には我が『ハンニバル』とフリゲート二隻のみどす。また新たな艦隊との遭遇戦となったら、我らとて苦戦を強いられるますやろう」と、気持ちを切り替えたような明るい声音で進言した。
「うむ。では砲撃準備を為せ」
これを機に、カナンは主に成り代わり
「砲撃管制官、配置に就け! 第一、第二砲塔左旋回六〇度へ。目標『モビィディック』船体中央!」と指令を飛ばした。
「距離を二千まで取らせろ。カナン」と、言うなり再び席から立ちあがった。
「方位二三〇へ遷移開始しました。後は良しなに」カナンは指揮をゲルダに譲り、最初の位置へと下がる。
二人の足元から腹底に響く重低音が伝わり、『ハンニバル』の巨躯が目標を左弦に捉えるべくゆるやかに移動を開始した。
その心地よい振動にゲルダは胸の奥から沸き起こる戦神の咆哮に触れたような陶酔感に浸っていた。
「弾種は如何になされますや?」管制官からの問いに褐色の戦神は間髪入れずにこう下令した。
「重元素徹甲弾V-Ⅶ。斉射二連。一撃で仕留めろ!」
これに士官は“サー、イエッサー”の返礼で応じた。
間もなく、艦橋の天井近くに設置された大型モニターに表示される十字照準の中央に新鋭艦の成れの果てを補足。 赤色の“Lock”が投映された。
「さて、でっかい花火が上がりますやろうなぁ」銀縁メガネの奥に潜む漆黒の眼を細め、白い歯を覗かせる副官を目端にすえたゲルダもまた
「……であるな」と冷酷な笑みを浮かべた次の刹那
「撃て」の命を発す。
『ハンニバル』第一砲塔三六サンチ主砲二連。第二砲塔二連の合わせて四門から斉射二連、計八発の巨弾が禍々しき光を帯び、正確に黒ずんだ残骸の中央へと吸い込まれた。
哀れな宇宙海賊らの亡骸を腹に抱えたままのそれは、一度真っ二つに折れたかと見るや、先刻の遭遇戦時よりも数倍に匹敵する、小型の太陽の出現を思わせる白炎の大火球が全てを飲み込み散華した。
その後はいつもと変わらぬ久遠の闇が周辺宙域を塗り替えていくのみであった。
火星統合暦MD:〇一〇四年(地球西暦二二〇四年)三月二九日。
アトランティア連邦海軍の公式記録によれば、”五〇二は公海宙域をパトロール中に一隻の漂流船を確認。生存者無し、これを曳航不可との判断により自沈処理を敢行せり。”とだけある。




